扇蓮子さんのクリスマス
作:西田三郎
「第3話」■もういくつ寝るとクリスマス?
それから毎朝、そのお爺さんを見かけるようになった。
お爺さんはいつもあのマンションの前のパイプ椅子の上に、白い杖を持ってお地蔵さんみたいに腰掛けてる。頭にあのバカ帽子を被って。
そんであたしが前を通りかかると、毎朝毎朝、こう言うわけよ。「……ゆみこお……ゆみこやろ……その足音は……ゆみこ、ゆみこなんやな?」
あたしはいつも無視して通っていた。
でもその日はちょうどクリスマスから一週間前やったらしいんよね。
あたしが通り過ぎて、数歩行ったところでお爺さんがあたしの背中に呼びかけたんよ。
「……なあ、ゆみこ、今年のクリスマスは来てくれるんやろ……?」はあ?……って思ったわ、実際。
どうやらおじいさんのとこには、毎年孫だか娘だかの「ゆみこ」が遊びに来るのことにになってるみたいなんよね。少なくともお爺さんの中では。……でも、どうなんやろ。毎年、ほんまに「ゆみこ」はおじいさんのところに遊びに来てるんやろうか?……あたしがその「ゆみこ」やったら……せっかくのクリスマスをあんなじーさんと過ごしたくはないなあ。あんな汚いマンションで、二人っきりで。
たぶんお爺さんはボケてるんやないかな、とあたしは思た。
そりゃ、例の「ゆみこ」ちゃんも、小さい頃はクリスマスの度にお爺ちゃんのあの汚いマンションに遊びに来ていたのかも知れへん。でもなあ……仮に「ゆみこ」ちゃんが、年頃の娘さんやとしたらどうやろう?
遊びに来るわけないわな。あんなマンションに。あたしは何故か後ろ髪を引かれる思いで、そのまま会社に向かった。
お爺さんに言われて、そう言えば今日はクリスマスから1週間前やっちゅーことに気づいた。べつに嬉しゅうとも何ともないけど……今年のクリスマスは会社が休みの土曜日(注:うちの会社は隔週土曜休だ)。
はああ……と思わず溜息が出たわ。
会社のほかのギャルの皆さんは何か知らんけど、みんなウキウキ気分。
昼休みともなればチャラチャラした若い衆がそれぞれのクリスマスの予定をあれこれ打ち明けあってけつかる。ああもう、うんざり。
それに加えてや。
その日の昼休み、あたしがコンビニの弁当食べて、会社の喫煙スペースでひとりタバコを吸ってるたときに、急に携帯が鳴った。「……もしもし?」我ながら、ほんま無愛想な声やったと思うわ
「あ、……おれおれ。蓮子?……元気か?」今年の夏の終わりに別れた男からやった。
「………何?………何か用?」あたしはますます無愛想な声になってもた。
「……別にとくに用っちゅーわけでもないんやけどな………それはそうと、お前、クリスマスとかどうするわけ?………何か、予定とかあったりすんのか?」
「そんなんあんたになんも関係ないやろ」
「いや、その……なんちゅうか、おれもヒマでなあ……やっぱご時勢はクリスマスやんか。その……どや、いっぺん、俺と会うて、メシでも食うっちゅうのは?」
「…………」
あたしはその時、ほんっまにこの男と別れてよかったと思たわ。
よーするに、アレやろ?……世間はクリスマスなもんやから、なんとなく意味もなく人恋しゅうなったこの男は、コナかける相手がおらんかったっちゅー話や。ほんま、あたしを何やと思とんねんやろ。
「……悪いけどな。あたしには先約があんねん。あんたなんかと付き合ってるヒマないわ」
「……え、何?蓮子?……ひょっとして新しい男できたん?」男は半笑いやった。いやほんま、まじでムカついたわ。「へーえ……そりゃ良かったなあ……で、何?新しい相手は、会社の人か?」
「知らんっちゅーねん。そんなん、あんたと何の関係もないやろ。放っといてんか」
「……どっちにしろそれやったら……おれ、寂しいなあ……どうやってクリスマス過ごしたらええんや」
「知るか。援交でもしとけ」
あたしはそのまま電話を切った。さらに携帯に残っていた男の電話番号を削除した。何でか知らんけど……その日まで、削除すんのを忘れてたみたいや。その日もハードに残業で、会社出たんは11時を回ってたかな。
親の仇みたいに寒い日で、あたしは分厚いコートの上にマフラーをぐるぐる巻きにして帰り道を歩いてた。
会社の周りはそれなりにに賑やかやろ。でも、デパートとかも閉店して、店の周りのイルミネーションすら消えとる。いつもはイライラするだけやのに、なんか心の芯まで寒なってもたわ。なんやかんや言いながらも、あたしは去年のクリスマス、さっきの男と過ごした一夜の事を思い出してた。
……ちょっと西田くん、またあんた、やらしい事考えてたやろ。……そりゃまあ……やらしい事もしたよ。いつもよりちょっといい晩御飯食べて……どこやったかなあ……小じゃれた小さいレストランで、コース料理やったと思うわ。
それから予約したちょっとましめのホテルでさ、ほら、アレよ。プレゼント交換したりしてな。
え、何?“プレゼントは……ア・タ・シ”って?……アホか。どつくで。
男から貰うたんは……ほれ、このネックレス。ええやろ。いちおう銀やで。メッキちゃうで。……ああ、あたしは現実主義者やからね。別れた男から貰うたもんを捨てたりせえへんよ。とまあ、その前の年はいろいろとそれなりに楽しい思い出があった訳よ。
そやから帰り道はますますブルーやった。で、駅からの帰り道、またあのマンションの前に通ったんよ。
昨日と同じやった。パイプ椅子の上に、バカ帽子がひとつ。
お爺さんはこの汚いマンションの中のどれか部屋で、一人寂しく寝てるんかなあ……なんて考えみた。
もしくは寝る前の一杯でもやってるんかも知れんね。
……どう考えても、おじいさんに家族が居るとは思えへんかった。あたしはまた輪を掛けてブルーな気分になってしもたまま、家に向かった。
それからも毎朝、おじいさんに会うた。
「ゆみこ……あと6日でクリスマスやねえ」
「ゆみこ……あと5日でクリスマスやねえ」
「ゆみこ……あと4日でクリスマスやねえ」
……。
一日一日、おじいさんのカウントダウンは続くわけ。あたしは何も答えへんけどね。
それで帰り道には……あのパイプ椅子の上に置かれているバカ帽子を見る。
やっぱり23日の金曜日の晩もおんなじようにバカ帽子を見て………はあ、あしたはクリスマスなんやなあ、と思わざるを得んかったわけ。
<つづく>
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