手篭め侍



■第17話 ■ 鬼ゆり峠で会おう

 四郎を殺してから七日目の夜は、土砂降りの雨だった。
 その男は、こんな豪雨の中でも、女を欲してずぶ濡れになりながら土手を彷徨っていたのだ。
 よほど飢えていたのだろう。

 橋の下に筵を敷いて尻を乗せ、裸足を投げ出した。
 袂が開き、襦袢が開き、生白い内腿が顕になる。
 橋の床板の隙間からぽつぽつと落ちてくる雨水が、開いた襟首を、見せつけた太ももを濡らす。
 
 紫乃は手ぬぐいを取って、舐めつけるように男を見上げる。かなりの巨漢だ。
 しかも反っ歯で頬が弛(たる)み、吹き出物が目立つ筋金入りの醜男である。
 目が血走っていた。
 とはいえ……これまで殺(あや)めてきた七人の男たちも似たようなものだ。

「……おれはしつこいぜ。女を鳴かせるのに手間をかけることにかけちゃあ……このへんでは評判なんだ」
「へえ……そうかい。じゃあお代は倍いただこうかね。尤(もっと)もあんたがあたいの中で、線香二本分持てばの話だけどね」

 最初は自分でも辿辿(たどたど)しく感じた夜鷹たちの口真似も、かなり板についてきたと紫乃は思う。

「へへ、夜鷹の雛(ひな)のくせに、やたら威勢がいいじゃねえか……」
「そっちも口ばっかりじゃないことを、早く見せてほしいもんさね」
「へへ、雛さんよお……ぴいぴいぴいぴい、いい声で鳴かせてやっからよ……」
「ち、ちょいとお待ちよ……あっ……」

 あっという間に帯を解かれ、転がされる。
 筵から滑り落ち、濡れた草の上で身を起こそうとしたら、その大男は紫織の腰巻を握って筵(むしろ)に引き摺り戻す。
 その最後の一枚も剥ぎ取ってしまった。

「へへへ、可愛らしい躯(からだ)してやがるじゃねえか……悪くねえぜ、その乳も、尻もよ……それに脚は、鹿みてえにしなやかだ……」
「べ、別口で、見物料を頂きたいもんだね」
「悪く思わねえでくれよ……最近は小袖の中に匕首を隠し持ってる、おっかねえ夜鷹がこの辺りに出るって噂じゃねえか……こうやって改めとかねえと、安心して楽しめねえやさ」

 明らかなな口実だった。男は紫乃の全裸が見たかったのだ。
 普通、夜鷹は裸にはならない。また、夜鷹を買うような男は女を素裸に剥いたりはしない。
 裾をまくりあげて、立ち小便よりも雑に、さっさと済ませる。
 人通りがないどころか、夜鷹も役人も遠慮するこの土砂降りの中。
 しかも『人斬り夜鷹』の噂が立中、わざわざ土手まで来て女を漁っていたこの大男。
 その視線からしてねちっこく、紫乃は心に閉じ込めていた羞恥が、久々にくすぶるのを感じた。
 思わずそのしなやかな裸身を筵の上でくねらせ、赤子の姿勢になって男の視線から逃れてしまう。

(考えるでない……蜂屋百十郎のことなど……あの夜、彼奴にされたことなど……)

「へへ、ぐうの音も出ねえくらい、声が枯れるくらい可愛がってやるぜ……」
「……お待ちよ……あっ」

 仰向けに転がされ、首筋に吸いつかれた。男は右手で紫乃の乳房を捏ねるように揉み、左手で脇腹を探った。
 これが八人目の男……この五日間で、胸が少し大きく張っていた。
 尻もまた、これまでより少し柔らかくなったような気がする。傍目にはわからない変化だ。

「すげえな……こんな若い娘の乳を橋の下で拝めるばかりか、好きなように弄(いじく)れるなんてよ」
 そう云いながら男は両手で柔(やわく)く紫乃の乳房を揉み、乳頭を湿った指で転がしながら……鳩尾から下に向けて舌を這わせはじめる。
 男が何をするつもりなのかは、反射的に紫乃にもわかった。
「ちょ、ちょっとあんた、何するつもりだいっ! ……気は確かかい?」

 舌がどんどん下っていく。もちろん、夜鷹にそのような舌での愛撫を施すような男はいない。

「かわいい臍だな」
「ちょ、ちょっ……待ちなよ……待ちなってばさ……あ」
 
 男の鼻先が茂みに潜り込む。この男は夜鷹につきものの毛虱(けじらみ)も恐れない男らしい。
 まだ紫乃はその類の蟲には侵されていなかったが、ここ数日で、少し濃くなった茂みに鼻を埋められ、ますます羞恥が躯を駆け巡った。
 相手は醜く、大柄で、色事に目のない男。

(な、ならぬ……ならぬ、こ、こころを保つのだ……この男はただのわたしの獲物)

「へへ、眉の濃さから見て辺りはつけてたが、案外、こっちの毛も濃いんだな」
「な、なにをっ!……はっ」
 思わず、本来の口調が出てしまった……その瞬間、男のざらついて濡れた舌が紫乃の花弁をかき分けた。
 慌てて脚を閉じようとするが、男が両の膝小僧を掴んで離さない。
「へへへへ、観念すんだな……俺は舐め出したらきりがねえんだ……何度も極楽浄土(じょうど)を拝ませてやるぜ……それにしてもおめえ、きれいな道具を持ってやがる。とても夜鷹とは思えねえ……」

 紫乃の茂みを鼻息で震わせながら男は言うと、唇と舌を使って本格的に紫乃を苛(さいな)み始めた。

「ああうううううっ…………く、くううううっ!」

 紫乃のしなやかな躯が筵(むしろ)の上で太鼓橋(たいこばし)のように反り返る。
(……こ、この男っ……な、なんと巧みな……いや、何を考えているのだわたしは……)
 このような口唇による愛撫を受けたのは、生まれてからこれで二度目だ。

 あの宿屋の寝間の行燈に照らされながら……天井裏から実の弟に覗かれながら、何度も身をくねらせ、喘ぎ、寸止めされ、自分から求めた。
 目を閉 じてこの無様な現状から逃れようとしても、どうしてもあの夜の情景と感覚が蘇る。
 蜂屋百十郎のあの若気(にや)けた笑みと、熱い舌の畝(う)ねりが。

「はあっ……や、やめろ」また本来の言葉遣いが出たので、あわてて言い直す。「やめとくれよ……あたい……それ、ほんと、駄目なんだよ……うっ」
「そう言われる尚更、舐めたくなるんだよおお! 朝まででも続けられるぜ!」

 その紫乃の言葉に鼓舞されたかのように、男はさらに激しく舌を使う。
 そしてまるで薯蕷(とろろ)汁を吸い込むように、高らかに音を立てて紫乃の蜜を吸い込む。
 紫乃は血が滲むほど人差し指の付け根を噛んだが……あっけなく、一回目の頂(いただき)に追いやられた。



 雨は大分(だいぶ)、小振りになっていた。

「よしと、くれ……もう、もう堪忍しとくれっ……ああ、あ、あああああああっ!」
 どれくらいの時が過ぎただろうか……気を遣るのはもうこれで七回目だ。
 ようやくその大男は、紫乃の股座(またぐら)から唇を離した。
「旨かったぜ……まったく甘露、甘露。たまんねえ、いい味してたぜ……」
「う……あ……」

 紫乃はぐったりと筵の上に手脚を投げ出して、仰向けに横たわっている。
 目はぼんやりと、橋の床板を眺めていた。時おり、ぽつり、ぽつりと水滴が頬を打つ。
 しかし、それを防ぐ気も失せるほど、精も根も尽き果てていた。

「さて、と……本当のお楽しみはこれからだぜ、夜鷹の雛っ子よお……おれはこっちのほうも、結構しつけえんだ……何だったら、お天道様が上がるまで串刺しにしてやっからよお……」

 男が褌を解く気配がする。
(……ああ、この調子だとこの男、いつ果てることやら……こ、壊されてしまう)
 しかし、紫乃は抗う力を奪われていた。人形のように膝を立てられ、再び大きく脚を開かれる。

「……お願い……もう堪忍して……」
 本音とも、男を悦(よろこ)ばせるための演技とも、何方(どっち)ともつかぬ言葉が紫乃の口から出た。
「何言ってやがんだい。男に喜ばされるだけで銭貰える夜鷹がどこに居るってんだ……こっちが銭を頂きてえ気分だぜ……ほら、いくぜ」
 ぐい、と男が腰を押し付け、插入(はい)ってきた。
「あうっ!」
 紫乃が細い喉を上げる。が……

(?……この男、わたしをまた焦らすつもりか? 入口から奥に入ってこぬ……)

うぐはあああっ!

 紫乃が疑念を抱いた瞬間に、紫乃の内腿に大量の熱い精が迸った。
(……終わった? ……まさか?)

 男がぐったりとその重い体躯を紫乃の躯に預けてくる。

(み、短い……余りにも短い……それに早い……短くて早い?……短くて……早い??)

 ちか、と紫乃の頭の奥で、小さな灯(あか)りが灯る。
 ぜいぜい云いながら顔を上げ、その醜い舐め男が醜い顔で紫乃の顔を覗き込んできた。

「へへへへ……どうだい、良かったかい……たまんねえ締まりだなあ……おめ」
 大男が言い終わる前に、その喉は横一文字に掻っ切られていた。
 紫乃の顔に血がほとばしる。
 内腿に受けた精の熱さと、顔に受けた男の血の熱さはほとんど同じだった。
 たぶん、その大男は、どこからその匕首を紫乃が抜いたのか、地獄で考え続けることになるだろう。



 
 雨は上がっていた。
 代わりに、河原には霧が立ち込めている。
 男の死体から少し離れたところの浅瀬で、素裸(すはだか)の紫乃が腰まで水に浸かっていた。
 男が自分の躯に放ったもの……大量の粘っこい精と、血飛沫(ちしぶき)を水で洗い流している。

 これで八人目。

 人を殺めることには、もう十分すぎるほど慣れた
 ……そして今、紫乃の心では青い焔(ほむら)が揺れている。
「あとは……百十郎の行方を探すだけ……」
 紫乃は、支度してあった太刀と脇差、そし小袖と紺の袴を改めようと、濡れた髪を頭でまとめながら川の辺(ほとり)に目をやった。

 と、そこに人影がある。
 一瞬、幻かと思った。
 深い朝靄(あさもや)の中に立つそのだらしない風体の浪人の姿。

「ほう、ほんの少し見ねえ間に、随分と育って食べごろになったじゃねえか……乳も、尻も」

 紛うことがない。この下卑た雲助のようなしゃべりと声。
 紫乃の刀や着物の前に立っているのは、夢でも幻でもなく蜂屋百十郎だった。
 反射的に、紫乃は両胸を腕で庇い、腰をひねってその視線から逃れた。

「……どうやって、わたしの居所を知った」
「いや、この辺で荒らしまわってるっていう、『人斬り夜鷹』の噂を耳にしたもんでよ……俺は胡散(うさん)臭え話と、血腥(ちなまぐ)せえ話には目がないもんでよ……その噂の夜鷹に会いに来たと言うわけよ……まさか、お嬢ちゃんが当の本人だったとはな」
「嘘だろう? ……この七日、あの夜以来、わたしを尾けておったのだろう?」

 紫乃は反射的に百十郎から裸身を隠していたことに気づき、逆にそのことに羞恥を覚えた。
 そして、胸から腕を解くと百十郎に向き直り、ざぶざぶと音を立てて、膝小僧が見えるまで裸身を晒した。

「ほお、下の毛も随分と濃くなったじゃねえか……眉毛とお揃いで、いかすぜ」
「黙れ。今は赦してやる。命が惜しのなら、今すぐここから立ち去るがよい」

 本来の屹(きつ)とした声で百十郎に告げる。丸腰の、素裸で、体中から雫を垂らしたまま。

「何人の男を抱いた?」と百十郎。
「八人」
 紫乃は百十郎の目を真直ぐに見据えて答える。
 百十郎の頬は若気(にや)けているが、濁った瞳の奥は真っ直ぐに紫乃を捉えている。
「何人、殺(や)った?」
「同じく……八人」
 百十郎の口が、にやりと上弦の月のような形に広がる。
 不揃いで反っ歯の、黄色く醜い歯がぞろりと覗いた。
「で、何を悟(さと)った?」
「簡単なことよ」紫乃は百十郎を見上げ、唇を歪ませた。「人を殺めるために、何が必須か、ということ」
「ほう……面白れえな……お聞かせ願いたいところだ」
 そう言って百十郎が顎の無精髭を撫ぜる。
「速さよりも、技よりも、心を平(たいら)に保つこと……そう難儀(なんぎ)なことではないわ」

 さらに岸へ……百十郎のほうへ向かおうと水面(みなも)に足を進めようとする紫乃。

「待った!」掌を前に突きだして百十郎が紫乃を制する。「日と場所を改めようぜ……第一、そんな赤裸(あかはだか)じゃあ、話になんねえだろ?」
「では、明後日の正午、ここから三里の鬼百合(おにゆり)峠で会おう。言っておくが、逃げても無駄だ」

 百十郎は顎鬚を撫でながら、紫乃の肢体をじろじろと眺め続けた。

「明後日か……せっかくそんなにいい女になったってのに、勿体(もったい)無え話だぜ……」

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