図書館ボーイ
作:西田三郎
■7■ 視線を愉しむ
紙袋の中にはちゃんとウェットティッシュも入っていたので、べっとべとに濡れた下半身をある程度きれいにすることができた。
メンソール系のウエットティッシュだったのは、仲馬さんらしい嫌がらせだったのだろうか?……異常に股間がスースーした。
仲馬さんのお古だというその女生徒の制服……ぼくが通っている中学の制服だ……これを着て、セミロングのかつらを被り、スカートの中はノーパンで、というのが仲馬さんの指示だった。
もともと来ていた服は紙袋に入れて……汚れたパンツだけはそのまま手に持ち……人気がないときを見計らって個室を飛び出し、汚れたパンツはゴミ箱に投げ入れ、足早に男子トイレを後にする……ほとんど、スパイみたいな動作だった……案外うまくいった。
コインロッカーの鍵をはさんだまままの『なしくずしの死』は、まだちゃんと紙袋に収まっている。
「そのまま、女子トイレいってみよー!」
「えっ……そ、そんな」いきなりハードルが高すぎる。
「大丈夫、大丈夫。今、女子トイレにきみへのプレゼントを置いといたから。早く入んないと、誰かに取られちゃうよ〜?」
……プレゼントなんて、正直いってどうでもいい。
2万パーセント、まともなものであるはずがなかった。
でも……ぼくは確かに……避難場所を求めていた。
かつらを被ったのもはじめてだし、だいたい、男子トイレでは自分がどんなふうに見えるのか、確かめる余裕もなかったから。
女生徒の制服を着せ られた自分の姿をまじましと見たいわけではないけれど……これから自分に課せられるであろう過酷な仲馬さんの指令……具体的にどんな内容かはわからない が、だいたいは想像がついた……を思えば、自分の姿をちゃんと確認しておくに越したことはないだろう。
さっさと忍者のような中腰の走り方で隣の女子トイレに忍び込む。
ツイてる……誰もいない。
鏡で自分の姿を確認する前に、洗面台に小さなリボンをかけた包みがあるのに気づいた。
手に取って……包みを開けてみる。
ぜったい、何かいかがわしいものが入っている……と思ったら、意外にも出てきたのはふつうのリップクリームだった。
「……プレゼント、ちゃんと見つけた?」イヤフォンから、仲馬さんの声。
「……はい……」
「鏡で自分を見てみなよ……けっこうイケてるよ」
……………。
恐る恐る……鏡を見上げる。
……ヤバい。
少しカツラが曲がっていたので、髪がヘンだったけど、そんなことはまるで気にならない。
仲馬さんのお古だというけど……たしか、うちの学校の制服は創立以来、基本的に変わっていないはずだ。
サイドにファスナーのある、白いセーラー服。襟には3本の紺色のラインが入っている。
スカーフはラインと同じ紺色で、黒いネクタイ留めでまとめられている。
その下のプリーツスカートも暗い紺色。
洗面台の鏡で確認することはできなかったが、仲馬さんは学校指定色(彼女が在学していたときからそうなのだろう)の濃紺のソックスも用意していた。
靴は男女とも同じデザインのローファーだったので履き替える必要はなかった。
靴下はもともとユニクロの白を履いていたけど……気がついたときには、用意されていた濃紺のソックスに履き替えていた。
……完璧だった。想像していたよりも……あの日見た自分の姿よりも……完璧だった。
「どう……?……気に入った?」
「…………はい……」思わず、自動的に答えてしまった。
クスクスと笑う仲馬さんの声。
「あ、“気に入った”はおかしいか……だって、超お気に入りなんだもんね〜」
「……………」確かにそうだ。
「リップ塗ってね。もっとかわいくなるから」
ぼくは、仲馬さんがくれたリップを手に取ると蓋を開け、先端を5ミリほど出した。
唇に塗ってみる……舐めると、甘い味がした。
女子トイレから出るように指示された後は……ほとんど仲馬さんのコントローラーで動かされているゲームのキャラクターみたいなもんだった。
とりあえず……ノーパンで図書館のすべてのフロアを歩かされた。
スカートはあえて短く細工されていた。太ももの上から4分の1くらいしか隠せないようになっていた。
スカートが短いせいと、これもまた仲馬さんが用意したメンソール入りのウエットティッシュのせいで、股間がスースーする。痛いくらいにスースーする。
全身に冷や汗をかきながら……ぼくは仲馬さんの指示どおりに図書館中を歩き回った。
驚いたことに、ぼくに関して奇異に思う者は誰もいないようだった。
最初、何人かの男性や僕と同じくらいの男子中学生や高校生、いかにもタマってそうな大学生、そしてヒマをつぶしているサラリーマンのおじさんたちが、ぼくをチ ラチラと見るのが気になってヒヤヒヤしたけど……ヘンだと思われているわけではない、と気づくのに、そんなに時間はかからなかった。
男たちの視線は……仲馬さんが細工した短いスカートから覗く僕の太ももに集中していた。
ある男子高校生の二人連れのは、ぼくの太ももを見て、明らかに顔を見合わせて、いやらしい顔でニヤついた。確かにニヤついた。
おっさんもニヤついた。ぼくと同じくらいの年齢の……同じ学校の制服を着た男子生徒たちもそうだった。
ぼくには友達がいない。
でも、知っている顔も、いくつかは見た。
しかし、そいつらはぼくがぼくであることに気づかなかった。
これは快感だった……ほんとうに、透明人間になったような気分だった。
いや、透明人間とは違う。ぼくは、それを越える存在になったんだ……そんな気がした。
4階建ての図書館を1階フロアからくまなく周り、3階まで達したときは、もう恐怖心や不安感は消え去っていた。
興奮と、誇らしさと、痺れるような快感がぼくを包んでいた。
ノーパンであることなど、もう気にならなかった。
4階へ続く螺旋階段を登っているときに、30代くらいの、太って、油染みて、分厚いメガネをかけた男が、露骨にぼくの真後ろについて、スカートの中を覗こ うとしていた。それでも気にならなかった……あえてスカートがひらひらするように……さっき仲馬さんがしていたようにわざとらしく腰からお尻を振って、見 せつけさえしていた。
そんなふうに有頂天だったぼくを、イヤフォンからの声が現実に呼び戻した。
「じゃ、4階奥の第3講義室で」
「えっ」
「そこで待ってて。わたしも後から行くから」
「……………」
「タンノーしましたか?……変態女装少年くん。……ところで……きみ、また……勃っちゃってるでしょ?」
……確かに。勃っていた。
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