手篭め侍



■第4話 ■ 何卒、助太刀を!

  犬猫の馬鍬(まぐわ)いにも似たその嬌態。
 慎之介は疼(うずく)股間がどうしようもなくなり、思わず姉の袖口を掴んだ。
「姉上、もうよろしいでしょう……わたしはこれ以上見ておられません」
 紫乃が舌打ちをして冷たい目で慎之介を見た。
 ほつれた蟀谷(こめかみ)の髪が、燃えるように紅潮した頬に汗で張り付いている。
 慎之介は姉のその殺気立った表情に、あろうことか思わず埓を開けてしまいそうになった。
「……この意気地なし。そなたは下がっておれ。わたしはこのまま最後まで見届ける」
 ぷい、と野原の修羅場のほうに顔を向けてしまう紫乃。
「なぜそこまで?」
 姉からの返事はなかった。
 慎之介は野原の百十郎や、奴に嬲(なぶ)られている女、そして縛り上げられ、その様を見せつけられている憐(あわ)れな息子に気取られぬよう、姉とともに身を潜めていた高台の茂みを離れた。
 背後から、
達します、達しまする、たっし……あ、ああああっあああああーっ!
 という女の断末魔が響いてくる。
「まだじゃまだじゃ、ほれほれ、これからだぞ。今度は表向きになってもらおうか奥方様!」
 百十郎の下卑た声も聞こえた。
 耳を塞いで逃げ出したくなった。
 この修羅場から、というよりも姉と続けてきた辛い復讐の旅そのものから。

 慎之介はその茂みから少し下ったところに、澤(さわ)を見つけた。
 清流が涼しげに、全身を火照らせた慎之介を誘っているようだ。
(……それにしても、あんな憐れな場面を見て、このわたしは!)
 袴の中、褌に締めつけられた肉茎が痛いほど締めつけられている。
 笠を外すと、澤の水を救い、ざぶざぶと火照った頬を、額を遮二無二(しゃにむに)洗った。
 それでも熱は収まらない。
 太刀と脇差を帯から抜いてそこらの岩に投げ出す。
 そして思い切って袴を脱ぎ、小袖を脱ぎ捨て、褌一丁になって、澤の流れに全身を浸した。
 水は予想以上に冷たく、躰(からだ)には心地良かったが、やはり股間の疼きは収まらない。
 目を閉じても、犬のように犯される女の白い尻が、背中が、揉み上げられるあの撓(たわ)わな乳房が瞼の裏に焼きついて離れない。
(……これではあの犬畜生と同じではないか。静まれ! 静まるのだ!
 慎之介は自分の手でその疼(うず)きを鎮(しず)める方法を、未だ知らなかった。

 どれくらいそうしていただろうか。 
 突然、姉の斬(き)つとした声が、澤の水の中で自分の身体を躾(しつ)けている慎之介のところまで届いてきた。
お疲れのところ、失礼は承知の上でお伺いいたします! 貴殿は、かつて神崎潘随一の剣客として東海道にその名を知られる、蜂屋百十郎殿とお見受けいたしますが、相違ございませんか?!」
(あ、姉上? ……ま、まさか……)
 慎之介は澤から上がると、河原に脱ぎ捨ててあった衣類と笠を掴み、先程身を隠していた茂みのほうへと駆け出した……と、刀を忘れたことを思い出し、慌てて駆けもどる。
 そして褌(ふんどし)一枚姿のまま、全身に水の珠(たま)を浮かせ、大急ぎで姉の元へと走った。

 高台に上ると、犯し尽くされて屍人(しびと)のようにぐったりと萎(しお)れた年増と、同じように泣きじゃくるだけの赤子になってしまった息子の前で、紫乃と百十郎が対峙している。
 紫乃は両膝を突き、脇に笠を置いて、量の掌(てのひら)を膝の前で重ね、百十郎を仰ぎ見ていた。
 百十郎は紫乃のことをまったく無視して褌(ふんどし)を締め直している。
 その原っぱにいる三人の人間がまるで存在しないかのように、鼻歌を唄(うた)いながら。

「先程の見事な太刀捌(さば)き、恐れながらあの高台の上より拝見させていただきました。貴殿の噂を伝え聞き、探し歩くこと半年。何より貴殿の見事な腕前 をこの目でしかと見届けることができたこと、まことに幸運の巡り合わせ。何卒(なにとぞ)、わたしの話を聞いて下さらぬか」
「見てたあ……?」
 そこで、はじめて百十郎が紫乃に顔を向けた。
 そして、髭だらけのたるんだ頬に、下卑た笑みを浮かべる。
 紫乃は怯まない。屹(きつ)として、百十郎の顔を見上げ、目線を外さない。
「……抜く手も見せぬ、瞬きの間のひと太刀。拝(おがみ)神武流とお見受けしましたが、相違ござらぬか」
「そんな名前だったかなあ? 確かに若い頃、いくつか道場に通ってたけどよ、何流とかなんとか、七(しち)面倒くせえんで覚えりゃいねえ。殺られたくねえから、そのガキには痛い目を見せただけってことよ」
 紫乃は縛り上げられ、草に顔を埋めて咽(むせ)び泣いている少年武者をちらりと見ると、身を起こし、少年に駆け寄った……上から眺めていた慎之介は、姉が少年の手当でもするのかと思ったが……
「い、痛いっ!」

 紫乃は少年の腕をぐいとねじり、その刀傷を篤(とく)と改める。

「……なんと見事な。見事としか申し上げようがございません。両腕の内の腱(けん)だけを、かする程度に浅くなぞるように一筋……この左手も……」
「い、痛いっ!」
 左手を紫乃が改める……少年の苦痛など、まったく意に介していないらしい。
「同じように腱の上を一筋……あの早業(はやわざ)で、どうやってここまで正確な太刀筋(たちすじ)を……」紫乃は少年武者の手を放り出すと、また百十郎 の元にもどり、膝をついた。「いやはや、お見それ申し上げる。わたしも幼い頃より父から東進(とうしん)一刀流の道場を開いていた父に手ほどきを受け、今 日まで剣の腕を磨いてまいりましたが……貴殿ほどの使い手の技(わざ)をこの目にしたのは、今日がはじめて」
「そりゃどうでもいいけどよ、そのガキの手を使い物にならなくした後、あの女……」そういって、百十郎は草の上で腹ばいに臥せったままの裸の女を指差した。「あの女に向けた別の刃(やいば)の技のほうも、おめえはしっかり覗いてた、ってわけだな……かわいい顔して、意外と好き者なんだな?」

(なんと……野卑な! ……わが姉上に向かって)
 慎之介は怒りのせいで飛び出しそうになった……が、自分は褌一丁の姿。
 それに……野卑で下劣だとしても、あの男の凄腕(すごうで)にこの自分が敵(かな)う筈もない。
 仕方なく、また茂みから姉の様子を見守ることにした。
 紫乃は、すこしも動揺した様子を見せていない。

「はい、然(しか)と見届けました。失礼を承知で存じ上げますが、まさしく貴殿こそ人の皮を被った獣(けだもの)。そのような輩はこれまでに大勢見てまいりましたが、貴殿のように腕が立つ獣(けだもの)はこの世に二人といない筈」
けんか売ってんのかあ? ……それとも、あの奥方様みたいに楽しませて欲しいのか? お嬢ちゃん」
「貴殿の腕を借りたい。それがわたしの願いです」
「腕を? 魔羅(まら)ではなくてか?」
 けらけらと笑いながら、袴も履かずに百十郎は大笑いする。
 弛(たる)んだ腹が、大道芸人のように揺れている。
「わたしは七つの時、ある狼藉者に父を殺され、母を辱められました。その仇を弟とともに追ってはや十年、全国津々浦々を旅して参りました……行く先々で、 われらが敵(かたき)の剣の凄腕(すごうで)、そしてその鬼畜の所業(しょぎょう)は知れ渡っており、旅を続ければ続けるほど、果たして我ら非力な姉弟に 本懐を遂げられるかどうか、心細くなる一方……」
「それなら、仇討ちなんか、やめちまえばいいじゃねえか」と百十郎。「この母子のザマを見てたんだろ? やめとけやめとけ……仇討ちなんて。今どきそういうのは流行らねえ」
「恥を承知で申し上げます! ……我らの助太刀をお願いできませぬか? なんとしても敵(かたき)を討ち取りたいのです! あの『手篭め侍』を!」 
 そこで、百十郎が顎に手をやる。
『手篭め侍』? ……そりゃあひょっとして、俺のことじゃないのかな」
「いえ、貴殿ではありません。わたしは母があの『手篭め侍』から辱(はずかし)め受ける様を、七つの歳に物陰から目にしてしまったのです……貴殿が今三期 (さっき)あの奥方様にされたこと以上に、それはあまりにも酷(むごい)い仕打ちでした。父上の亡骸の傍らで……あの男は……」
 百十郎は、紫乃の話にとても興味を惹かれた様子だった。
「……そりゃあ、たまんねえ話だな。それにしても、ま、よくある話よ
「何卒、わたしたち姉弟に助太刀を! 『手篭め侍』に打ち勝つには、あなたの助けが必要なのです!」

 百十郎は袴を履き終え、しばらく顎に手を当てて何かを考えている。

「お嬢ちゃんたちに協力したとして、おれに一体、どんな得があるんだい?」
 にやりと好色な笑みを浮かべる百十郎。
「……誠に失礼ながら、百十郎どのは色事に目がないとお見受けいたしました」
「ほう」ちらりと、横たわる女の裸体を横目で見やる百十郎。「それで?」
「わたくしは何も持ってはおりまぬ。金子(きんす)も帰る家も……父上から受け継いだ剣術とその志、そして……このわたしの躰(からだ)以外には。それで我らを、手助けしてはくれませぬか」
 びゅう、と風が吹いて、草が水萌のように揺れる。
「ほう」百十郎が顎をさする。「お嬢ちゃんの躯(からだ)が、おれのお駄賃ってわけだな」

(……あ、姉上……正気ですか?)
 
 背筋を伸ばし、律(りつ)として百十郎を見上げる姉は、正気を失ってはいるかもしれないが、どうやら本気のようだ。
 その様子を見て、百十郎は満足そうに頷(うなず)いた。



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