手篭め侍



■第9話 ■ 古寺の湯船で

 風呂は思ったとおり暗く、湿気が多く、いたるところが腐っていた。
 しかし思った以上に天井は高く、湯の加減は意外に心地よかった。
 なにせ、この山奥にある荒れ寺を求めて丸三日、山の中を彷徨(うろつ)きまわっていたのだ。

「……ふう……それにしても」
 それにしても、なぜあの薄気味悪い和尚にせよ、あの美貌の小坊主にせよ、単に墓を見せてくれと云うだけの簡単な話に、なぜあそこまで勿体(もったい)をつけたのだろうか。

 墓がある。
 つまりその下には、十年も追い続けた敵(かたき)八代松右衛門……あの『手篭め侍』が、埋まっているということ。
 我らの敵(かたき)は死んだ……あの蜂屋百十郎に討たれて。
 そして自分は、その証拠をこの目で聢(しか)と確かめた。

 しかし。

(姉上はそれでご納得されるだろうか? 八代松右衛門が死んだとはっきり悟ったら、蜂屋百十郎が姉上にとっては新たな敵……『手篭め侍』になるだけのこと。果たしてそれでいいのだろうか?)
 慎之介はあの寂しい墓の様子を思い出した。
(しょせん我らが追ってきたものは、わたしにしてみれば顔も知らぬ男の影にすぎぬ……)

 高い位置に設(しつら)えられた棚にに油皿があり、そこに灯る頼りなげな火がちらちらと揺れている。
 目を閉じ、案外拾い浴槽の中に脚を投げ出した。
 大きくため息をつく……そして、湯で顔をざぶざぶと洗う。

 と、背後にぺたり、と足音がした。

「なに?」

 慌てて振り向く慎之介。
 思わず目を見開いた。
 そこに立っていたのは……醜く突きだした腹の下に黒々とした魔羅(まら)を滾(たぎ)らし、瞼の上の無残な傷を歪めながら、舌舐りをする怪僧・念甲……ではなかった。
 深く分厚い湯気の中に浮かび上がっていたのは、小柄でか細く、まるく小さな頭の影法師だ。

「お湯加減は如何ですか……慎之介どの」
「こ、香蓮どの? ……そ、そなた」
「お寛(くつろ)ぎのところまことに失礼いたします。お風呂、ご一緒してもよろしいですか?」

 高い天井に響く鈴の音のような香蓮の声。
 あわてて慎之介は、湯の中で丸く身を縮めた。
「……べ、別に構わぬが……その……」
 慎之介の肩をかすめて、小さな素足が湯の中に滑り降りてくる。
 脛が、膝小僧が、そして滑(なめ)らかな腿が。

(い、いかん!)

 思わずその先から顔を背ける慎之介。
 何故だ? ……相手は小坊主。自分と同じ年頃の男子だ。
 何故に、無用な警戒をする必要がある?

「……ふう。この寺でただひとつ良いところは、この風呂だけです。この白く濁った湯は近くの温泉から引いております……躯(からだ)の節々の疲れを芯まで癒し、肌の貼りを保つ効能を持つ……と、そう聞いております」

 顔を背けている慎之介の肩に、ぴたり、と香蓮の肩が触れる。
 やわらかい肩だった。
 自分と同じで、頼りなげな、女のような肩だ。

(……な、なぜに浴槽にはこんなに余裕があるのにこうも躯)を寄せてくるのだ、あ、いかん、いけません)
 湯の中で、腰の骨が柔(やわ)くぶつかり合った。
 慎之介の躯の中の滾りが、またじんじんと腰の奥で揺らめく。

「お、和尚は……和尚はもう、お休みになられましたか」
 別にそれほど気にかかることでもなかったが、慎之介は動揺を悟られまいとしてそんな話題を振った。
 しかし、ぴったりと隣りにいる筈の香蓮からは、一向に答えがない。

 ちら、とその横顔を盗み見る。
 その小さな坊主頭は真横から見るとますますかたちが良かった。
 湯で朱(あか)く染まった頬、伏せた睫、鼻筋から唇への曲線。首は細く、長い。
 白濁した湯から浮いている肩はまるく、そこに湯が珠になって浮いている。
(……な、なんと、なんと可憐な……い、否、いくら美しいとはいえ、同じ男子に……)

「……和尚がお休みになれてはいないことくらい、慎之介どのは察しておられるでしょう」
 呟くように、嘆息(ためいき)まじりに、香蓮は言った。
「つ、つまり……つまり、それは?」
「あの和尚には、慎之介どのも気をつけられたほうがよいでしょう。信用なりません……先程、慎之介どのにお見せした墓に葬られているお侍さま……あのお侍は、誰に殺されたとお思いですか?」

 伏せた眼の中で、黒目だけがつう、と動いて横目に慎之介を捉えた。
 その羊羹のような不思議な色の黒目に、思わずぎくりとする。

「それは……その、かの素浪人、蜂屋百十郎が……」
「その蜂屋なんとかという無頼の輩(やから)に、あの腥(なまぐさ)の言葉……どちらも信頼に足るものではありますまい。あなたの敵、その渾名(あだな)をなんと申しましたか?」
「……それは……」

 その美しい横顔に、その言葉を口にすることが憚(はばか)られた。

『手篭め侍』……慎之介どのはたしか、そう仰っていましたね……あの和尚に。しかし、あの男こそ、本物の卑劣漢……『手篭め和尚』です」
「て、『手篭め和尚』?!」

 驚きのあまり思わず、慎之介は湯船の中に立ち上がった。
 秘部をを隠すこともせずに。
 気がつけば、滾(たぎ)る肉茎(にくくき)を、香蓮の頬に突き付けんばかりに晒していた。

「……あれ」
 香蓮は瞬きすらしない。
 長い睫(まつげ)を伏せた半眼のまま、その円(つぶら)な瞳を大きく開く。
 慎之介は慌てて水平に立ち上がった自らの陰部を両手で隠そうとした。
 しかし、すう、と香蓮が白濁の湯の水面を滑る、水鳥ような動きで身を寄せてくる。

「な、何を……何を香蓮どの!」
「慎之介どのはご立派な方ですね……斯様(かよう)な話で、こんなになさるなんて」

 そ、と香蓮が慎之介の茎を握った。
 そして、愛おしげにその側面を頬に当てる。

「あうっ……な、何をなさいます! 香蓮どのっ!」
 とは云うものの、慎之介の躯(からだ)は肉の欲に正直すぎて、湯船の中から逃れようとしなかった。
 思わず、香蓮の坊主頭に手を添える。海豹(あざらし)の肌のような、滑(なめ)らかま手触りだ。

「……わたしがなぜこの寺に置かれているのかは、お察しでしょう? わたしがこの寺に来てからこれまで、あの盲(めくら)の腥(なまぐさ)坊主から、どのような恥ずかしいことをされ続けててきたのか、だいたいお察しでしょう? だから、慎之介どのの逸物(いちもつ)は、こんなにも……」
「あっ……あ、あっ……こ、香蓮どの、そ、そんな、それ以上っ……」

 香蓮は肩から下を湯の中に沈めたまま、慎之介の茎(くき)に頬ずりをし、指を絡ませた。

「しっ……慎之介どの。あまり声を立てるとあの『手篭め和尚』に聞こえますよ……あの男は恐ろしい男です」
 やわやわと秘部を弄(もてあそ)ばれ、慎之介はもう絶頂の土俵際(どひょうぎわ)にあった。
「……な、何者なのです……あっ……うっ……んっ……あ、あのっ……あの念甲という男は」
「……あやつは、物怪(もののけ)です……かつては、でした……」

 とろけるような甘美な愛撫を受けながら、慎之介は目を見開いた。

「な、なんと?」
「あの頭の傷と、両の眼の惨(むご)たらしい傷……あれは、あの男に恨みを抱いたどこやらの侍につけられたものです」
 慎之介の頭が激しく混乱する。
「……な、なぜ、こ、香蓮どのは……こ、こんな寺から逃げ出さぬのですっ」

 声が完全に上擦(うわず)っていた。
 爆(はぜる)ぜる寸前の亀頭(かめあたま)に、香蓮がそっと目を閉じて口づけをした。

「逃げられぬのです。余りにも恥ずかしい目に遭いすぎた所為で……わたしにはもう、どこにも行き場はありませぬ。この寺から逃げても、この寺で暮らした二年の歳月の思い出が、わたしを一生苦しめる筈」
 香蓮は肉竿の鋒(きっさき)に唇づけを続け、幹をするするとしごきあげてくる。
「こ、香蓮どのっ……こ、こうれっ……ん、どのっ……」

 気がつけば慎之介は香蓮の頭を両手で握りこんでいた。

「わたしと、慎之介さまはよく似ておりますね。あなたは姉上から、わたしはあの腥(なまぐさ)から逃れられぬ定め……ああ、どうされました慎之介どの、何をそんあなに無理をされておられるのです? ……我慢も限界でしょう?」
 その一言が止(とど)めとなった。
「…………うあっ!」

 ついに、慎之介の肉筒(にくづつ)が弾ける。
 濃厚な精の汁が、香蓮のうつくしい顔に降り注ぐ。
 慎之介は細い腰を畝(う)ねらせて、二弾、三弾と続く放埒(ほうらつ)の甘美に悶え続けた。
 それを顔で受ける香蓮は、長い睫の瞼を伏せたまま、身動きひとつしない。
 すべてを放ったあと……慎之介はばしゃん、と音を立て、湯船の中に座り込んだ。

「……あの墓に、誰が埋まっていると思われますか?」
「……はあっ……はああっ……」
 慎之介は湯船のの淵に顔をうずめて、息を吐き続けた。
 湯のなかではまだ肉筒(にくづつ)がひくついており、残っていた最後の精の数滴が放たれる。
「あの墓の下に眠っているのは……わたしの父です」
「な……なんと?」
 慎之介は顔をあげた……が、湯煙(ゆけむり)の中に見えたのは、ほっそりとした身体にくびれた腰、まるい尻の香蓮の後ろ姿だけだった。




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