ノルウェイの鮭
作:西田三郎

「第12話」

■3人目の“みどり”

 駅の改札から出てきた緑は、自分の身長おほぼ同じくらいの、あのギターのハードケースを手に、紺色のフレアーに白い半袖ブラウスという、またも“無印良品”っぽい服装だった。
 人混みは久しぶりで、かなり戸惑っているのだろう。
 僕が声を掛けると、緑ははじめて……笑顔らしいものを見せた。
 ギターケースは僕が持ち、街を歩く。
 端からはどんなふうに見えるのだろうか。最近へんな事件も多いことだし。いや、まあ親娘には見られなくとも兄妹くらいには見て貰えるだろう。緑と僕はちっとも似ていないが。
 
 「お腹空いていない?」
 「空いています」相変わらず、緑は一語でしか話さない。手紙では饒舌だったが。
 
 二人で僕がいつもよく行く中華料理屋に行き、僕は麻婆丼を、緑は焼きそばを食べた。馴染みの店長が声を掛けてきた。いつも馴れ馴れしくて、気にくわない野郎だ
 「あら〜可愛らしい子やんか。妹さん?
 「ううん。愛人」僕は店主の方も見ずにそう言うと、黙々と麻婆丼を食べ続けた。
 緑もやはり、まったく無反応だった。
 店主はそれ以上何も話しかけてこなかった。
 
 食事を済ませ、僕のワンルームに二人で戻る。
 いちおう、緑のために僕は部屋を綺麗に掃除し、箸やカップや着替えとしてのジャージや、柔らかめの歯ブラシなどを買いそろえておいたのだ。こんな僕だが、それくらいの気は回る。
 
 緑は部屋の隅に座って、何度も何度も僕の狭い部屋を見回している。
 「この部屋で、みどりさんと一緒に暮らしたんですよね」緑が聞く。
 「うん、2ヶ月くらいやったかな」
 「ここで……つまり、その、セックスもしたんですか
 「……まあ、そうやな
 「……何回くらいしたんですか?」
 「……そんなん、覚えてないよ」
 「…………お酒、ありますか」
 「酒?
 「………お酒、飲みたいんですけど
 「……未成年がそんなん飲んだらあかん」
 「……みどりさんが、たまに飲ませてくれました。飲むと、わたしもほがらかになって、たくさん喋れました……だから、お酒があると、助かるんですけど
 「……はあ………ええと、紙パックの安物の赤ワインしかないけど、ええかな」
 「いただきます
  二つのグラスに、いかにも水っぽそうな赤ワインを注いで、ひとつを緑に渡した。
  緑がそれを一気に飲んだので、僕はあっけに取られた。
 「五臓六腑に染み渡りますね
 「……落語か
 「……おかわり、いいですか」
 「……いいけど、大丈夫?」
 「大丈夫です。うちの家系はお酒に強いんです
 確かに、緑は酒に強かった。僕も飲んだが、緑はその3倍は飲み、ツマミもなしに2リットル入りの紙パックは、ほとんど空になってしまった。いつの間にか辺りは暗くなっていて、僕は思いだしたように部屋の灯りを点けた。
 緑を見た。さすがにほんのに頬が紅潮し、目つきがとろんとしている。
 正直に告白するが、僕はその時、激しく欲情した。
 しかし自制した……こんな新聞の見出しが、脳裏に浮かんだからだ。
 
 “21歳大学生、11歳の少女を泥酔させわいせつ行為!!
 “鬼畜…!心の病を負った11歳少女の弱みにつけ込み、酔わせて暴行した卑劣男
 
 「ああ、ちょっと酔っ払っちゃった。あの、ギター弾いていいですか?」
 みどりが少し明るい調子で言った。僕がいいよ、ともだめだ、とも言う前に、みどりはギターをケースから出していた。
 
 悪夢のようなリサイタルが始まった。
 なんと、レパートリーが随分増えていた。
 みどりが演奏して、歌った曲……椎名林檎「此処でキスして」……ドン・マクリーン「アメリカン・パイ」……イーグルス「テイク・イット・イージー」……サイモン&ガーファンクル「冬の散歩道」……リンダ・ロンシュッタット「イッツ・ソー・イージー」……スピッツ「チェリー」……スザンヌ・ヴェガ「ルカ」……タイマーズ「デイ・ドリーム・ビリーバー」……プロコム・ハルム「青い影」……その他いろいろ。
 
 緑のギターは相変わらずメチャクチャに下手くそだった。歌も酷く、英語の歌詞は実に適当に歌った。その間もみどりは、新たに開けたウイスキーをストレートでごくごくと煽った。歌声も次第に大きくなっていく。
 
 最後に緑は「ノルウェイの森」を演奏した……この曲だけは、少しましに聞こえた。
 しかし繰り返し繰り返し繰り返し、それこそ20回くらい繰り返して歌ったので、いい加減隣の住人が壁越しに怒鳴ってきた。
 
 「ええ加減にせえ!!!何時やと思っとるんや!!!」
 
 緑も疲れ切っていたので、ギターを置いた。
 
 「この曲……」みぢりが呟く「みどりさんが大好きだったんですよ
 「……“ノルウェイの森”が?」
 「そうです」
 
  二人とも、しばらく黙り込んでいた。
  緑はまだ酒をちびちびやっている……妙な気分だった。11歳の少女が大酒を喰らっている。僕の目の前で。やはり、彼女は塀の向こう側にいるべき人間なのだろうか……僕はそんな残酷なことをふと考えた。
  「さて」緑が立ち上がり、スカートの皺を伸ばしはじめた。
  「え、帰るの?」
  「違いますよ
  「……じゃ、どうするの?」
  「しましょう」みどりがはっきりと笑った「へんなこと

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