童貞スーサイズ
第一章 「ザ・ガール・ウィズ・ノー・ネーム」



■第6話 ■ ボーイ・ミーツ・ガール

 いきなり電柱の影から飛び出してきた少年と外人娼婦の二人組に、少女はたじろいで目を見開いた。
 不機嫌そうなあの表情が消えた……が、芳雄の胸の奥が、きゅっ、とねじれる。

「……な、な…何よ? ……何よ? あんたら!」
 ビデオと同じ、少しハスキーなあの声。
「中の男はどうなった? ……死んだのか……??」芳雄は声を荒げていた「いったい……中で何してた???」
  少女に詰め寄った……動揺と、出会えたことの喜びをそうして覆い隠す。
 少女は2、3歩後ずさったが、すぐ足を止めて落ち着きを取り戻し……芳雄を睨み付けた。
「……あんた、誰よ? それに、うしろの外人のおばさん誰よ???」
「コノコノ、愛人ダヨーン。ソレニ、オバサンジャナクテ、オネエサンネ」
「マリアさんは黙っててください……」芳雄はマリアを振り返らずに言った。
  
 夢にまでにて見た……という表現は陳腐だが、まさに今、芳雄にとって「運命の少女」が目の前に居る。
 芳雄は硬い表情を崩さないように心がけながら、まじまし少女の姿を目に焼き付けた。
 あの動画で身につけていた制服姿ではなく、グリーンの「ラモーンズ」ロゴ入りTシャツとスリムジーンズ姿だっが、紛れもない彼女だった。

 ビデオと代わらぬあのふわふわの癖毛。長い前髪にの隙間から覗く、切れ長で意志の強そうな目。
 小さな鼻に、すこし厚い唇。思っていたよりも、さらに少女の体つきはほっそりとしていて、やはり身長は芳雄より少し高かった。
 あのビデオを撮影してからまた、背が伸びたのかも知れない。
 少女の顔から困惑の色はすでに失せていた。そしてそれはみるみるうちに警戒に代わり、落ち着きを取り戻した今、芳雄を含む世界の全てを鼻であざ笑うような、絶対零度の笑みに変化した。
  
「何なの? あんた、誰? ……あんたみたいな子どもが何やってんの?」そういって少女が皮肉っぽく笑う。「こんなとこ、あんたみたいな子どもが来るとこじゃないよ」
「……あんたこそ何やってんだ? ……僕とかわらない子どものクセに」
 そうは言ってみたが確かに……改めて見ると彼女は芳雄より一つか二つ歳上のようだ。
「あたしがなにしようと勝手でしょ。一体何の文句があるわけ? あんた何?……“青少年純潔運動”のヒトかなんか?」
「……あんたは人殺しの売春婦だ」芳雄は思わず口に出していた。「この……人殺し」
 父の死に関して彼女を責めるような気持ちは、まったくなかった。
 ただ、子供あつかいされ、バカにされ、完全にナメられていることに対して、何か抵抗を見せたかっただけだ。
「ヒト殺シハ、ワルイケド、バイシュンフヲ、ソンナニ悪クイウナヨ」とマリア。
「……マリアさんは黙っててください」
「あんた、ここおかしいんじゃない?」処女は自分のこめかみのあたりで指をくるくると回す。「あたしが……誰を殺したってのよ??」
「覚えてもないのか??」
 芳雄は思わす少女の肩を掴んだ。
「ちょっと!……痛いよ。離しなさいよ……ってか離せ! クソガキ! 大声出すよ!!」
「出してみろよ! ……あんたがあのホテルの中でやってる事を、みんなに教えてやれよ!」
「……ちょっと……あんた、やっぱおかしいんじゃない? 離してよ……離してったら!!」
「思い出せ! 覚えてるだろ? ……1年前だ! あんたと、心中しようとして、死んだ男のことだよ! ……まさか忘れたなんて言うんじゃないだろうな!」
「え? ちょっと……え? ちょっと待ってよ……」少女の目に、ほんの少しだけ動揺の色が戻った。「……何なのよ。それと、あんたとどんな関係があんのよ」
「覚えてるのか? ちゃんと覚えてるのか……???」
「……あんた、一体誰よ? 何でそんなこと知ってんのよ??」
  
 道行くラブホテル街の人々が、立ち止まりはしないが芳雄と少女のディスカッションをちらちらと盗み見ている。
 マリアはそれらの人々全てに愛想良く笑いかけて言っていた。
「ドーゾー、キニシナイデクダサーイ、身内ノ揉メゴトデスカラー」
 この状況を一目見て、事情を理解できる人間など誰もいないだろう。
  
「……僕は、その男の息子だよ」
 芳雄は少女の目を真っ直ぐ見て言った。
「…………」
 少女の視線が、まっすぐ芳雄の目に打ち返ってくる。
  
 少女の黒目は大きいが、それは不思議な淡い色をしていた。
 その奥の、奥の、奥の奧に何があるのか確かめに潜って行きたい、と思わせるような、薄い褐色の瞳孔。
 それを“美しいな……”と思った瞬間、芳雄は頭に血が昇ってくるのを感じた。
 あっという間に顔が熱くなった。
 目がきれいな人は心も綺麗だなんていうが、それは大嘘だな、と芳雄は思い、溢れだしてくる情動をなんとか抑えようとした。
 目の前に立っているのは、純真無垢な少女どころか、死神の淫売なのだ。
 父を失ったことなど、芳雄にとってはどうでもいいことだった。
 そんなことよりも、この一年の間ずっと……目の前の少女に心を占領されていたことが許せなかった。
 この少女がさっきまで、『いのこりラッコ』の一室でどんなすごいことをしていたかと思うと、ますます許せなかった。
  
「………あんたが? コバちゃんの?」
 少女が用心深く言う。
「コバちゃん? ……父さんのこと??」
 芳雄が問うと、少女はちいさく頷いた。
「……そうか。あんたが……コバちゃんの息子さん、ってことかあ……」
「コバチャンテ、アンタノオトーサンカ?」マリアが一歩遅れて会話に入ってくる。
「すみませんが、ちょっと静かにしてください」芳雄はマリアの方を見ずに言った。
「……じゃああんた、あの動画、観たんだ……」
 少女が表情を崩さずに芳雄の目を覗き込んでくる。
「ああ。観たよ」芳雄は耳まで赤くなりながら言った。「……何度も、何度も……」
「……どうだった?」また少女は鼻で笑うような笑顔を見せる。「……やっぱり、コーフンしちゃった? あんたにはちょっと、早すぎたんじゃない??」
「……ナメるなよ」芳雄は唇を噛みしめながら言った。「……こっちは、あんたの出演してる動画を持ってるんだぜ」
「へえ??」少女が非常に大袈裟な身振りで驚いたふりをする。「……だから、何? まさかそれをネタにあたしをユスろうっての?」
「………」

 言ってはみたものの、そこまで考えているわけではなかった。
 芳雄は、自分でも何をどうしたいのかわからなくなっていた。

「……あたしをユスって、あたしといやらしいことしたい? コバちゃん……じゃなくて、あんたのお父さんみたいに? あんなことがしたいの?」
「…………」
 少女が少し背をかがめ、芳雄の顔の位置に自分の顔を近づけてくる……完全に、舐められていた。飲まれていた。
「……あんたさ、あの動画で……ぶっこきまくったんでしょう……そうじゃない?」
「……そ、そんな……」
 図星だったので、思わず、胸が詰まった。
「ドウガ? ドウガ、ッテナニ?? ヤラシイヤツ?」
「何なのよ、このガイジン」
 少女が怪訝そうにマリアを見て言う。
「ナニ? ナニ? ……ドウガッテ、ナニ?」マリアは少しも堪えていない様子だ。
「……そんなんじゃ……なくて……」マリアを無視して、芳雄は俯いた。
「ねえ、したいんでしょ? お父さんとおんなじこと、あたしにしたいんでしょ? 正直に言いなさいよ。あの動画で、毎晩ぶっこいてるんでしょ?……やらしい子ね〜……やっぱりそのへん、お父さんと一緒。ホント、女の子みたいに可愛い顔して……どスケベなんだから」
「…………」
 芳雄の頭の中はめまぐるしく稼働していたが、ひとつとして言葉が出てこない。
「ナニ? ドウガ? ドウガミテ、コイテルノカ? コイツ? ネエネエ、ドンナドウガ??」
「だから何なのよこのガイジン」
 少女はうざったそうに言うと、また背を屈めて芳雄の耳元まで口を持ってきた。
  
 少女の息を耳に感じ、思わず、芳雄は飛び上がった。
  
「ねえ、どう思った……?」少女が囁く「……やらしかったでしょ、あの動画」
「……ん……」
 耳を舐めんばかりに唇を近づけられて、芳雄は思わず後ずさった。しかし少女の唇が追ってくる。
「……コバちゃん……じゃなくて、お父さんって、すごいのよ……あの後、あたしとお父さんが、どんなことしたのか知りたい?」
「……何を……そんな……」
 言いかけたときだった。
 少女がひょい、と軽やかな身のこなしで芳雄から離れた。
「……じゃあね、お父さんの遺してくれた動画で毎晩ぶっこいときな。さよなら」
  少女が踵を返し、立ち去ろうとする。
「待てよ……」
 思わず芳雄は、少女のか細い手首を掴んでいた。
「いたっ!」少女が顔をしかめる「……ってか、離してよ」
「……お前は、何なんだよ。誰なんだよ。名前はなんてんだよ」芳雄は嗄れた声で言った。
  
 と、また少女の顔に冷笑が戻る。芳雄は思わず手を離していた。
  一生忘れられない笑顔だろうな、と芳雄は思った。事実、そうなった。
……名前は……ないの」少女はシニカルな感じでそう言った「……じゃあね」
  
 金縛りにあったように、動けなくなった芳雄を残して、少女は芳雄に背を向け、離れていった。癖毛の髪を揺らしながら。

「……アララ、追イカケナクテ、イイノカ??」マリアが言う。
「……いいんです」芳雄は俯いたまま言った。何故か、泣きそうになった。「もう……いいです」
「……トコロデ、アノコト、ホテルニハイッテッタ、ヤクザテキナオトコ、ドウシタノカネ」
  
 芳雄ははっと顔を上げた……そう言われれば、それは確かに……結構重要な問題だ。



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