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童貞スーサイズ
第一章 「ザ・ガール・ウィズ・ノー・ネーム」



■第7話 ■ Victim

「まさか……死んでるなんてこと……ないですよね?」
  芳雄は言った。マリアに、というよりか、自分自身に言い聞かせるように。
「サーネー」
 芳雄の背後でマリアは知らん顔でタバコをふかしている。
「……」
  あの少女が消えてから、もう1時間になる。
 ホテル『いのこりラッコ』の出入り口から、少女と一緒にホテルに入っていった“ヤクザ風の男”が出てくる気配は一向にない。
 マリアとともに電柱の影に控えていると、数組のカップルがホテルに入っていき、数組が出ていった。
 入るときは二人して照れ笑いのようなものを浮かべながら。出てくるときは、男の顔も女の顔も満ちたりたような表情で。
  
 “畜生、のんきに幸せそうにしやがって。いい気なもんだな!”芳雄は心の中で毒づいた。
  
「あと1時間待って……その男が出てこなかったら……」口に出して言ってみる。「出てこなかったら……」
「ドスルノ?」マリアが芳雄の顔を覗き込む。
「………」特にどうするのかを考えていたわけではない。
 芳雄は口ごもった。
「ケーサツ、ヨブカ?」
「……っていうのも……」
「ホテル、ハイッテッテ、片ッ端カラ、ドア開ケテクカ?」
「……っていうのも……現実的じゃないですよね」
「ソモソモ……カンケイ、ナイジャン。アンタニハ」マリアがまた新しいタバコに火を点けて、同時に欠伸をする。「ホットイタラ? ……デ、オトコガ出テキタラ、ドスルノ? ……ナニカ、プラン、アンノ?」
「………」悔しいが、なかった。返す言葉もなかった。
  
 と、マリアが“アアーッッ!!”と素っ頓狂な声を出した。
「出テキタ! アレ! アレ! ……アノオトコヨ!」
 慌てて、マリアが指さす方向を振り返る。
 
 ……その男はまるで幽霊のように、「いのこりラッコ」の出入り口の前に佇んでいた。
  
  確かに、マリアが言っていたように、“痩セテテ”、“背ガ高ク”、見るからに“フツーノサラリマントチガウ”風体の男だ。
 身長は高く、悠に180センチを越しているだろうか。しかし、異様なくらい痩せていた。
 まるでガイコツがそのまま背広を着ているようなその痩せ具合が、身体全体のひょろ長さをいやというほど強調している。
 暗いので良くわからないが、どうやらそのブカブカのスーツは、毒々しい紫色である。
 とてもカタギの感性で選ばれたものではない。
 スーツの下には白いワイシャツ。第3ボタンまで開いた胸元から、あばらの浮いた胸板と鈍く光る金のネックレスが覗いていた。
  しかし何より異様なのはその顔である。その容貌はまるで、食中毒にかかったゾンビのようだった。
 骨の上にぴったりと張り付いた土気色の肌、長い顎……左右の目では、黒目がそれぞれ別の方向を見ている。
 目の下には、子どもがマジックで落書きしたようなくっきりとした黒い隈。
 男はその場に突っ立ったまま……まるで海底のワカメのようにゆらゆらと揺れていた。
  
 ゴクリ、と思わず芳雄は唾を飲み込んだ。
「……ヤバイヨ……」マリアが珍しく慎重な声で言う「……アレ、完全ニ、イッチャッテルヨ」
「………」
 
  やがて……男が夢遊病者のような足取りで、少女が消えた方向とは反対の方向に歩き始める。
 歩き方もやはりゾンビじみていて……通りをすれ違うカップルは誰も、大きく男の行く手を迂回した。
 男を中心とした周囲半径4メートル以内の圏内には、誰も入ってこようとしなかった。
  
 芳雄は腹を括り、男のほうへ足を踏み出した。その肩をマリアが掴む。
「アンタ、アレ、ヤバイヨ」振り返ると、マリアの顔は真剣だ。先日、芳雄を路地に引きずり込まれたときと、同じ表情だった。「……アブナイッテ。ヨシナッテ」
「離してください……すいません。僕、行きます……連絡、ありがとうございました」
 芳雄はマリアの手を肩から振りほどいて、振り向くことなく電柱の影から飛び出す。
 背後からマリアが何か声を掛けたが……芳雄はそれをあえて聞かず、男を追った。

 男の足取りは、危険極まりなかった。男の行く道にすれ違う人々にとっても、男自身にとっても。
 まるで、男を運転している脳の中の小人が、泥酔しているかのような歩き方だ。
 道の幅いっぱいに左へ、右へ、左へ、右へ………“前後不覚”とはああいう状態のことを言うのだろう。
 男は通の右端の電柱にぶつかりそうになったかと思えば、ふらふらと倒れ込むように通の左側を歩いていたカップルにぶつかりそうになり、上手くかわされて ごみ箱にぶつかった。しかし溢れたゴミを蹴散らしながら今度はまた通の右側に立っているキャバクラの客引きにぶつかりそうになり……。
  
  そんな状態なので、芳雄が尾けていることに気づかれる筈もなかったが……いったい男はどこに行くつもりなのだろうか?
 ……芳雄の心に不安が広がる。
 方角から言うと駅のほうだが、ひょっとするとこの男は、僕以上に自分がどこに行こうとしているのか判っていんじゃないか? とさえ思えた。
  
 男は芳雄の考えどおり、男は駅舎の中に入っていった。
 普通に歩けば駅まで10分と掛からないところだが……そんな男の足取りのおかげで、既に30分が経過していた。
 男は改札の方には向かわずに……そのまま公衆便所の中に入ってく。芳雄はしばらく外で、男が出てくるのを待つことにした。
  
 しかし……5分、10分と経っても、男は出てこない。
 待つということがこんなにも苦痛を伴うものであるということを、芳雄は改めて思い知らされた。
 それにしても今日は何て日だ。ラブホテルの前で刑事よろしく女子高生を待ち伏せをしたその直後に、公衆便所の前でいかにもスジ者系の男を待ちぼうけとは……これまでの14年の人生で、これほどにハラハラしたことは無かった。
  
 10分……20分……芳雄は待ち続けた。10分が1時間、20分が2時間にも感じられた。
 今夜は2回も刑事か探偵の真似事をしている。
 ……いったい自分は何のためにこんなことをやっているのだろう?
 いやいや、そうじゃない……問題は自分が尾けている男のほうだ。
 一体男は……公衆便所で何をしているのだろうか?
 中で煙になって消えてしまったんじゃ? ていうか、あの少女も、今日の出来事も、マリアからの電話さえも……ぜんぶ夢だったんじゃ?
 小さな不安にしか過ぎなかったものが、だんだん心の中で成長を続け……いつしかそれは心を覆い尽くす大きな雨雲になっている。
 そしてそういう時ほど、人間は理性的に行動することができなくなる。
  
 芳雄は意を決して、公衆便所に足を踏み入れることにした。
  
 強いアンモニア臭。
 見渡せる薄汚れた風景の中に、人影は無かった。
 5つほど並んだ小便器の前には人影はなく、その向いにある4つの個室はドアが開いている。
 ……出て行ったのをは見過ごした?……いや、そんなはずはない。
 あんなにも目立つ男を、見過ごす筈がない。芳雄は慎重に……手前の個室から空いている個室のドアを確認していった。
 
 一つ目……人影ナシ。
 二つ目……人影ナシ。
 三つ目……壁に大きな女性器の落書きと携帯番号の落書きがあるが人影はナシ……。
  
 四つ目のドアを覗いた時だった。
 中から突然飛び出してきた長い腕が芳雄の襟首を掴み、個室に引きずり込む。
 男は芳雄の口を、ささくれだった掌で覆い、便器をまたがせて壁に押しつけると、ドアを閉め、鍵を掛けた。
「……ん……ぐ……」
 男の顔が目前にあった。
 間近で見ると……ますます人間らしさのない顔だ。男は目をギョロリと見開き、カサカサに乾いた唇をだらりと開いて口を開けている。
 前歯が2本ともかけていた。口臭がきつい……胃にネズミの死体を保管しているのではないか、と思うくらいの悪臭だった。
 トイレの臭気も、芳香剤の香りも、すべてを殺してしまう口臭だ。
  
「誰だ? オメ?」男には東北の方の訛りがあった。「何で、オラ尾けとる?」
「ん……ぐ………」答えたくとも、口を男の手でしっかりと塞がれている。
 芳雄は完全に怯えきって……本当に小便をちびりそうだった。
 あの能天気な外人娼婦の言うことを聞くべきだったのかも知れない。
 一体、何をされるのか……芳雄は自分の運に自信がなかった。
 ひょっとすると、殺されるかも知れない……芳雄は見開いた目で男の顔をじっと見た。
 そのぞっとするような濁った目から、目を離さずにはおれなかった。
  
 それが……男に何かをもたらしたのだろう。
  
「お?」男は何かに驚いた様子だ。「……お……こりゃ、まさか……」
「……ん……?」芳雄には何がなんだかわからない。
  芳雄の口を塞いだまま、男は自分のズボン前に目をやった。
「……まさか……こげなこと……」
 男が左手で自分の股間をまさぐる。
 芳雄も男の股間に視線を落とした……そして、見るべきではなかった、とまた後悔することになる。

 男のズボンの中で激しく硬直したものが、ブカブカの布地を激しく突っ張らせていた。

勃っだ!……おい、オラ、勃っだよ…………」男は嬉しそうに芳雄の顔を見る「ほれ、見れ! おら、おっ勃ってでるだよ!!」
  
 それと僕になんの関係があるのですか、と芳雄は問いたかったが、口を塞がれていなくともそれを口にする勇気はなかった。
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