詳しいことは知りませんが
作:西田三郎

待合室での会話

 「こちらで暫くお待ちください」おじいさんが少し狭い(と思われる)部屋にあたしを案内した。「さ、足下に気をつけて」
 部屋の中は、妙な匂いがした。
 嗅いだことのある匂いだ…そんなに悪い匂いではない。
 そう、あれは、真新しい畳の匂い。不思議と、落ち着く匂いだった。
 匂いだけじゃなく、人の気配もした。
 おじいさんが案内されるままに室内を歩いた。下にはかなり上等の絨毯が敷いてあるようだった。ほんっと、ふかふかなの。なんか、あたしの安物のパンプスで踏むのが申し訳ないくらい。なんだかやばいな、とあたしは思った。身の危険を感じた訳じゃなくて、身分不相応なとこに来てしまった気がして。
 「こちらにお掛けください」おじいさんがあたしの躰を反転させて言った。
 あたしはゆっくり、用心深く腰を下ろした…子どもの頃さ、座る寸前に人の椅子引いて、人が尻餅つくのを見て笑うバカが居るじゃん。あたし、散々子ども時代にそれやられたから、そのときはちょっと不必要なほど慎重にゆっくり腰を下ろしたね。
 
 「ここでしばらくお待ちいただけますか。あなたの出番が来たらお呼びに上がります」おじいさんが言った。「お煙草は吸われますか?
 「え、ああ、はい」煙草は体によくないと思ってたけど、未だに止められないな。
 おじいさんがあたしの手を取って、紙巻き煙草を一本手渡した。
 あたしがそれを銜えると、すかさずオイルライターの匂いがして、煙草に火が点けられた…不思議に、甘い味のする煙草だった。悪くない…あたしが普段吸ってる“メリット”よりは強く感じたけど、なんか凄く上等の煙草って感じがしたね。それ、煙草じゃなかったんだけど。
 「それではまた後ほど」あたしが煙草に感心してると、おじいさんはあたしに思い石でできた灰皿を手渡し、足音をさせずに部屋から出ていった。
 ドアを閉めるバタンという音がした後は、ほんとうに静かになった…。
 部屋の中は暖かかったので、あたしはコートを脱いだ。でも、なんか自分でも律儀だとは思うんだけどさ、目隠しは外さなかったね。ていうか、目隠しを外して見る、という考え自体が浮かばなかったな。自分のことつくづく暢気な性格だと思うけど、そこまで暢気なのはクスリの所為にできないよね。
 
 おじいさんからもらった煙草を吸い続けるうちに…わたしはなんかまたへんな気分になってきた。
 部屋の中は静まり返っていて、まさにシーンとしてるんだけど、いつの間にかそのシーン、がキーン、になってきた。はっきりと、耳鳴りみたいにキーンっていうの。あれ、なんだこりゃ、と思っていると、そのキーンって音になんだか強弱がつきはじめた。あれ、あれれれ?と思っているうちに、そのキーンって音がまるでモールス信号みたいに、一定のリズムを刻みはじめたのね。
 
 ふだんから鈍いほうだけど、その時はじめて煙草に例の草の混ぜモノがしてある事に気付いた。
 
 ああ、ホントこりゃいいわ。そりゃみんなやりたがる訳だわ、と思いながら、あたしは高揚してくる気分と躰がふわふわしてぬるいお湯につかっているような心地よさを感じていた。
 
 「こんばんは」と、突然、女の人の声がした。
 「え?」確かにさっき人の気配がしたけど、ほんとに居るとは思わなかった。
 「あなたも、目隠しされてんの?わたしはされてるけど」その声が言う。
 「…あ、あの、はい。そうです」
 「ふうん…」女の人の声は上擦っていた。あたしと同じように、スペシャルなジュースと煙草でハイになっているのだろうか「ねえ、あなた、ここは初めて?
 「…はい、あの、そうです」あたしは答えた「あなたは?
 「わたし?」その人上擦った声で、さらにけだるい調子で答えた「わたしは、去年のクリスマスも来た。だから、ここは2回目で1年ぶり。名前は聞かないでね。あなたも言われたと思うけど、ここでは質問は厳禁なの」
 「はあ…」そんなこと言われたっけ?とわたしは思った「あの…でも、ひとつだけ、質問いいですか?」
 「うん、何?わたし自身に関することじゃない限り、答えるけど」
 「…あの、これから、何をすればいいんですか?」
 「……」
 その女の人は黙った。何せ、目隠しをされているもんで相手が怒ってるのか笑ってるのかわからない。とても心細かったよ。なんかその人のしゃべり方、ダルダルで気分が読めないんだよね。
 「……あ、あの、これも聞いちゃだめでしたっけ」
 「……すぐ判るわよ」と女の人は言った。「……でも、吃驚するわよ、あなた。絶対
 なんだかもったいぶった女だな、とあたしはちょっとイライラしてきた。多分話しぶりからして、あたしよりは年上だと思うんだけどさ…それに向こうも目隠しされてるらしいけど、あたしのことを年下と決めてかかってるのか、はじめから舐めた口調だし。
 まあいいけど。
 とりあえずこの謎のバイトでは彼女の方が先輩なわけだし。
 「……それにしても、ギャラいいですね、これ」わたしは愛想で言った
 「……まあね」女がけだるく返す「…それに、わたしたちは何もせずにじっとしてればいいんだから、ラクよ
 「へえ?」あたしは驚いた。そんな世間を舐めた話があるかっての「ホントですかあ?」
 「うん、ホントよ。まあ、だいたいはやらしいことされるんだって事はわかってると思うけど、わたしたちは別に、何もしなくていいの。ずっと受け身で転がってるだけでいいんだから。…こんないい話ないわよ、ほかに。それにすごく気持ちいいしね…。」
 なんていうか、その女の口調はいかにも玄人っぽかった。そういうコトをしてお金を貰ってることにヘンなプライドを持つ、イタい女って多いじゃん?…なんか、いかにも“わたしはあんたみたいな女が知らない世界を知ってんのよ”みたいにさ、へんに斜に構える奴、居ない?…その女はまさにそういうタイプだったね。あたしの大嫌いな女のタイプ代表、みたいな。
 「ほんとですかあ…?」あたしは半笑いでそう言った。
 「うん、本当。映画観てから、根っ転がるだけ。」
 「映画?目隠しされてんのに?
 「そう映画。」と女は言った。
 

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