先生、この冷たいのなんですか
作:西田三郎
「第3話」■ピリ、ピリ
またも悠が口を効くのを止めた。
まるで海千山千のベテランボクサーのように、悠はおれに猛攻を掛けたかと思うと、ぱっと打つ手を止めておれの反応を待つ。
相変わらずおれたちを追い抜く人もなければすれ違う人もない。
辺りを見回しても吹雪が5メートル先の視界を遮る。
話題にするべきことも、話をそらすきっかけもない……。この一直線の雪道はおれに対するお仕置きかなんかなのか?……吹雪はその思いに拍車を掛ける。
そして悠の沈黙はどう考えてみてもおれへの糾弾であるに違いない。
只でさえ、おれはおしゃべりな男で沈黙に弱い。
悠はそんなおれの薄っぺらな人格と弱点を十分に認識しているのだろう。
サク、サク。
ひたすら無言で歩きながら、それでもおれの思考はこの現実を逃避し、3ヶ月前に舞い戻っていた。
“……先生、あたし………”
教師をやって十数年になるが、あんなことははじめてだった。
教師をやっている者のうちで、特に性別が男性であり独身、かつ一人暮らしをしている者にしてみれば、一度は夢見る状況である。つまり、こういうことだ……簡単なコンビニ弁当の食事を終え、タバコでも吸いながらテレビを見て、さあそろそろせんずりでもぶっこ抜いて寝るか、という時間帯に、不意にアパートの呼び鈴が鳴る。誰だと思ってドアを開けてみると、そこには何やら思いつめた顔の教え子である女生徒が立っている。
制服姿にマフラー。俯きがちにおれのスリッパのつま先の方を見てもじもじしている。
“……あ、あの……お邪魔じゃないですか?”
お邪魔であるとかそうではないとかいう問題ではなく、時刻はもうすでに遅い。終電は間近で、しかもこんな寂しい町の夜道に一人で女生徒を追い返すわけにもいかない。
様々な言い訳が頭の中を駆け巡ったが、とにかくおれは悠を部屋に入れることにした。後はマフラーを取らせえてコタツに入れてコーヒーも煎れて……。「パンストを破いたり、先に脱がしたりするのが先生の趣味なんですね?」
また悠のだしぬけな問いかけに我に返る。
「……え……あの……」またフェイントだ。
「これまでに、他の女の人にもああいうことをしてきたんですか?」悠の声は未だ平坦だ。「それとも、あたしにだけあんなことをするんですか?」
「……うーん……」サク、サク。
いや、確かにこれまでに付き合ってきた女にもああいうことはした。
確かあれは学生だった頃だったかな。当時付き合っていた彼女とささやかな旅行をした。行き先は……飛騨高山だったか、それとも倉敷だったか、そのへんの記憶は曖昧だ。 ホテルにチェックインするなり、彼女が大きな声を上げた。
“あー!………パンスト、デンセンしちゃった……”
“替え、持ってきてるんでしょ?” それほど大事とは思わなかったので、おれはその時点では何も感じなかった。
“うん……でもこっちでいっこ、新しいの買わなきゃ”
そう言って彼女はパンストを脱ぎ始めた。
おれはベッドだか窓際に設えられたソファだったかに腰掛けながら、その様子を見ていた。すると……妙な気分と素晴らしいアイデアがムクムクと膨らんでいくのが判った。
“……ちょっと………ちょっと待ってくれ”おれは腰を浮かせて言う。
“……え、何?”
“そのパンスト、もう使わない?……その……捨てるわけだろ?”
“え……?そうだけど?”
“じゃあ、その……何だ。悪いけど……おれに破らせてくんないか?”
しばらくの沈黙。
“えー……何だか……ヘンタイっぽいよお……きゃっ!!”
一も二もなく、おれは彼女に飛び掛っていた。
そしてパンストを思うがままに引きちぎる。
“えー……ちょとお……待ってよ、待ってたら……”彼女は言いながら、半笑いだった。“きゃー……おかあさーんー……”
パンストがピリピリと高い音を立てて裂けるたび、そしてパンストの裂けた部分から覗く彼女の素肌の太股が広がっていくのをみるだび……おれの脳からドクン、ドクンと分泌されたアドレナリンが全身に充満していくようだった。あんなことは小学生の頃、自転車で転んで頭を打ったとき以来のことだ……おれはパンストを裂いた。裂きまくった。
“めちゃくちゃにして……いいんですよ”
彼女は言った。よっておれはとりあえず頭の中の“メチャクチャにする”という表現に最も適していると思われるパンスト破りを決行した。その日の彼女のパンストは黒で、おれがピリリと引き裂くたびに露になる彼女の白い肌とのコントラストは何物にも代えがたいものがあった。彼女は少したじろいでいる様子だったが、自分の口から“めちゃくちゃにして……”と言った手前、あまり動揺を表に出さないよう、必死に堪えているのが見て取れた。そんな仕草がまたおれのアドレナリンをさらに搾り出す。恐れと、興奮と、期待の入り混じったあの目線に見上げられておれは……。「何思い出してるんですか?」冷たい強風の向こうから、悠の声が聞こえてくる。
「あ……」おれは現実世界に……寒風吹きすさぶ雪道に呼び戻された。そういえばそうだ。一体誰のことを思い出してたんだっけ?……昔の彼女?悠?
「ああいうのって……その、やっぱり男の人のレイプ願望の表れなんですか?」
「レ、レイプ?」
「そうです。男の人にはそういうのが誰でもあるって聞きました。やっぱり……あたしの手を縛ったりするのは、先生のそういう願望の表れなんですか?」
「ううむ……」
「別にいいんです。責めてるわけじゃないですから」責めてるじゃねえか。
「いや……その、なんというか……“レイプ願望”なんつーとすっごくいかがわしい感じがするけど……そういうんでもないんだなあ……その、なんてーの?そういう事をああいう事する場でさ、二人で一緒にやると……その、なんていうか楽しいじゃん。ねえ、そんなことない……?」
「楽しい……んですか?」
「…………」よく言うぜ。てめえだって随分興奮してたじゃねえか。
と、おれは心の中でエロ小説のように毒づいた。「じゃあ……あれはなんですか?」
「えっ?」
「目隠し」悠がポツリと呟く。サク、サク。
<つづく>
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