大男

〜あるいは、わたしのレイプ妄想が生むメタファー〜



作:西田三郎


■9■ 息子の目の前で


「……で、それまでは問題なかった、ということですか。あなたたちご夫婦は、幸せだったと」

 何でまた、わたしはカウンセリンなんて受けているんだろう。
 亀男に羊女。カウンセラーなんて、みんな同じようなもんだ。結局、落胆させられて帰ることになる。
 目の前に座っているのは、ヨボヨボの老人を演じている志村けんみたいな、ほんとうによぼよぼのおじいさんだった。
 『ダメだこりゃ』と言って帰りたくなっ たが、まあわざわざ予約まで取ったんだし……わたしはこの老人医師に、すべてを話した。
 彼はとても聞き上手で、一回もわたしの話に言葉を挟まなかった。
「……はい」わたしは答えた。「昨日までは
「つまり昨日、何か大きく変わったことが……あったと」
「はい、とんでもないことです……一番、あってほしくないことが起こりました」
「……ふうん」老医師は何か考え込んでから、周囲を見回した。「まだ、タバコは吸われますか?」
「え?」
「タバコです。もうこの病院に勤めて、三〇年になりますが、五年前から完全に全館禁煙です……いまちょっと、看護師さんもいませんし、もしよければ一緒に 一服しませんか?」
「は、はあ……」あっけにとられているわたしの目の前で、老医師は抽斗からキャスターマイルドのパックと携帯灰皿を取り出した。「あの……いいんでしょう か?」 
「いいです、いいです。お持ちでなければ、どうぞ一本」
 目の前にくしゃくしゃのパックから突き出したタバコがある。
 キャスターマイルドの紙パックだった。
 わたしはそれに手を伸ばしていた。止めて何年になるだろうか……タバコを咥えると、老医師は 古いロンソンのライターで火をつけてくれた。
 そして彼は自分も一本咥えると、火をつけて吸い込んだ。
「あああ、おいしいですねえ……煙は」老医師が本当に美味しそうにタバコの煙を吸い、吐き出す。
「あとで臭いでバレますよ、看護師さんに」わたしは笑いながら何年かぶりの煙を味わった。
「いいんですいいんです。ここの看護師さんも、よく隠れて吸ってますからね……お互い様です。お互い、内緒にしているんです……堂々とお互いの前で吸わな い、ってことを前提にね」
 わたしは、クスっと笑った。これまでで一番ましなカウンセラーだと思った。
 しばらくわたしたちは、無言でタバコの煙を味わっていた。
 先に沈黙を破ったのは、老医者のほうだった。
「あの……これはわたしの我流なんですけれどね。特別料金なしで、特別な治療をいたしましょうか?」
「え?」何か、エロい感じの言葉だった。でもまあ……目の前にいるのは私のおじいちゃんより年寄りの医者だ。「……特別な治療って……何ですか?」
「一種の催眠治療です。昨日あったことを、できるだけ鮮明に思い出せます……あなたの言葉から、わたしは何かのヒントを得て、いいアドバイスが出来るかも しれない。気休めの言葉や、お薬の処方箋だけじゃない何かを」
「…………」もちろん、少し逡巡した。

 催眠治療?……そんなの、いかにもインチキ臭い

 でも、昨日あったことはあまりにもわたしにとってショッキングな出来事だった。
 二度とあんなことはあってほしくない。
 もうこれ以上、絶対にいやだ。
 時間 が巻き戻せるなら、昨日より前のわたしに戻りたい。わたしはしばらく考えてから、医師に言った。
「試して……もらえますか?」
「……そうですか」
 老医師はとくに喜んだふうでもなく答えて、携帯灰皿でタバコを消した。わたしもそれに傚う。
「どうすれば……いいんですか?」
「背筋を伸ばして……はい、そうです。まっすぐわたしの方を見てください……はい、そのまま、そのまま……リラックスして……まっすく前を見て……ハイ、 そうです。では、これを見て」
 突然、目の前で、ロンソンのライターがフラッシュする
 小豆くらいの火が灯る。
「いいですよ……火を右に動かします……頭を動かさずに、目だけで火を追ってください……そうです……次は、左に動かします……ゆっくり、ゆっくりで す……はい、元に戻ります……次はまた右です……」
 だんだん、部屋の中が暗くなっていく。
 目の前に灯るライターの火に、すべての明かりが吸収され……やがて見えるものは、火の明かりだけになった。

 寝苦しいので目を覚ました。
 目に入ってきたのは、ベッドサイドに置いた電気スタンドのオレンジの明かりだった。
 どうやら本を読みながら、そのまま眠ってしまったらしい。
 枕元に置いていた携帯で時刻を見ると……午前3時。
 ふと、ダンナを起こしてしまったんじゃないかと思って、隣を見る。そうか……今夜はダンナ、出張でい ないんだっけ。
 
 それにしても何で目覚めたんだろう?
 
 喉が渇いているわけでもないし、おしっこに行きたくなったわけでもないのに。
 と、その時だった、嗅ぎ違えるはずがない……あの獣じみた体臭が、むわっ、と沸き上がてきた。
「???」でも、どこから?……わたしは周囲を見回した。
 そ、そういえば息子はどこにいるんだろう?
 いつも、夫とわたしを挟んで、ほんとうに親子川の字で一緒に寝ていたのに。息子の姿もない。
 ナイフですっとなぞられたように、背中に悪寒走る。
 この嗅ぎなれた体臭の出どころはどこだ、なんてどうでもよくなった。
 わたしはこのとき、あの『大男』に対してこれまでとは比べ物にならない恐怖を感じた。
 
 あの『大男』がもし、息子に対して何かしていたら?
 ……これまでわたしに対してしてきたように、無慈悲で理不尽でおぞましいくて卑劣なことをしていた ら?
 
 わたしは大声で息子の名前を呼ぼうとしたし、ベッドから起き上がろうともした。
 しかし、両方ともできなかった。
 前者はなぜか……息子の名前がとっさに思い出せなくなったから。 
 後者は、大きな両腕がわたしの両手首を掴んだからだ。
「???えっ……やっ……えええっ?」
 ベッドの両端から、2本の手が伸び、わたしの両腕を捕まえていた。
 途端、ベッドに触れているわたしの手のひらが、違うものの感覚を捉えた。
 シーツの布地ではない。ベッドの一面が、じっとりとして、息づく人間の皮膚になっている。
 ベッドは巨大な肉でできていた……さっきまで普通のベッドだったのに。
「い、いや……」
 わたしは身をよじろうとしたが、さらに2本の手が……これはふつうのサイズだった……肉のベッドから飛び出してきて、わたしの両胸を掴ん で、ベッドに引き倒した。
やめてっ!
 わたしは大声で叫んだ。
「……わたしの息子は……わたしの息子をどうしたのよ?」
 肉のベッドは答えない。なぜならそれには応える顔がないからだ。
 さらに3本の手が飛び出してきて、わたしの下半身を捉えた。
 それがわたしのスウェットパンツを脱がそうとしている。
やめてってば!」わたしは叫んだ。「もう、あんたなんかにはゼッタイにさせないっ!……わたし、結婚したんだよ?……子どももいるんだよ?……ねえ、息 子はどこにいるの?……わたしの息子に、何かしたの?……もし何かしたんなら……きゃあっ!」

 ビリッ。

 両胸を激しく捏ねていた手が、わたしのTシャツを引き裂いた。
 さらに手がたくさん伸びてくる……5本、6本……数えるのもバカバカしくなるくらいに。
 それがわたしのシャツの残骸を引きむしっていく。
 スエットパンツも、ふつうに脱がそうという気はなくしたみたいだ。
 数本の手が、それをビリビリに破き、 取り去ってしまった。あとはパンツ一枚だ……と思ったが矢先に、それも毟り取られた。
 もう、犯されることに関しては観念した。
 しかし、まだ顔を見せていない『大男』には、挿れられる前に、これだけは言ってやりたかった。
「……や、ヤるんだったら、わたしを犯して気が済むんだったら、好きなだけやんなさいよ……もう、これ以上いらないってくらいにヤりまくりなさいよ……で も、息子に手を出したら……あんたが息子に何かをしたら……わたしは、あんたのチンコも、指も全部噛み切ってやるから……何本出してきても、全部、噛み 切ってやる。で、あんたの喉ぶえにも噛み付いてやる……あんたの顔の皮を、わたしの歯で剥がしてやる……ぜったいに、ぜったいに、ぜったいに、許さない。 ぜったいに許さないから……きゃあっ!」

 何十本もの手がわたしを肉のベッドから空中に持ち上げた。
 わたしは両手を左右にまっすぐに伸ばしたまま、になるような姿勢で固定される。
 脚も大きく開かされ、その間には何十本もの指が這い回り、わたしをその気にさせようとしている。
 怒りと憎しみで一杯のわたしから、快感を引き出そうとして。

  お笑い種だ。

 鼻で笑ってやろうとした……と、大きく開かされた脚の間の真下から、巨大な二つの瘤が盛り上がってきた。
 何だと思ったら、それは巨大な膝だった。あの 『大男』のだ。
 両方がわたしの抱え上げられている高さまで盛り上がり、わたしの膝の間に分けいると、さらに脚を広げはじめた。
「くうっ……!」いつもことながら、とても抗える力ではない。
 わたしの膝を開く『大男』の巨大な膝の間から生えてきたのは……もう言わなくてもわかると思うけど、あの大きすぎるペニスだった。
 ベッドサイドの明かり に灯されて、それはつやつやで、絖っていて、ビクビクと息づいていた。
「……ふん」わたしは言った。「ヤれよ。大男。さっさとヤれよ。この脳なしのチンポ野郎。やるだけやって、いつもみたいにサッサと消えろよ

 そのときだった。
ママ……

 はっとして顔を上げる。
 肉ベッドの前に、わたしの息子が立っていた。
 息子は、肉ベッドに大きく脚を広げられ、いままさに挿入されんとする、わたしの姿を、ほぼ正面から見ていた。

いやあああああっ!」わたしは大暴れした。 突然耳をいじられた凶暴な猫みたいに。「だめっ!!こっち来ちゃダメ!……あっちに行きなさいっ!……見ないでっ!
 息子はわたしの姿をじっとを見ている。何か不思議なものでも見るような表情で。
 確かに、見られているわたしのほうは、かなり不思議な状態だった。
「おっ……お願いっ……」わたしは、未だに顔を見せない大男に言った。「…………お願い……やめて……あの子に見せないで……お願いだから……はああっ」 先端が、わけ入ってくる。「ああああっっ!」
 わたしは息子の名前を呼ぼうとした。

 でも息子の名前が、どうしても思い出せなかった。


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