先生、この冷たいのなんですか

作:西田三郎
「第2話」

■グサ、グサ

 このままただただ前方に歩いていけば、ちゃんと駅に着く筈だった。
 しかし吹雪のせいで、前方5メートル先もおぼろげにしか見えない。太陽はどこに行ってしまったんだろう?ほんとうに道はこれで合ってるのか?
 だんだん自信がなくなってくる。

 ちょうど40歩ほどを沈黙のうちに歩いたところで、空耳のように悠の声が聞こえてきた。

 「……なんでいつも……」口調も歩調も一本調子のままだ。「……なんでいつも、縛るんですか」
 「……え……」心の芯まで凍てつきそうな気温の中、おれの脇の下に汗が滲む。「……いつもって……そんなにいつも縛ってたかなあ……」
 「縛るじゃないですか、いつも」悠の声に非難の色はない……ただこの一面の銀世界と同じく、何の色もない「今日だって、縛ったじゃないですか
 「今日は……でも、手首だけじゃないか」
 「でも、縛ったじゃないですか。頭の上で」
 「……」

 いや、確かに縛った。それは事実だ。
 しかし……そんなにきつくは縛っていない。悠も痛がっている素振りは見せなかったし……だいたい使用したのはホテルの部屋に設えられていたバスローブの、タオル地のベルトである。痛いはずはないし、跡なんか残る筈もない。
 
 「先生は、好きなんですか……縛るのが
 「……えーっと……」どうなんだろう、実際。
 「あれなんですか?……えーっと……M?………」
 「それはマゾだ」
 「そっちなんですか?
 「いや……そうじゃないけど……」いや、そっちもどうなんだろう?
 「じゃあSのほうですか」
 「……いや、っていう訳でもないけど……」どうなんだ、実際。
 
 サク、サク。
 
 妙なところで会話が途切れてしまった。
 いや、確かに……おれは女の手を縛るのが好きだ。しかし……“好きだ!”と、言い切れるほど好きなのかといえばそうではないような気がする。どっちなんだ。どっちかと言えば、好きな方だ。かといって、縛らなければ興奮しない、という訳でもない。縛るとさらに、尚一層興奮する……というところか。

 「先生は、ああいう風にしないと興奮しないんですか?」
 「ええっ……?」 突然、胸元に冷たい手を差し入れられたようだった。

 「なんでなんですか?……相手の自由を一時的に剥奪することで、優越感を感じたいからですか?」
 「……いや、そんな、そういう難しい問題じゃないんだが……」

 そう言われてみると、そうであるような気がする。
 悠は読書家で、同年代の女子と比較してみても、語彙の多い方だ。
 
 無言で歩きながらも、おれは何故いつも悠の手首を、後ろ手や万歳の格好で縛るのか……そうすれば何故興奮するのか、その理由を考えていた。これまで一度もそんなことを真剣に考えたことがなかった……。

 “……縛るよ

 2時間ほど前、悠にそう言った時、悠の様子にいつもと違う感じは見られなかった。というか、いつもどおりの流れだった。
 悠は少し顔を高潮させていた……少し不安げで、それと同時にかすかな期待と興奮を伺わせるあのなんとも言えない表情で、いつもどおりおれを酷く興奮させた。こういうのを、“萌え”というのかね?最近は。まあ世間一般のことはどうでもいい。

 少し俯きながら、悠はおれに手首を差し出す。昔の刑事ドラマで、ベテラン刑事に説得された凶悪犯が自ら進んでお縄に掛かる時のように。おれはまったくの強制力も、威圧も、横暴も伴うことなく、悠の手を頭の上で重ねると、その細い両手首を頭の上で可能な限り優しく(しかし自力ではなかなか外れないくらいの微妙な強さで)結わえつけた。

 “………”

 シーツの上に立ち、頭の上に手を結わえ上げられた悠の姿を見下ろす。
 悠は少し恥ずかしそうに目を逸らせた。
 悠は黒いセーターにベージュのチェックのフレア・スカート……スカートから覗く脚は素足だった。その前におれは、悠のパンストを脱がせていたのだ。
 悠の脚はか細いが、そのわずかばかりの全身身長の中でそれなりの幅を占めている。数ヶ月前までは処女だったそのたよりないくらい白い太股には、部屋の暖房によって突然暖められたことよって生じたのだろう、うすく赤い斑点がところどころ浮いていた。 おれの視線を感じたのか、悠が太股をすり合わせる。

 “……あんまり……見ないでください……”消え入りそうな声で悠が言った。

 「……それに……何でいつも先にパンストを先に脱がせるんですか?」
 
 突然、悠がまたあの一定の調子で言ったのでおれは我に返った。

 「ええ?」
 「何で、パンストを先に脱がせるんですか?」悠がまるでテープレコーダーのように繰り返す。「……先生は、その、いわゆる脚フェチなんですか?」
 「……いや、その……そういうんでも……ないなあ……」事実、どうなんだろう?
 「あの、初めての時は、あたしのパンスト破りましたよね」
 「あ……」そうだった。そのことははっきり覚えている。

 おれはまた、自分の歩いてきた道を振り返った。
 延々とふたつの足跡は遥か向こうへと続いているが、吹雪にかき消されてラブホテルは見えない。

 サク、サク。

<つづく>



 
 

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