義父と暮らせば
作:西田三郎「第3話」 ■そういえば始まりは
布団の中でごそごそしながら、あたしは昔のことを思い出していた。あたしとお義父さんの関係がはじまったのは、7年前……あたしが15際の時だった。
お母さんが死んで3年……男の人っていうのの我慢は3年が限度ってことなのだろうか?
いや、そんなことを言うとお義父さんが可愛そうだ。
母が死んだ後、お義父さんはほんとうにあたしに優しくしてくれた。
あたしを甘やかしたいだけ甘やかし、あたしを叱ったり詰ったりすることは一度も無かった。
まるであたしはお姫様で、お義父さんはその家臣のようだった。
あたしははっきり言って戸惑った。
あたしはそんなふうに大事にされたことがなかった。
母に死なれて可愛そうなお父さんに、出来るだけ心配や気苦労を掛けないようにしようって、子ども心にも考えていたので、そんなにも甘やかされるのはちょっと心外だった。
あたしは出来るだけいい子でいようとしたし、勉強だって人並み以上に頑張った。
そんなあたしに、お義父さんはいつもこう言った。
「無理しなくていいんだよ、お前はお義父さんの大切な大切なたったひとりの娘なんだからね」
言われて悪い気はしなかったけど、なんか違和感があった。
違うのよ、お義父さん。あたしは、もっとお義父さんにいい子だって思われたいの。
ようするに、そういう『いい娘ぶる』ことによって、もっとお義父さんに好かれたいの。
そりゃ、何にもしなくてもそんな風に言ってくれるのは嬉しいけどさ、それじゃあたしの努力の甲斐がないじゃん。
でもそんな思いを言葉にすることはなかった。
それに……よその家庭のことはよく知らないけれども、どこの家の子どももみんな、あたしと大して変わらないことを考えているもんなんだろうなあ……と勝手に考えて納得していた。
お義父さんはあたしにいつも服を買ってくれて、しょっちょう美容院にも行かせてくれた。
お義父さんがあたしに着せたがる服は、今から思えばかなり保守的で……白いブラウスにグリーンのチェックのスカートに紺のハイソックスにモカシン、とか……はっきり言ってかなりダサかったけれども、あたしは文句を言わずに着た。お義父さんはあたしはショートカットが似合うから、ということでいつもショートカットにすることを薦めた。あたしは自分でもそのさらさらの髪質に自信があったので、一度肩の下あたりまで伸ばしてみたいなあ……とは思っていたものの、お義父さんを喜ばせたくてずっとこのショート・ボブを守り続けている。
まあ、確かに、自分で言うのもなんだが、よく似合っているのだけど。
それにしても不思議だった。
お義父さんがあたしに着せたがる服、あたしに薦める髪型は……死んだ母自身の趣味とは全く正反対な代物だった。そのことには当時からうすうす気づいていた。……それは不可解ではあったけれども、何故かあたしの心を安心させ、満足させた。
お義父さんはあたしを、死んだ母の代わりであるとは思っていない。
お義父さんはあたしに、死んだ母の面影なんかを求めていない。
それを感じるたびに、わたしはいつも秘かにニンマリと心の中で笑った。
あたしは、死んだお母さんに勝ったんだ……。
根拠なく、そんなことを考えた。死んだお母さんがわたしのこんな思いを知ったら、どんな風に思うだろうか。それを考えると、愉快でならなかった。
多分、悔しがっているだろうな、とあたしは意地悪に考えてみる。
たぶん、母が生きていたら、ここまでお義父さんに愛されているあたしに、酷く嫉妬したに違いないと思う。いや、母が生きていたら、あたしはこれほどまでにお義父さんから愛情を注いでもらえただろうか?……多分、そんなことは無かっただろう。
それが判っているだけに、死んでしまった母に対するあたしの優越感は大きかった。
あたし、歪んでるだろうか?
そんな根拠のない優越感にあたしが浸りきっていた15歳の時だった。
あたしは学校でちょっとしたトラブルを起こした。
トラブルといっても大したことではない。
ちょっと、クラスメイトにケガをさせた程度のことだ。
そのクラスメイトの名前は、室田と言った。クラスでも人気のある、スマートな美人だった。
しかし、村田の心の中はクラスの誰よりも腐っていた。
底意地が悪く偏執狂的で……我が儘で傲慢だった。
クラスの女子の中でもリーダー的だった室田は、いつも何か人に威圧的で……ぎらぎらした目は常に自分の優位性を実証するための生け贄を求めているようだった。室田は週代わりでいじめの対象を探しては……自分と、その取り巻きで生け贄を好きなように弄んだ。
誰も室田には反抗できなかった……室田がいじめの対象にするのは、男女を問わなかった。
室田とその取り巻きに目をつけられたら……もうその生徒には人間的な生活は望めないに等しかった。不登校になるか、もしくは以降、人間的な尊厳は全て放棄し、室田とその取り巻きに媚びへつらって生きるかのどちらかだ。
あたしは室田のことが大嫌いだった。
あたしははっきり言ってクラスでも外れものだったので、いつかは室田一味の攻撃対象に自分が選ばれる時が来るだろうな、っていうのは肌で感じていた。
あたしがその対象の後回しになっていたのは、多分あたしが当時のあたしがあまりにも外れものだったので、室田サイドとしてもあたしが何を考えているのか、さっぱりわからなくて不気味だったからだろう。人間も動物だから、補食しやすい相手とそうではない相手は本能で判るのだろう。
でも、ある日の昼休みのこと、室田の取り巻きの女子2名が、クラスの隅っこでお弁当を食べているあたしのところへやってきて、ニヤニヤしながらあたしを見た。あたしは顔を上げた。取り巻きのずっと向こうで、ニヤニヤしてこっちを腕組みしながら見ている室田が居た。たぶん彼女、あたしがあんまりにも訳わかんない存在だったので、自分では手を下さず、手下にあたしへの斥候の役目をやらせたんだろう。まず、あたしはそこにカチンと来た。
「ねえあんた、血の繋がってないお義父さんと、ずっと二人で暮らしてるんだって……?」室田の手下のうちの、デブが言った。そいつも室田一味に散々いじめ倒されて、室田グループの一味に入った負け組のひとりだった。「……みんな言ってるよ。あんたが親父と変なことしてるって」
「……変なこと?」あたしはお義父さんが作ってくれた囓り掛けの卵焼きを弁当箱に戻しながら、そいつを見上げた。「……何?変なことって………?言ってみてよ」
あたしは、ゆらり、と席を立った。
それだけで室田の取り巻き二人は完全にビビったようで、それぞれ一歩ずつ後じさりした。
「……みんなって誰が言ってんの………?」あたしはそのまま、室田を指刺して言った「みんなって、あいつが言ってるだけでしょ?………あいつは、“みんな”なわけ?」
「……って……」取り巻きは下を向いて口ごもった。
あたしは取り巻き二人を両側に押しやって、室田にズカズカと歩み寄った。
予想外の展開に、明らかに室田は動揺していた。
すっごくいい気分だった。
彼女の造りの美しい顔が、困惑に歪むのを見るのは。
相手の恐怖の匂いを嗅ぐのは。あたしはすごく、サディスティックな気分になっていた。
「ねえ、教えてよ。変なことって何?」あたしは室田の胸ぐらに掴みかかり、そのまま床に引き倒した。室田の身体は毎晩あたしが頭の下に敷いて寝ている枕よりも軽かった。「ねえ、教えてよ……ねえ、ねえったら………変な事って何よ?」
あたしは室田が情けない泣き声を上げるまで、室田の頭を床に叩きつけ続けた。
<つづく>
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