ノルウェイの鮭
作:西田三郎

「第11話」

■ みどりと、緑からの手紙
  
  みどりの葬式も終わり、僕は奇跡的に泣かなかった
  安らかな死に顔だった。首吊り死体はものすごい形相をしていることがあると聞いたことがある。多分葬儀屋がいい仕事をしたのだろう。ありふれた表現だけど、眠っているようにしか見えなかった。それでもみどりは灰になってしまった。
 何故、泣けなかったのだろうか?
 いや、悲しみの表現方法は人それぞれあっていいはずだ。
 何も泣かなければいけないという事はなかろう……というか、僕は本当に悲しんでいたのだろうか?認めたくないことだが、何か肩の荷が下りたようなすがすがしい気分を感じている僕も居た……今は、そうとしか感じられないのかも知れない。本当の悲しみが襲ってくるのは、もっと後になるかも知れない。

 あのオナニー狂いの11歳の緑は、葬儀の席には来なかった。
 しかし1週間後、彼女から手紙が来ていた。
 封筒には色の違う便箋が3枚入っていた。一枚目が黄色で、二枚目が薄いブルー。そして3枚目は、また黄色の紙だった。
 どうも黄色の紙が緑の手紙で、ブルーの方はみどりからのようだった。
 しっかり便箋の左端にノンブルも振られていたので、僕はちゃんと最初の一枚から読み始めた。


拝啓 タナベ様

 おひさしぶりです。小さいほうのみどりです。この度は大変ごしゅうしょう様です。
 わたしは今、あのコテージにひとりでくらしています。
 たぶん、いつかは、あたらしい同きょ人がやってくると思います。
 みどりさんのお部屋のせいりは、みどりさんのご家族としせつの人たちがやってしまい、
 今ではからっぽです。
 へんな話ですが、みどりさんが最初からいなかったかのようです。
 
 こんな事をかんがえたら、天国にいるみどりさんはおこるでしょうか。
 
 みどりさんは、わたしがこのしせつにやってきたときから、
 わたしにほんとうに親切にしてくれました。
 ときどき、みどりさんがほんとうのお姉さんにおもえたこともあります。
 
 わたしは、わたしじしんの病気を、とてもはずかしいものだと思っていました。
 
 みどりさんから聞かれたかも知れませんが、わたしはひとりエッチがやめられないのです
 学校で、じゅぎょう中にわたしがいけないことをしちゃた話は聞きましたか?
 聞きましたよね。
 このまえ、あなたがみどりさんのお部屋にとまられた夜、
 わたしは壁にコップをあてて、全部きいていました。ごめんなさい。
 
 あなたとみどりさんがエッチなことをしている声を聞きながら、
 わたしもひとりでエッチをしました。ごめんなさい。
 
 話は戻りますが、わたしはほんとうに、自分のそんな病気を、はずかしく思っていました。
 わたしはとてもいけない子で、なにかの間違いで産まれてきたんだ、
 わたしなんかもう死んでしまったほうがいいんだ、といつも思っていました。
 
 でも、わたしがこの施設に入ってからすぐのこと
 ぶあいそうだった(わたし、ぶあいそうでしょう?)わたしに、みどりさんは
 ほんとうにやさしくしてくれました。
 なにも言おうとしないわたしに話しかけ、じょうだんを言い、
 さびしくなったときは、まるでほんとうのおねえさんのようにだきしめてくれました。
 
 ある日、わたしはみどりさんに言いました
 
 「こんな病気のわたしなんて、死んでしまったほうがいいんじゃないでしょうか?」
 
 みどりさんはわらって、わすれられないことをわたしにいいました。
 
 「みんな、誰にだってはずかしいひみつがあるのよ。それをぜんぶダンボールの紙にでも書いて
 みんながそれを首から下げて歩くようになれば、この世の中はもっと住みやすくなるのにねえ
…。
 だから、あたしたちは、そこまで世の中がしんぽするまで、ここでゆっくり待ちましょう
 
 そんなみどりさんがいなくなって、ほんとうにさみしいです。
 
 たぶん、貴方のほうがもっとさみしいのでしょうけど。
 
 この手紙の2枚目は、みどりさんがねていたベッドのクッションの下から
 わたしが見つけました。
 
 わたしいがい、だれにも見せていません。
 あなたにあてた手紙なので、ここにどうふうします。』
 
  一枚目の手紙は、そこで終わっていた。僕は2枚目の、ブルーの便箋を見た。
  短い手紙だった。
  
 『タナベくんへ
 
  あたしが死ぬのは、君とは何の関係もないからね。
  なんだかあたし、とっても疲れてしもた
  
  絶対、絶対、絶対、自分のせいやなんて思わんといてね
  
  新しい彼女と、幸せになってね。
  ご飯はちゃんと食べてね。
  あ、それと、小さな緑ちゃんにもたまには会ってあげてね。
  変なことしたらあかんよ。
  さようなら。                  みどり
  
  雪崩のように感情が責めてきた。立っていられなくなるくらいに。
  僕は3枚目の黄色の便箋を見た。
  
 『タナベ様
 
 この手紙をあなたにおくるかどうか、しょうじきいってなやみました。
 たぶん、この手紙はあなたをかなしませると思います。
 でも、読んで上げてください。
 
 みどりさんは、たしかにおかしなこともたくさんしたけど、
 わたしがしっている人間のなかではいちばんまともな人でした。
 
 ところで、ちかぢか、外出きょかをもらいます。
 
 両親には、ないしょです。
 
 あなたにあいに行こうかとおもいます。
 みどりさんが、そんなにあいしたあなたの事を、もっと知りたいのです。

 
 へんなことは、してもしなくてもどっちでもいいです。
 
 よかったら、来月のよていを電話でおしえてください。 敬具。 ちいさな緑
 
 手紙をきっちり折って、内ポケットに入れた。
 すかさず、携帯電話を取り出して、病院に連絡した。

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