大男
〜あるいは、わたしのレイプ妄想が生むメタファー〜
作:西田三郎
■3■ 亀男
「で……その翌朝、あなたが起きると……どうなっていました?」
その男は薄い顔をした四〇歳くらいの小男で、グレーのジャケットに、ベージュのニットタイを合わせている。
それほど悪くない趣味だが、男の顔はコメディ アンみたいで、身体はちんちくりんだった。
部屋には午後の日差しが差し込んでいて、居心地はよかった。骨董品や絵なんかが、センスよく(でもこれ見よがしに)並べられている。
部屋は静かだった。 音楽はない。
「……どうなっていましたって……何がです?」わたしはスカートの裾を延ばしながら、男に言った。自分の声がすでに挑戦的だった。
ちょっと男の位置から、太腿が見えすぎてるかもしれない。ヘンなことが気になって、そわそわ、イライラしている。
男には表情がなかった。亀みたいに、甲羅の中にとじこもっている。
「……つまり、その一二歳の晩、意識を失って……翌朝目覚めたんでしょう?……その破瓜のあとや、暴力の跡、身体に痣などが残っていましたか?」
「いいえ」わたしは答えた。
あくる日、わたしはベッドで目覚めた。
ちゃんとパンツを履いて、Tシャツを着た姿で、腹ばいになっている自分に気づいた。
確かに、太ももや下半身が血まみれになってた……とういうようなことはなかった。
太ももや腕やお尻に、男の指が痣になって残っていた……というようなこともなかった。
「……ふうん……」
その亀男……セラピストはわたしの顔に目を向けている。
しかし、その目はわたしの顔を見ていなかった。
わたしの顔が透き通っていて、わたしの背後に掛けてある女の子を描いた抽象画を見ているようだ。
「……でも、夢じゃありません……それだけは言えます……だって……その……」
「いいですよ。気にせず続けて」抑揚のない声。
「その……なんていうか……翌日は“ものすごいものが挟まってる”って感じは残ってました……つまり、あそこから、お腹の奥のほうまで……そ の日から3日間、学校を休みました……ショックと、その……身体のなかのイブツ感のせいで」
「ふうん……」その男は、かすかに笑った。「……イブツ感」
「……はい、すごいイブツ感です」
「失礼ですが……」男は眼鏡をかけてもいないのに、それを片手で持ち上げるしぐさをした。「あなたの家庭に、男性はいましたか……お父さんとか、お兄さん とか。同居している叔父さんとか」
「いません」この亀のような男……セラピストが、何を言いたいのかはよくわかった。「父はわたしが小学校に入るまでに死にました。交通事故で……それに、 わたしには兄弟がいません。一人っ子です」
「ほう、なるほど。で、これまた失礼な話なんですが……」また眼鏡を上げる仕草だ。最近、コンタクトに変えたのだろう。「……家には、お母さんだけだった?」
「はい」
「……お母さんには、当時つきあっている男性はいましたか?……家に出入りしている、その……男女の関係の男性は……?」
いた。
確かにいた。
わたしはその男に関して、あまりいい印象を持っていない。
酒飲みの運送屋。わたしはよく、彼に頭を撫でられた。
頭を撫でられたときは、髪をきれいに洗った。
「でも……その日は家にいなかったはずです。それに……」
「それに?」
「たしかに、その男に関しては……当時のわたしも少しイヤな感情を持っていました」
「ほう?」急に、セラピストの目に『関心』のランプがともる。「どういう『イヤな感情』ですか?」
「だって……もうわたしもそのときは、母とその男がどういう関係かわかってましたし……そのこと自体が、すごくけがらわしいことに思えたんです……」
「汚らしい?」また身を乗り出す亀男。首が甲羅から長く伸びてるのが見える。「……つまり、セックスに関して?……お母さんとその男性が、そういう関係に あることに関して?」
「……はい……」わたしはいらいらしはじめていた。で、結論は何なの?
「……その男に、その……性的な接触をされたことはありますか?」
「はあ?」
「たとえば……一緒にお風呂に入ろうといって身体を洗われたり、膝の上に座れと言われたり、『身体の成長の具合を見てやる』とか言って、不必要に身体を触 られたり……」
「ないです」
それは確かだった。男はそういう意味ではまったくノーマルな男だった。
ただ、母を『女』として見る目が、けがらわしく思えただけだ。
そして男の吸っているたばこ……あの匂いが嫌いだった。
今はわたしも、たばこを吸うようになったけど。
しかし、『母の男』に関してたずねてくる亀男の目には、みるみる人間らしい『興味』『関心』の色が浮かび上がってくる。
亀男は、わたし を言葉で辱めようとしているのだ。
昨日、大学の喫煙所であの大男に犯されて……わたしはいつの間にか気を失っていた。
なんと気がつくと、わたしは自分の下宿の部屋で、ベッドに横たわっていた。
ちゃんとパジャマを着て、どうやら眠る前に化粧を落として、お風呂に入り、歯も磨いていたらしい。
どうやってあの男から解放されたのか、どうやって下宿まで帰ってきたのか、どうやって眠りについたのか……それはまったく覚えていない。
しかし、あの12歳の夜、はじめてあの大男に犯されたときと同じように……わたしの身体……つまりあそこの入り口からその一番奥……おへその下あたりま でに、強烈な違和感が残っている。
これで3度目だ……最初は12歳のとき。その次は16歳のとき。
そしてわたしは今年で20歳。通産、3」回も同じ男に犯されたことになる。
しかし……犯されたことの実感はあるのに、いつもあの大男は何の痕跡も残さない。
最初に犯されたとき、わたしはあの大男のことは、ただの恐ろしい夢だったと自分に言い聞かせた。
当然だけど、母にも言わなかった。っていうか、今日の今 日まで誰にも打ち明けたことがない。
だいたい、大男に犯された『事実』の痕跡は、わたしの頭の中とカラダの感覚にしかないのである。
警察に届ける?……それはムリだ。
頭のおかしい、モウソウ好きな女がトチ狂ってやってきた、と思われるに決まっている。
じゃあ、わたしは頭がおかしいのか、おかしくないのか。
それをクロシロはっきりつけるため、この診療所を訪れたのだ。
それにしても……テキトーにネットで調べてこんなところに来るんじゃなかった。
わたしは、ものすごーく後悔していた。亀男のセラピストが、わたしの話をゲスな好奇心丸出しで聞いているのは明らかだ。
「でも、あなたは何者か……その『大男』に犯された、という。それは明らかに事実だという。それも、これまでに何回も。ええと……」
「3回。昨日も入れて3回です」ちょっと自分の声が怒っている。
「ふうむ……」亀男のメガネの奥で、またちかりと好奇のランプがともる。「……性感はあるのですか?」
「はあ?」さらに怒った声が出た。あたりまえだ。「感じたの? とか、そういうハナシですかあ?」
「……いや、そうは言っていません。それは、単に苦痛なのですか?それとも、ふつうのセックスの感じに近い?男は暴力的ですが、あなたに怪我をさせていな い。少なくとも、痕跡は残していない。ですよね?」
「……感じるわけないでしょ」わたしは亀野郎を睨みつけた。「……無理矢理犯されてんだから……」
「濡れますか?」
「はああ??」もう、椅子を立ったほうがいいだろうか?
「オルガスムスを感じたことありますか?……『大男』に犯されて」
わたしはそのまま席を立った。
そして診察室を出た。亀男は、とくに呼び止めもしない。
受付のカウンターに一万円札(学生だったから、結構大金だ)を叩きつけて、医療事務さんが何か言っていたがまったく耳にとめず、診療所から逃げるように 立ち去る。
怒りで頭がじんじんして、視界が妙にくっきりしていた。
でもそれに反して、自分の下半身がムズムズ、そわそわしている。
そのことでますます、あの医者も、大男も、わたし自身も、何もかもがおぞましかった。
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