図書館ボーイ
作:西田三郎
■8■ 談話室にて……更衣室の回想
第3会議室はヘンなところだった。
確かに鍵は空いており(仲馬さんが開けておいたんだろう)、中に入ることはできた。
そこは図書館の係員が子どもたち向けに、絵本の読み聞かせをするための部屋らしい。
ふわふわのビニールで作られた10畳ほどの床があり、ちゃちな滑り台、大きな積み木、くたくたに疲れた感じの熊やゴリラ、キリンのぬいぐるみが散乱している。本棚には、読み聞かせ用の大判の絵本がずらりと並んでいた。
たぶん、ここにあるものはすべて、子どもたちが安心できるようなファンシーな色合いで統一されているんだと思うけど……カーテンを締め切り、明かりを点 けない状態で眺めるその部屋の様子は、かなり不気味だった。
どこか、頭のおかしい大人を監禁するために作られた部屋のようにも見えた。
しばらくその暗闇で立ち尽くしていると、イヤフォンから仲馬さんの声がした。
「……素敵な部屋でしょ?」
「……………」少なくとも、そうは思えなかった。
「ちょっと手が離せないからさ……このままお話しようよ」
今さら……何を話すというんだろう?
しばらくの沈黙。
図書館というところは……あたりまえだけど、とても静かだ。
沈黙していることが図書館のルールで、みんなそれに従っている。だからみんな、頭の中で自分で自分に話かける。
……これでいいのか?……とか、それが知りたいのか?……とか、一体おまえは何がしたいんだ?とか。
しばらくすると、またイヤフォンから仲馬さんが話しはじめた。
「……なんで、あの本を読みながらゴシゴシしてたの?」
「『カラー図解:女性器の形状』のことですか?」それは……あんたにそうしろと言われたからだよ。
「いやそうじゃなくて。きみとわたしがはじめて会ったときのことだよ……ほら、あの本。『学校現場の性被害〜声なき被害者たちの声』……なんであんなの読んで、ゴシゴシしてたの?……もっと真剣に探せば、図書館にはもっとエッチな本がたくさんあるのに」
「……それって……お話しませんでしたっけ」
「……え?そうだっけ?……でも、もう一度聞きたいな〜……」
気持ちはわかった。
ぼくだってあの本を、何度も何度も何度も何度も繰り返して読んで、その結果こんなことになってしまったんだから。
「わかりました……話します……でも……これっきりですよ……」
「……『これっきりですよ』って……なんだかセクスィーだわ〜」
「……………」
ぼくは仲馬さんのチョッカイを無視して語り始めた。
あれは、学校で水泳の授業が始まってすぐの頃だった。
歴史の授業中、突然気分が悪くなったぼくは、先生に保健室に行かせてくれ、とお願いした。
ぼくは昔から、それほど身体が丈夫ではない。だから先生も、『大丈夫か』と気遣いながら、ぼくの離席を許してくれた。
ぼくは教室を出て、保健室を目指した。
教室から保健室の途中には、女子が更衣室として使っている空き教室がある。
そのとき……ちょうど女子たちは水泳の授業中だった。
更衣室の前を通りかかったとき……その教室のドアが少し空いていた。
本当は当番の子が鍵をかけなければいけないのだけれど、うっかりかけ忘れたか、当番の子がだらしない子だったのかのどちらかだ……うちの学校はけっこうなお坊ちゃん・お嬢ちゃん学校なので、どこか校風はおおらかで、のんびりとしている。
季節は初夏だったが、学校は一年中、眠い春のような空気に満たされていた。
ぼくはそのドアの隙間を見て、足を止めた。
カーテンが締め切られ、明かりの点っていない、誰もいない部屋が覗いていた。
「……ちょっと待って」と、仲馬さんがぼくの話を中断する。「……ええっと……最初に聞いたときもおかしいと思ったんだけど……きみの話じゃ、なんか“たまた ま”女の子たちが水泳の授業がやってる時間に具合が悪くなって……“たまたま”更衣室の前を通りかかったときに……“たまたま”更衣室のドアが開けっ放し になってた……って感じなんだけど……それって、なんかおかしくない?出来すぎじゃない?」
「え……」これは……はじめての質問だった。「そ、そんなこと……ないでしょ?」
「……まあいいや……続けて」
「ええと……は、はい」
ぼくはほとんど自動的に……更衣室に身体を滑り込ませていた。
カーテンを締め切って明かりをともしてない更衣室の様子は、この図書館の奇妙な子ども用講義室に似ていなくもない。また、脱衣棚が壁を埋め尽くしている 様子は……この図書館の書架に似ていなくもない。部屋の片隅には大きな鏡がしつらえられている。
……ぼくはしばらく……桃と、チーズを合わせたような、いい 匂いなんだか不快な匂いなんだかわからない空気の中に立ち尽くしていた。
「時間、気にならなかったの?……保健室に行く、って言ったんでしょ?」
「…………ほんの1、2分…………ぼーっとしてただけですよ」
「ふーん」……仲馬さんの声は疑わし気だった。しかし、いつになったらこの部屋にやってくるんだろう?
更衣室の棚は、四角い開け放したボックスが並んだだけのもので、鍵はおろかひとつひとつの棚に扉すらない。
うちの学校のおおらかさ、のんきさが表れている。
それぞれの棚には、女子生徒たちの乱雑に制服が突っ込まれていた。
ほとんどが、乱雑に突っ込まれている。ぼくは、一つ、一つをチェックしていった……そして、部屋の隅っこで、いちばんキレイに畳まれて収まっている制服を見つけた……。
「そーいうの、気になるんだ」仲馬さんがまたクスクス笑う。「几帳面なんだね」
「……………」
「それって、誰の服だかわかってたの?」
「……………」
「ひょっとして……好きな子の服だったとかあ?」
ぼくは、一瞬、げほっとむせた。
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