手篭め侍



■第10話 ■ 隠し業・筆責め

 寝間に通され、明かりを落としても、慎之介は一向に眠ることができなかった。
  香蓮に聞かされたことが本当がどうかはわからぬが、念の為、脇差を掻き抱いている。

 濃厚な闇に包まれた山奥の寺。外では激(はげ)しく風が吹いていた。
 がたがたと寺自体が風に煽(あお)られて揺れているようだ。

 頭の中では、いろんな連中がそれぞれの口で物語った手ん手ん(てんでん)散々(ばらばら)の物語が、頭の中で絡み合い、縺(もつ)れる。

 百十郎が言うことが本当なのか? 
 念甲が言うことが本当なのか?
(そもそも、何者なのだ……八代松右衛門とは)

 幼い頃は姉に言い聞かされるままに、その恐ろしくも卑しい男の像を思い描いてきた。
 紫乃は、その男の顔を知らない。「男は頭巾を被っていた」の一点張り。
 男の体格は? ……紫乃は熊のような無屈(むくつ)けき大男だった、と言う。

 しかし、その男を目撃したとき、姉はまだ七つの幼子(おさなご)だった。
 その目から見れば、誰もが「熊のような無屈(むくつ)けき大男」に見える筈。
 では、香連が言ったように、紫乃と自分はずっと幽霊を追い続けてきたに過ぎないのではないか。
(いや、いやいや……誰も信用できぬ。百十郎も、念甲も、あの淫らな小坊主も……)
 頭から布団を被り、なんとか闇の奥の闇に、逃げ込み、眠気を手繰(たぐ)りよせようとする。

 と、そのとき、風に流されて微かな声が聞こえてきた。

「駄目……だめです和尚様……し、慎之介どのが……」

 慎之介は静かに布団から身を起こした。
 そして耳を澄ます。
 声は、本殿のほうから聞こえてくる。
(あの声は……香蓮どの)
 いや、この寺には念甲と香蓮と、この自分しか居らぬ筈。
 あの鈴の音のような声は、紛うことなきあの淫らな小坊主の声。

 慎之介はいつの間にか布団を出て、障子を開けた。
 足音を忍ばせても、古寺の傷みは激しく、一足ごとにみしり、みしりと踏みしめる板が悲鳴を上げる。
 
 本堂と廊下を仕切る障子から、うっすらと灯りが漏れていた。

「そんなにあの若侍に聞かれるのが厭か……いつもはもっと好い声で囀(さえず)るではないか……」
「んんっ……そ、そんな、そこ、そこは、ど、どうか、どうか今宵、今宵ばかりはっ……」
「あの若侍に惚れたのか? ……まったく堕落(だら)しのない。だからお前は、まだまだ修行が足らぬのじゃ……」
「は、あっ……あっ……んんっ、くっ……き、聞こえますっ……慎之介さまを起こしてしまいますっ……」

 障子は、唾で濡らした指で穴を開けるまでもなかった。
 いたるところ、破れ目ばかりだったからだ。
 慎之介は腰をおろし……ひときわ大きな穴から本堂を覗く。

(な……なんと!

 高い本堂の屋根の梁から伸びた二本の荒縄が、香蓮の両手首を万歳のかたちで上に吊るしていた。
 さらにぴんと這った荒縄が二本。それは、香蓮の膝を吊り下げている。
 香連の躯(からだ)は、床から四尺ばかり浮いていた。
 戒(いまし)められ、大きく開かれた香蓮の脚の間に、傷を頂(いただく)く念甲の坊主頭がある。
 秘所はその頭によって、慎之介の視点からは隠されていた。

「ほれ、ほれ、もっと大きゅうするのだ……なぜ毎夜毎夜、鍛(きた)えておるのに一人前にならぬ……下からばかり垂らしよって堕落(だら)しのない躯(からだ)よ……ほれ、ほれっ……」
「お、お目溢(おめこぼ)しをっ……お、和尚さまっ……堪忍、堪忍してくだされっ……こ、これ以上はっ」

 ちらりと、念甲の袖口から何かが覗いた。
(ふ、筆?)
 細長い筆であった。そのぴん、とはねた命毛(いのちげ)が、ふわり、ふわりと空を舞う。
 盲(めくら)の念甲が、それを収める先を探しているのだ。
 やがて筆先は収まるべき先を見つけ出した。
 白足袋を踏みしめるような、岩石の如き念甲の尻の傍らに、蓋を開けた梅干しを漬けるような壷がある。
 念校は筆先をその中に浸すと、十分に掻き混ぜる。
 壷から筆先が抜かれたとき、それはねっとりとした黄金色の油を十分に吸い、雫の糸を垂らしていた。

「それ、今度はこちらに参るぞ」
 念甲の筆が高く持ち上がり……晒された香蓮の鳩尾(みぞおち)に、ちょい、と触れる。
「あうっ……!」
 びくん、と吊られた香蓮の躯が跳ね、反り返る。

(そ……? ……そんなまさか……)

 思わず慎之介は自らの瞼(まぶた)を擦った。
 香蓮が躯(からだ)を激しく反らせたせいで、胸に肋(あばら)骨が浮き上がる。
 鳩尾(みぞおち)の骨が浮き上がる。
 浮き上がったのはそれだけではない……薄い胸板の上に隠れていた、微かな、ごく微かな隆起も浮かび上がった。

(ち、乳房?)

 念甲が手を伸ばし、その微かな膨らみを弄(まさぐ)った。

「おかしい……また育っておる。修行が足らん。もっと平たくならねば筋が通らぬ筈じゃ……こんな柔(やわ)い膨らみはいらぬ!」
「そ、そのようにっ……そのように言われましても……あっ……ああんっ!」
 念甲がゆっくりと腰を上げ、香蓮の肢体を撫で回しながら、のそり、のそりとその背後に回った。

(ま、まさか……あ、有り得ぬ!)

 大きく開かれた香蓮の股座(またぐら)が、蝋燭の炎に灯されてはっきりと見えた。
 貝のような、生々しい切り傷のような、明らかな女の秘部が、そこでてらてらと濡れ、光っている。
 そのとき、ちらりと……香蓮が薄目を開けた。
 
 障子の破れから覗いていた慎之介と、視線がぶつかる。
 慎之介は飛び上がりそうになったが……堪えた。
 つい数日前、実の姉の目線を似たような状況で捉えたことがある。
 まだ十四年しか生きたことのない慎之介だったが、ここ数日で濃密な修羅場を潜(くぐ)ってきている。

(……香連どの……)

 香蓮は羞恥からか、目を閉じ、顔を背け……あのあまりに儚(はかな)げで寂しげな横顔を見せた。
 しかし、今は自分の背後に回って自分の乳房に指を這わしている念甲の様子をちらと確認すると、慎之介にまた目線をやる。
 そして、ゆっくりと唇を大きく動かした。声を出さずに、言葉を慎之介に伝えようとしているのだ。
 慎之介は、何度も繰り返されるその八回の唇の動きを確かめ、その意味を知った。

 わ、た、し、を、た、す、け、て。

 慎之介は、しっかと目を見開き、また、香甲が唇を動かすのを見た。
 念甲はそれに気づかず、香蓮の背後に回って尻の割れ目に筆であの妖(あや)しげな油を塗りつけている。
 きゅっ、と切なげに香蓮の眉根が歪む。
 そして、吐息を堪えながら、さっきより長い言葉を、唇の動きで伝えた。

 わ、た、し、を、た、す、け、て。
 こ、の、お、と、こ、を、こ、ろ、し、て。



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