手篭め侍



■第12話 ■ 命のために何処まで


 木から飛び降りた紫乃は、自分がなぜそうしているのか三割(さっぱり)わからなかった。
 
 鞘を左手に、柄をしっかと握り締め、袴をたなびかせ、韋駄天(いだてん)のごとく走る。
 刀を上段に構えたまま、立ち尽くしている少年に向かって、無心に駆け抜けていく。
 立ったまま死んでいる名無しの浪人の亡骸を、首を折られて地面に這っている老婆の亡骸の脇を、走り抜ける。
 百十郎の脇をすりぬけたとき、目前に迫った少年は、まるで“斬ってください”とばかりにその胴を晒していた。
 抜くと同時に、びゅんと風を切りながら刀(やいば)を水平位置まで振り切る。
 足刀を立て、砂利(じゃり)をざざ、と踏みしめて、少年の右斜め後ろで自らの躯(からだ)を停めた。

「わあああっ!」

 がちゃり、と少年が刀を取り落とす音がする。
 紫乃はちらりと自分の握る太刀の刃を見た。
 予想どおり、刃に血糊(ちのり)はない。

 ちら、と小袖の肩ごしに振り返った。

 少年の帯がはらりと落ち、袴がすべり落ちる。
 褌に締(し)められた小さなまるい尻がむき出しになる……狙いどおりか?
 やはり巧(うま)くいった……。
 やがて、その褌もはらりと下に落ち、少年の下半身を隠すもの全てが、その足元に落ちた。

いやっはっはっは!
 百十郎がさも楽しそうに笑う。
「わあっ!」
 下半身を晒された少年が恐怖からか、羞恥からか、その場にしゃがみ込む。

 紫乃は踵(きびす)を返すとすばやく少年の前に回り込んだ。
 あどけなく、少女のような顔が涙に濡れていた。
 慎之介に似ている、と紫乃は思った。いや、その少年は慎之介そのものだったのかもしれない。

「……どうした。刀を取らぬのか。放り出した自らの太刀を」
 紫乃が刃の鋒を、ぴたりと少年の首筋に定める。
「……お許しを……どうか命ばかりはお許しを……」

殺せ」背後から百十郎の声がした。「殺っちまえ。ひと思いに」
 ちらりと横目で百十郎の姿を確認する。
 百十郎もまだ、刀を投げ出したままだ。

(……今なら討てる……あと三歩素早く引き下がり、あの男の喉笛を……)
 しかし、それを悟られてはならない。

「……どなたか存じませんが、どうか命だけは……後生です。わたしはもう、父上や母上の敵などどうでもいいのです……」
 少年が鳴き声で言った。紫乃は思わず少年に向き直り、目を剥く。
「何と……?
「わたしは、物心ついたときから、ずっとあの婆 (ばば)あに仇討ちだのなんだのと引き摺(ず)り回されて……もう疲れました。ふつうに、ただふつうに生きたいのです……どうかお許しを……」
 萎(しぼ)みきり、毛も疎らな赤子のようなものを揺らしながら、少年が紫乃に手を合わせる。

殺せねえのか? そんな餓鬼、見てるだけで苛つくだろう? ……殺っちまえ」
 少年はその場に這い蹲り、紫乃の草鞋にすがりついた。
「どうか! どうかお慈悲を……死にたくありません。わたしは死にたくないのです!」
(……慎之介……そなたもこの少年と同じか……わたしは、あの老婆と同じなのか……?)

 百十郎がじり、と動いた。
 紫乃は少年の足元に転がっていた太刀を道の脇の草むらに蹴り払うと、中段で百十郎に向き直った。

「寄るな! ……寄らば斬る!」
「そんな餓鬼(がき)ひとり殺せねえで、俺が殺れるかよ? ……どうするんだ、その餓鬼」
「……右手を落とす……二度と刀が握れぬように……」
「そ、そんな!」 這いつくばっていた少年が顔を上げて泣き叫ぶ「余(あんま)りでございます!」
 近寄ってくる百十郎に備えて柄を握りなおす紫乃。
 少年には顔を向けず、一喝した。
「ええい、命ばかりは助けてやると言うておるのだ! 右手一本くらいは覚悟せい!」
「お許しを……どうかお許しを……」
 
 じりじりと丸腰のまま歩を進める百十郎。
 若気(にや)けてはいるが、その目はめまぐるしく紫乃の鋒、左右の両肩、両膝の動きを改(あらた)めていた。
 丸腰だが、まるで隙はみられなかった。

「死ぬのも厭、右手をとられるのも厭……じゃあ坊主、てめえ、この場の落とし前をどうつけるつもりだ?」
「な、なんでも……なんでもいたします……ど、どうか、どうか命だけは……」
 にやり、と笑った百十郎が紫乃の目を見る。
「なんでもします、だとよ……おい、お嬢ちゃん、おめえに任せるぜ……この餓鬼を嬲(なぶ)ってやれ」
「な、なんと?」
 紫乃の声が思わず上擦(うわず)った。
「……死にたくねえから、手を斬られたくねえから何でもする、ってその小僧がいってんだ。こいつを生かすも殺すも煮て食うのも、おめえのお望みどおり、ってわけよ……おい、お嬢ちゃん。おめえは……俺を討ちてえんだろ? そうじゃなかったか?」
 ざっ……と一歩引き、突きの姿勢で顔の横に水平に刃を構える紫乃。
「あたり前よ!」
「でも、今のお嬢ちゃんじゃとても俺には敵(かな)わねえ。お嬢ちゃんはまだご立派すぎらあ……俺のところまで、堕ちてくる覚悟はあんのか?」

 何? 一体、なんの話をしているのだこの男は……。

「……お侍様!」
 突然、紫乃の後ろで這いつくばっていた少年が起き上がり、紫乃の脇をすり抜けて百十郎に駆け寄った。
 呆気にとられる紫乃。少年は前を開かれた小袖一枚の、ほとんど素裸だ。
「なんだよ、なんだってんだよこのくそ餓鬼」
 へらへらと笑う百十郎。
「お情けを……何卒お情けを……なんでも、なんでもいたしますからお慈悲を!」
「まったく、しょうがねえなあ……」

 そういうと、百十郎は自らの帯を解き、袴の前紐を緩め始めた。
 そして、泣きはらし、足元に這う少年の前で、悠々と褌をも解く。
 すでに、黒々と激(たぎ)っているあの忌まわしい魔羅が、ぬ、と月明かりの下に顔を出す。
 刀を構えながらも、思わず紫乃は目を閉じ、顔を背けてしまう。

「……おい、小僧。この餓鬼。顔を上げるんだよ」
 そういって少年の髷(まげ)を乱暴に攫むと、ぐい、と自らの魔羅を仰がせる百十郎。
「……な、なにを……」

 少年は自分がどのような目に遭おうとしているのか、まるで理解していない様子だ。
 百十郎が少年の髷を掴んで、自らの股間に押し付ける。

「……ほれ、わかるだろう? 舐めるんだよ。その可愛い口で……咥(くわ)え込んで武者震(むしゃぶ)りつくんだよ……尺八も知らねえのか?」
「そ、そんな……で、できませぬ! そのようなこと……あうっ!」
 少年が厭(いや)がって頭を振ろうとするが、百十郎が前髪を掴んで逃がさない。
 百十郎は口を開こうとしない少年の鼻をつまみ、息を詰め、口を開かせた。
 そして、また自分の毛むくじゃらの股間に押し付ける。
「ほれ、歯立てんじゃねえぞ……舌で舐(ねぶ)り、転がすんだ」
「むっ……ぐっ……うっ……うううっ……」

(……ひ、非道な……まさにあやつは犬にももとる鬼畜生……)
 その酷い有様を眺めながら眉を歪ませていた紫乃だったが、ふと、心がぐらりと揺れる。
 ほんのついさっき……自分はあの年端もいかぬ少年の腕を切り落とそうとしていたのだ。
「おっ……そうだそうだ……はっはっは、おい坊主、お前、なかなか巧(うめ)えじゃねえか……」
 観念したのか……少年は百十郎に月代(さかやき)を撫でられながら、自ら頭を動かしていた。
「んっ……ふっ……んんんっ……んんっ……」
 時おり、息苦しそうな少年の鼻息が紫乃まで届いてくる。
「おいおいお嬢ちゃん、この餓鬼、ほんとに悦んで武者震(むしゃぶ)ってるぜ! そこいらの玄人(くろうと)女よりも、丹念で思いが篭っててこりゃたまんねえや……なあ嬢ちゃん、おめえもそんな物騒(ぶっそう)なもんは仕舞って、こっちに来いよ!」

 そういって、百十郎が手招きする。
 なぜか、じり、と地面を踏みしめる草鞋(わらじ)が、手招きに吸い寄せられるように、前に滑った。

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