義父と暮らせば
作:西田三郎

「第8話」

■ステッピン・ストーン


 お義父さんの部下だと言うその男は、垂井という名前の風采の上がらない男だった。

 35歳だという話だが、まだ独身で、女性には縁があまりないらしい。
 待ち合わせた街のオープン・カフェで顔を合わせた時に、その理由がなんとなくわかるような気がした。……こりゃモテないわ、って感じ。体つきはがっしりしていたけど、背が低くてなんだか寸づまりな感じ。
 実際、垂井の背はあたしより低かった。
 だいたいからして夏物のスーツというものは男の人を薄っぺらく見せるものだけど……垂井の灰茶色のそのスーツは特にひどかった……今時、あんなに肩パットの入ったスーツはそう見かけない。いや、その代わりに垂井に似合うようなスーツを選んでやれ、逆にと言われたらあたしも困ってしまっただろう。あの角刈りの頭は岩石のような顔立ちにはキマり過ぎるくらいキマっていたが、それにどんな服が似合うというのだ。
 ……ああ、着流しを着て犬を散歩させていると案外ハマるかも知れないな、とあたしは勝手な想像を巡らせながら、垂井の退屈な話から現実逃避していた。
 
 「……お父さんから、いつもいつも、お話は伺ってます……何か機会があったら、お父さん、わたしら部下や同僚にさゆりさんの話をするんです……写真も何枚も見せられました……いやあ、ほんと、一度もお会いしたことがなかったのに、さゆりさんのことはもう僕ら、なんでも知っているみたいなもんですよ……お父さん、さゆりさんのことが本当に自慢なんですねえ……目の中に入れても痛くないって感じで……で、さゆりさん、今はお家で花嫁修行中だとか……いやあ……いいですねえ……さゆりさん、県立大をご卒業されてるんでしょ?……いや、まったく頭が下がります……それから……」
 
 云々。
 本当につまらない奴だった。
 
 お義父さんの会社には、こんな男しかいないのだろうか。

 いや、多分、お義父さんの会社だけじゃないんだろう。
 この世の中には、たぶんつまんなくない男なんてあまり居ないのだろう。
 っていうか、あたしは、殆ど家の中の生活しかしらない。外の世界にどんな男がいるのか……さらに言うならどんな女が居るのかも知らないし、それらがどんな具合でくっついたり離れたりするのかも知らない。男女の間で、どんな会話が繰り広げられているのかも知らない。
 だいたいあたしは、デートというやつをしたことがない。
 世間の男女は皆、こんなことをしているんだろうか?
 こんなどうでもいい話に延々と相槌を打って、どんどんぬるくなっていくコーヒーを前に、欠伸をかみ殺して、せめて相手が気を悪くしないように愛想笑いの種火を灯し続ける。
 よくもまあ、あんなどうでもいいことが次から次へと口をついて出てくるものだ。

 しかもこれで、デートははじまったばかり。まだお日様は高くて、夕食までには時間がある。それまでこの男はどうでもいい話を続けるつもりだろうか……?。垂井はあたしについても、いかにもさりげなさを装いながら、いろいろと探りを入れてくる。家では何をしているのか?お義父さんとどんな話をしているのか?どんなところに遊びに行くのが好きなのか?(どこも好きじゃない)どんな音楽が好きなのか?スポーツは好きか?(大っ嫌いだ)、どんな音楽を聴くのか?どんな本を読むのか?どんな映画を観るのか?……その他いろいろ。
 
 何なのこれ。まるで警察の取り調べだ。
 
 あたしがあんまり適当に返事をするので、こんど垂井は自分の話をし出した。会社での仕事内容にはじまり、アフターファイブの過ごし方、休日の過ごし方、今年のゴールデンウィークにはどこに遊びに行ったか、今年の夏はどこに遊びに行く予定か、会社での人間関係の話、接待や合コンの話、散々自分の現状を語り尽くすと、こんどは大学時代にはじまる自分の学生時代の話に移った。いかに大学生活が楽しかったか、という話。ああ、それは良かったね。思わずあたしは言ってしまうところだった。あと、高校時代にやったちょっとしたワルさの話。まあ、クラスメイトに掴みかかってその頭をいやというほど床にぶつけ続けたことに比べると、恐ろしく刺激の弱い話だった。
 
 あたしはできえるだけ退屈を表に出さないように心掛けたが、さすがの垂井にもそれは伝わったらしい。垂井は腕時計……オメガ・シーマスター……を大袈裟に覗くと、
 「少しぶらぶらしましょうか」
 と言って席を立った。
 
 街のぶらぶら歩きは、これまた退屈極まりなかったけれども、喫茶店の中よりはずっとましだった。
 最近、あまり街まで出かけていなかったということもあるのだろう。
 季節は夏真っ盛りで……空は晴れ渡り、直射日光は厳しかったけれどもなんとなくそれはあたしの心を明るくした。街路樹は濃い緑の葉をつけて、薄着の女の子たちが楽しそうに笑っている。
 ああ、たまには外出しなきゃなあ、とあたしは少し反省した。
 
 垂井はまだ延々と話し続けたけど、あたしはほとんど彼の話を聞いていなかった。
 
 その代わり、道行くたくさんのカップルを観察していた。
 いろんなのが居る。美男美女も入れば、美男醜女も、醜男美女も、醜男醜女も。
 ……それらが皆、手緒をつないだり、腕を組んだりで、このくそ暑い中、楽しそうに街を歩いている。
 みんなそれなりに楽しそうだからびっくりだ。一体なにが楽しくてあんな風に笑ってるんだろう?
 あんなふうにみんな、喫茶店でどうでもいい会話をしては、ニコニコ笑って寄り添って歩いて、食事なんかして、そんままホテルに入ったりするんだろうか?
 
 あたしは何だか、胸騒ぎのようなものを覚えはじめていた。
 
 どうにかして、そんな俗物カップルどもを心の中で見下してやろうと思ったけれども……それがなかなかできない。何故なのかはわからないが、家の中でそんな連中のことを勝手に想像しているのと、この明るい日差しの中で実際に目にしているのとでは全然気持ちが違う。……恐ろしいことだが、あたしの中では、彼・彼女らに対する畏敬が芽生え掛けていた……いやあ、すごいわ。あんたら。
 それができないあたしは、やっぱりおかしいわ。
 
 そんなことを思っていると、あっという間に夕食の時間になった。

 夕食は垂井がお気に入りだと言う韓国料理店だった。韓国料理ははじめてだったが、垂井おすすめのサムギョプサルという豚肉の焼き肉は美味しかった。それに韓国焼酎も良かった。あたしはお酒がそれほど好きではないけど、韓国焼酎とは愛称が合ったみたいだ。
 垂井は永遠に喋り続けるかのようだった。あたしのお酒のピッチが上がる。

 「結構、お酒好きなんですね」
 ああ、好きだよ。悪いかよ。
 これからすることを考えれば、飲まないとやってられない。
 だんだん酔いも廻ってきて、垂井の言葉はずっと遠くから聞こえてくるようだった。“大丈夫ですか?”とか“ウーロン茶でも飲みますか”とか……なんとかかんとか。まったくよく喋る男だよ。サラリーマンなんかやめてラジオのDJかなんかになればいいのに。あたしはすっっごくいい気分になっていた。もっといい気分になるには、こいつを黙らせる必要があった。
 
 あたしはふらふらと立ち上がると、よろける足取りで向かい合って座っていた垂井の横に腰掛けた。垂井が困惑したのがわかる……いい気分だ。
 あたしは垂井の耳にほとんどキスするくらいまで口を近づけて、言った。
 
 「ねえ、……おなか一杯になったし、腹ごなしにホテルいかない?
 
 軽いもんだった。 
 
 

<つづく>

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