詳しいことは知りませんが
作:西田三郎■ウェルカム・トウ・ジ・アンダーグラウンド
多分、ジュースになんか混ぜものがしてあったんだろうね。
あたしの頭が、突然ぼんやりし始めた。眠いってんじゃなよ。なんか目を塞がれてるぶん、聴覚や嗅覚や触覚はますます研ぎ澄まされたみたいだったし、敏感になった感じなんだけど、そんな情報を整理する頭がぼうっとしているような、とろんとしているような。
一服盛られたなって思ったよ。でも不思議と…クスリのせいもあったんだろうね…怖くはなかった。
その手のクスリはやったことなかったんだけど、なかなか気分よかったよ。なるほど、こりゃ、ハマる人はハマるだろうな、とあたしはぼうっとした頭で考えてた。
そこからはすごく時間に対する感覚はとっても曖昧になった。
車は静かなところを走ってたけど、それが4時間だったのか20分だったのかはわからない。
おじいさんはずっと無言だしね。
だからその20分だか4時間だかわからない時間が経ったあと、車は緩い下りのスロープに入っていった。車が下ってるな、という感覚はなんとなくわかったね。
車が停まった。地下だったね。
なんかシンとしてたもの。
それでよく立体駐車場にある車用のエレベータみたいなやつに車が入った。
おじいさんも運転手も無言だし、気味悪いってことは気味悪いけどさ、だいたい、前金で25万もらってる手前、質問しないのが道理かなって思った。
エレベータはずいぶん長く(っていうのもはっきりしないんだけど)下降して、もう、あきれるほど長く下降して、停まった。ハッチが開く音がして、車はエレベータの外に出て…停まった。
「着きましたよ」おじいさんは言った。車のドアが開く音がして、外からひんやりとした空気が入ってきた。「コートは着られた方が良いですよ。結構冷え込みますので。」
あたしは大人しくそのスーツに合っていない、いかついナイロンコートを手に取って、車を降りた。
辺りはシーンとしてたな。微かに、さっき降りたエレベータが上昇する音が聞こえたくらい。
だだっ広いとこだというのはわかった。おじいさんの声が反響してたからね。
たぶん、デパートの地下駐車場みたいなとこだったんじゃないかな。想像だけど。
おじいさんがあたしの手からコートを取って、音もなく後に回り込み、背中からかけてくれた。
ものすごく手慣れた感じだったね。これまでコートを人から掛けてもらったことなんて、美容院くらいしかなかったけど、そんなのとは比べものにならないほど、スムーズな動きだった。
コートを羽織っても、そこは結構寒かったけどね。
やがて、何かが近づいてくるの音がした。
多分、ゴルフ場や空港で使うような、電動カートだと思うんだけど。
「ここから、もうすこしかかります。手を」言われたのであたしは手を出した。
おじいさんの手が掌を下にしたあたしの手をふわっと握った。とても冷たくて、乾いた手だったね。
おじいさんはまるで盲導犬みたいに、目隠しをされたあたしをエスコートした。
カートを運転している人も無言だったね。多分、さっき車を運転した運転手とは別の人だと思うけど。
車の運転手の方は車を降りなかったのか、そっからは気配を感じなかった。
まわりの静けさと冷たい空気に溶けてなくなっちゃったみたいに。
カートが動き始めた。
すこしどころじゃなかったよ。ずいぶん掛かった。
ひんやりとした地下道みたいなところを、カートは走り続けた。おじいさんも、カートを運転してる人も、一言も口を効かなかった。あんまりその間が長く感じたので、わたしは隣に座ったおじいさんに聞いてみた。
別に知りたくもなかったんだけど。なんかいたたまれなくて。
「ここは何なんですか?」
「地下です」おじいさんは言った。そんなことは教えて貰わなくても判ってる。
「地下の…何なんですか?」
「……」おじいさんは黙った。答え方を考えているのがわかった「地下の、街です」
「地下街?」
「ええ、そうです。そのようなものです」なんだか曖昧な答え方だった。
「でも、ずいぶん深いですね。そうじゃないですか?」
「ええ、とても」
「それに…なんかかなり広いみたい」
「そうですね」おじいさんはとても慎重に返答している「ここは、日本では一番広いですね」
「一番?」あたしは言った。
「ほかにもあるんですよ」おじいさんは言った。「全国各地に、こういうのが」
しばらく沈黙。あたしは次の段階へ話をすすめていいか、タイミングを計っていた。
「…あの、何があるんです?ここに?」微妙な質問だった。たぶん、ギリギリ限度内って感じだったんじゃないかな。
「……何でもありますよ。地上にあるものは、何でも」
「…何でも?」
「レストランに映画館、煙草屋に酒屋、喫茶店に本屋……そんなのが、いろいろと」
「……はあ」
「…今日ご案内するのは、ホールと劇場だけですが」
おじいさんは取り敢えず、あたしの質問には何らかの回答を打ち返してくれた。だから何も考えずに話してると…あたしは何かを隠されてる気も、馬鹿にされてる気もしなかった。現にその場ではそんな感じは受けなかったな。でも、よく考えてみると、おじいさんはその時、何も答えていないのと同じだった。あたしの知りたいのは、ここが地下であるということでもなく、ここにレストランや映画館や本屋があるということではなく、これと同じものが日本国中にいくつあるのかというのではなくて…これが何のためにあるのか、ということだった。
「あの、聞いていいですか…?」あたしは声をひそめて言った「…なんで、こんなのがあるんです?」
「…なんで、といいますと?」おじいさんが抑揚のない声で問い返す。
「何のために、こんなのがあるんですか?」言葉の最後あたりは、自分でも聞き取れないくらい小さな声だった。言いながら、あたしはヤバい、と感じた。やっぱり、聞くんじゃなかった。
「…………」おじいさんは、黙っていた。言葉を選びに選んでいるのだろう。
あたしは、ますますいたたまれなくなった。
怖いというより…そんなにおじいさんに言葉を選ばせて、何だか申し訳ないような気分になった。
「あ、あの…」沈黙に耐えかねてあたしが何か意味のないことを言いかけたときだった。
「必要だからですよ」おじいさんが静かに言った。「この場所を、必要とされているお方が大勢居るからです」
「あ…はい」
「………………」おじいさんは黙り込んだ。沈黙が、“もうこれ以上聞くな”と言っていた。
無言で気まずい雰囲気が流れる中、カートは地下道のようなところを走り続けた。
見えないし、会話はまったくないしで、ほんとう永遠に続くかと思ったね。
やがて…カートの進行音の反響が少なくなったので、広い場所に出たことが判った。
カートが停まり、おじいさんがカートを降りる。わたしは少し不安になったけど、それもさっきの特性カクテルが効いたせいか、たいしたことはなかった。クスリってすごいよね。
「メリー・クリスマス」また、新しい声。少しカンかった。
「メリークリスマス」おじいさんが返事する。「ミューズをお連れしました」
ミューズ?それ、あたしの事?
わけがわからなかった。
「…皆さんお待ちかねです。どうぞお入りください」とカン高い声。
もの凄い大きな音がした。大きなシャッターが開くような音。多分、これまでに見たことないくらいの大きなシャッターだったんだろうね。結局見られなかったけど。
「手を」おじいさんが戻ってきて言った。
わたしはその手を取って、カートを降りた。
「足下に気をつけて」おじいさんが言う。目隠しをされてるので気をつけるも何もなかったけど。
「メリークリスマス」また背後から新しい声がした。多分、カートを運転してた人だろう。
誰もそれには答えなかった。
あたしはおじいさんに手を引かれて、さっきよりは少し暖かい、さらに広い(と思われる)部屋に入った。
背後でまた大きな音がして、大きなシャッター(?)が閉まった。
NEXT/BACK
TOP