扇蓮子さんのクリスマス

作:西田三郎
「第2話」

■バカ帽子の爺さん

 ……ちゅーか、クリスマス前の時期は毎年忙しいわけよ。

 若い頃はなんぼ徹夜しても大丈夫やったけどな。25越してから、どうもあかんわ。あれは……えーーっと……今から5年か6年前の話やから、うん、確かに25は超えてたな。言わんでも判ってると思うけど。

 今年もかなり寒いけど、あの年もめっちゃ寒い日が続いてた。
 最近は地球温暖化の例にもれず、この大阪の冬もあったかくなってるらしいけどな。
 それにしても、あの年の冬は得に寒かったんをよう覚えてる。
 っちゅーのも、その年あたし……それまでつき合ってた男と別れてな。
 何?あたしが男とつき合ってたら悪いんか?そりゃあたしかて男とつき合ってたことありますよ。あんた、前から思てたけどあたしの事ちょっとナメてるやろ。

 ……まあええわ。

 夏の終わりくらいやったかなあ……。
 それまで結構長いこと続いてたんやけどな。3年くらい。しょーもない事で喧嘩して、それで勢いで別れてしもた。喧嘩の原因?……えーーっと……何やったかなあ……あたしもあの頃から結構忙しかったし、相手も結構忙しかったし、あんまり会う時間も持たれへんかったから、知らん間にいろいろとすれ違ってたんやろうねえ……ま、どうでもええわ。そんなん今となっては。

 ちゅう訳で、あたしはその年、心も体も寒かったわけよ。
 あ、体っちゅうても、ヘンな意味やないから誤解せんといてや。ニヤけるとこちゃうで、ここ。
 で、それに加えてクリスマス前の慌しい時期で、気分もささくれてたんかなあ。
 朝、出勤の時に家から駅までの道をイライラして歩いてたんよ。
 
 ちょうど駅近くの公園のあたりまで来たとこで……どこかから、なんか妙な声がしたんよ。

 「……ゆみこお……ゆみこお……

 当時かなり疲れてたから、最初は空耳かと思たわ。
 で、あたりをきょろきょろ見回したら、きったなーい、半分腐ったみたいなボロマンションの前に、ミイラみたいなお爺さんが一人、パイプ椅子に座ってたんよ。毎日毎日、ずっとその道通って会社に通うてたんやけど、それまではそんなとこにマンションがあることすら気にもしてへんかった。
 で、あたしは声のする方に目を凝らしてみた。
 
 いやあ……びっくりしたね。
 あたしもついに、ストレスでおかしゅうなったんかなあ、と思たわ。
 
 なんでってさ、そのお爺さん、銀色のクリスリマスの三角帽子被ってるねん。いわゆる、バカ帽子
 そのお爺さんは白い杖を持ってて……まるでお地蔵さんたいにそこに座ってた。ほんまにあのお爺さんが喋ったんやろうか?……あたしは思わず立ち止まってた。

 あたしがしばらくお爺さんを見てると、お爺さんは言った。

 「……ゆみこお……ゆみこやろ?……その足音は…………ゆみこ、ゆみこなんやな?」

 あたしは急に気持ち悪くなって、急ぎ足でその場を立ち去った。
 “ゆみこ”?……誰なんやろう?……あたしは蓮子。
 たぶん、あの爺さんの娘か孫か、そんなところなんかなあ……?
 でも……足音が似てるって……何やそれ。確かにお爺さんは白い杖持ったはったけど……。
 その日も忙しかったけど、あたしの頭の中から、あのお爺さんの姿と“ゆみこ”の名前は消えへんかった。いくら仕事に集中しようとしても、あかんかったね。なんか心に付箋がついてるみたいな、そんな変な感じやったわ。

 その日、仕事が終わったのもほとんど終電間近で、あたしは駅からの帰り道をまた急ぎ足で歩いてた。

 まさか、まさかとは思うけど、あのお爺さんがまたあのボロ・マンションの前であたしに“ゆみこお……”って呼びかけるやないかとは思ったけど、その晩はそんなことはなかった。

 でも代わりに、あのマンションの前には、お爺さんの腰掛けていたパイプ椅子だけがあって……その上にはあのクリスマスの三角帽子がぽつんと置かれていた。

 あたしは思わず立ち止まって……なんとなくその帽子に手を伸ばしてみた。

 手袋をしてなかったから、なんかその表面はめっちゃ冷たかったわ。

 あたしは慌てて手を引っ込めて、コートのポケットの中に突っ込むと、自分の指先を温めた。ただでさえ身も心も寒い年末やというのに……なんか、余計に寒うなったような気がしてしもた。

 あたしはそのまま歩き出して、途中のコンビにでおでんを買った。
 
 部屋に帰ると、部屋の中は冷え切っていて、……当たり前やけど真っ暗。電気をつけて、お化粧を落としてから電子レンジでチンして度コンビニのおでんをあっためて、一人でそれを食べた。

 どうしてもあのお爺さんのことが気になって仕方なかった……いや、言うとくけど、あたしはもともとそんなに人に対して優しい人間でも何でもないよ。……そこ、頷くとことちゃうで。まあ、その、人に自慢できるくらい、これまで人に良くしてきたことなんてないし、あったとしても電車の中でお婆さんに席を譲ったことがあるくらい。それもかなり体の調子も気分もええときくらい。

 でも、何なんやろうなあ……こんなクソ寒い時期に、あんなバカ帽子被って、孫だか娘だか知らない“ゆみこお……”を待ってる、白い杖を持ったお爺さん……。それを思い出すと、なんだか妙に悲しい気分になってもた。

 だいぶ心が弱ってたんかも知れんね。

<つづく>



 
 

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