詳しいことは知りませんが
作:西田三郎■シネマ・パラダイス
その地下奥深くにある、誰も知らない“映画館”の座席はとても座り心地が良かった。
しっかしどこを歩いてもふかふかの絨毯で、座った椅子もふかふかなもので、あたしはなにかぬるい液体の中を泳いでるみたいな気分になった。
その映画館はそれほど広いところでもなさそうだった。ふつうの映画館よりはだいぶん狭いんじゃないかな。
でもパーティに出席してた人全員は収容できるキャパはあったみたい。劇場に入ってもヒソヒソ、クスクス言う囁きは消えなかったけれども、目隠しされた中でも部屋が暗くなったのがわかる頃には、皆はシンとし始めた。その劇場では喫煙オッケーらしくて…さっきあたしが吸った特別な煙草の畳の匂いが充満していた。
ブザーの後、映画が始まった。らしい。だってあたし、見えないからね。
映画の最初の部分には、BGMはなかった。
何か食事をしているような、食器の音やナイフやフォークを使う音、食器をテーブルに置く音などが聞こえてきた。さらに耳を澄ますと、鳥の声なども聞こえてくる。
それが妙に長かった。
何なんだろうこの映画、って思ったね。世の中にはいろんな趣味の人が居るからね。あたし野球とか全然見ないんだけどさ、うちのお父さんなんか、野球だったら何時間でも見続けられるみたい。攻撃して、守備して、攻撃して、守備して、たまに点が入って、また攻撃して…ってその繰り返しでしょ?
一体何が面白いんだかわかんない。
それと同じで、人が食事するのを見てるだけで何時間も楽しめる人が居ても不思議じゃないよね。
でも、参ったなあとも思った。
これから、何時間もこの食事の音聞かされたらヤだなあ、と思った。
いくら50万もらえてもそれじゃあ確実に寝ちゃうよ。
やっぱ、寝ると怒られるのだろうか、と思っていると、どうやらシーンが代わったみたいだった。
さっきのバンドがそのまま演奏してるんじゃないかと思えるほど、暗く、暗く、暗く、くらあああく重たいジャズ。食事の音より苦痛で、退屈だったな。それも結構長く感じられてさ。多分画面ではタイトルロールかなんかが流れてるんだろうけど、それにしても陰気な音楽だった。
なんだろう、この人たちは。“暗くて退屈な映画同好会”かなんかだろうか。
と、思ってると、またシーンが代わったらしい。
「ここは寒いけど安全だよ」男の声で、日本語だった。
「そう?」と女の声。それもかなり若いらしい、少女のような声。…でも、どっかで聞いたことある声だ。
「安全なのことを考えたら、寒いなんて気にならないだろう?」
「べつに」
「やっぱりあのことを気にしてるのかい、昨日のこと」なんか男のセリフは棒読みだった。
「ぜんぜん」
「なあ」
「なあに」
「気にしてるんだろ、昨日のこと」
「ぜんぜん」…そんな感じで、会話は進み、男は棒読みを続け、女の方は「そう?」とか「さあ」とか「ぜんぜん」とか、ろくなセリフを吐かない。まあ一応、ストーリーのある劇映画なんだろう。しかし…食事の音、陰気なジャズ。そこにきてこの退屈な会話…と、もうかんべんしてって感じだった。
わたしがうとうとしはじめた時だった。
いつの間にかシーンが代わっていたらしい。
「ん…」女の、色っぽい声がした。「…ああ…」
なんだ、結局エロか、とあたしは思った。
「…は……ん………………くっ…………」しかし…なんか女の声は生々しかった「は……あ……や………ちょっと………だめ、そんなの」
AVとは少し違う。妙なリアリティがその声にはあった。
それに……なんかその声、ますますどっかで聞いたなあ、と思ったんだ。
「だめ………だって……………や…………………あっ………はっ……」女の声と一緒に、ぴちゃぴちゃ言う水音が聞こえた。はあ、なんか、クニリングスとか、そのようなことをしてるんだろうな、とあたしは思った。でもなんか、滑稽だったね。いい歳をした大人がさんざんご託を並べたあと、しんと静まり返ってそんな映画を観てるなんて。だって、画面に何が映っているのかは見えないからわかんないけどさ、何が映っていようと、あたしは驚かなないね。だって、人間がするいやらしいことには、限界があるもの。そうでしょ?少なくともその時点までは、あたしもそう思ってた。でも……どんないやらしいことが映されていようと…ここまでもったいぶって地下に引きこもって観なくちゃいけないかあ??
だんだんあたしはまた、あほらしくて、眠くなってきた。と、その時だった。
「……え………あ…………うそ…………なにそれ!?」映画の中の女。明らかに調子が違う。「………ねえ…………待って…………そんな…………そんなの…………なに?なんなの?それ……」
女の声を震えていた。
「…………やだ……近づけないでよ…………………お願いだから………いや……ひっ」
何か妙なムードだった。劇場はますますしんとしてきたように思えたね。
「いやああっっ!」女が悲鳴を上げた。多分、耳を澄ましたら、劇場に居た男全員が、ゴクリと唾を飲み込むのが聞こえたかもね「やだっ…………やあっ!!やめてっ…………いやあ………」
女の悲鳴だけじゃなかった。
なんだろう?
全く聞き覚えのない音がした。
「やだああっ…………やあっ…………やめて…………お願い………助けて………」
機械の音ではない。何か生き物の音だ。
“ぴちょぴちょ”とか“ぬちょぬちょ”とか、そんな音。
そして時折、“フー”と溜息をつくような音。
その音が、だんだん大きくなってくる。
「やめて……聞いてないよ………こんなの聞いてないよ……やだ……」女はまるでダチョウ倶楽部みたいに泣き声で言ってる。「おねがい………なんでもするから………それだけは、やめて………あっちにやって」
一瞬、ふわりとあたしの心に不安が落ちてきた。
そういや、よく聞くじゃん。
秘密組織みたいなのが、女の子を痛めつけてレイプして殺すのをビデオに撮って、それを闇ルートに流してるってウソなんだかホントなんだかよくわかんない話。あたしはあんまり信じてなかったけど、何となくそれが頭に浮かんだんだよね。あれ、その、なんていうの?
スナッフ?
そうそう、それそれ。
今あたしが目隠しされて観てる(?)のは、まさにソレなんじゃないかって。思ったと同時に、全身に鳥肌が立ったね。ってことは、この劇場に集まってる人間はみんな、その愛好者ってことで、そこに50万円をエサにホイホイついていったあたしは……って。
どうしよう、今更ながら泣きたくなるくらい不安になった。
でもなんだか、クスリとタバコと酒のせいかな。
どうやって逃げようか、とかそんなことは考えなかったんだよね。なんだか、ああ、あたし、もうダメだ…っていきなり諦める、みたいな。
でも、ラッキーだったけど、そこに居た連中はそんな殺人狂じゃなかったんだ。
それを上回るヘンな体験をすることになったんだけど、つくづく思うよ。
生きて帰って来れてよかったって。
そして、となりの席に座ってたやつの手が、いきなりあたしの太ももを掴んだ。
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