愛の這ったあと
ある寝取られ男の記憶の系譜

作:西田三郎




■16  『その部屋で辱めを受けていたのは、彼女だった。』
 

 「……うっ……あっ………」
  もうその頃にはだいぶ目が闇に慣れていたが、窓をバックにしてシルエットしか見えなくとも、その女の状態はあまりにも異様だった。
  「……ふっ………はあっ………くうっ……

 ……ブウウウーーーーブウウウウウウウーーーーーーン…ウウーーーーーーンブウウウーーーーーーン……

 女は全裸だった。
  背筋を伸ばして、両脚を相撲でいうところの蹲踞の姿勢で金属製の椅子のような台に固定されている。細い両肩がこわばっているのは、両手首を腰の後ろあたりで固定されているかららしい。金属製の椅子には赤いフェイクレザーのシートが貼ってあったが、闇の中でそれは真っ黒に見える。

  女は頭をうな垂れていた。短い髪だったが、垂れ下がった前髪のせいで女の顔は見えない。
  薄い胸がさらけ出されているさまは、痛々しかった。

  汗にまみれた白い肌が闇の中でぼうっと浮かび上がっているようにさえ見える。
  細い胴と肋骨の出た肉体……そのいたるところに痣が見えた。
  そのいくつかは、唇の形や指の形をしていた。

  大きく広げられた細い足は曲げられて、膝の少し下とすねを黒い粘着テープがぐるぐるに固定している。女が尻を置いている同じく赤いフェイクレザーが張られた椅子はU字型をして、女の股の下がすっぽりと開いていた。ちょうど、便器の便座のような形をしている。その下には金属製のタライが置かれていて、その容器を半分ほど満たしている液体は透明だが、生臭い匂いを漂わせていた。

  そのタライに、ポタリ、ポタリと水滴が落ちている。
  水源は、女の股間だった。

  女の股間には唸りを上げるバイブレーターが根元まで押し込まれており、脚を拘束しているのと同じ黒のマジックテープで「×」の字に固定されていた。女の腰が、ビクン、ビクンとモーターの動きに合わせて反応する。 陰毛はきれいに剃りあげられているようだった。機械のうねりに合わせて……そうやって固定された中でも女のか細い、痛々しい肉体がうねった。
 
  「くううっ………うっ………
  幅の狭い少年のような腰をくねらせて、女が機械の振動に反応した。
  ポタポタッ……とタライの水面に数滴、液のしずくが落ちる。水面に波紋が広がった……その表面に、わたしの顔が映っていた。そこまで近寄って、覗き込んでいたのだ。
 
  そんな……まさか。
  いつのまにかわたしは、全身にびっしょりと汗をかいていた。
  まるで溶けてしまったあの男のように。

 わたしは手を伸ばして、女の骨が浮き出た頼りない肩に触れた。
  湿 っていたが、とても冷たかったのを覚えている。

 「はううううっ………!!

 女が髪を振り乱して顔を上げた。女は皮製(か、もしくはそのまがい物)の目隠しをされていた。口には皮バンドで固定された、穴の開いたピンポン玉を銜えさせえられていた。その名前はボールギャグというらしい。目隠しにもなんらかの名前があるのかも知れない。どうでもいいものに名前がいっぱいついている。だらり、と噛まされた玉の穴のひとつひとつから透明の唾液が流れて、女の小さな顎を塗らしていた。

 わたしは女の頭の後ろに手を伸ばして、まず口を拘束しているボールギャグとやらを外した。

 「ぷはっ………はっ……はっ………」

 女が大きく息をついて、がっくりとうな垂れる。
  解放された瑞々しい小さな唇から、またよだれが大量に垂れた。
 次は目隠しだった。女は何をされてもされるがままだった。
  そりゃそうだろう。こんな格好でこんないかがわしいものに拘束されているのだから。
  目隠しを外すのに、少し手間取っていると、女のか細い身体がぎゅうううっ、としなった。

 「はああああっ、あっ、あっ、あ、あ、あ、あっ……いくっいくっ……いっくううううううっ……うっ」

 がくん、と女の身体が弛緩するのと同時に、目隠しが外れた。
  また、うなだれた女の顔を前髪が隠した。絶頂の余韻にひくひくと痙攣する女の身体。わたしは痴呆のように、右手に目隠しを、左手にボールギャグをぶら下げてそれを見ていた。

  頭の中でさまざまな思考がアメーバのように分裂し、這い回り、ひとつになったかと思えば、また分かれた。   そしてそれらの思考はやがて、三つに集まり、ようやく意味を持つ形になった。
  それはあれ以来……あの会社の最寄駅の階段で転げ落ちて以来、わたしの中から失われていた3文字だった。

 「みどり……」わたしは女の名前を呼んだ。
 
  女……妻のみどりは、反応しなかった。
  股間でうなりをあげ続ける機械が与える刺激こそが、今の彼女にとってはすべてらしい。絶頂を迎えたあとも、さらにまた新たな高みにたどり着こうと、必死に、なやましげに細い腰をうねらせている。
  「×」の形のテープに固定されたバイブレーターが、「キュキュ、キュキュ」とネズミの鳴き声のような音を出している。ぎゅっ、ぎゅっ、っと女の……みどりの鼠蹊部の筋肉が緊張し、腹筋に力が込められるのがわかった。
  「あっ………うあっ…………あうっ……くっ……」

 後ろ手に縛られているせいで、ぴん、と這った肩に口を寄せ、その肩を噛もうとするみどり。
  わたしは手を伸ばして、その前髪をかきあげた。髪は汗でねっとりとしていた。わたしが髪をかきあげても、みどりは顔を上げようともしない。でもその横顔は、紛れもなくわたしの妻のものだった。
  わたしの中に、記憶として残っている、妻のみどりの顔だった。みどりの身体だった。

  「みどり………」と、声に出して名前を呼んでみる。ひどく掠れた声だった。
  そっと頬に触れようと手を伸ばした。すると、
  「うううんんっっ!!!!」と、蚊でも追い払うように顔を背けられた。

 ずっと心が死んでいる気分だった。ここ数ヶ月間、ずっとそうだった。
 でも、この光景を目にしても、心は帰ってこない。
 帰ってきたのは記憶だけだ。妻の名前。みどり。それだけだった。

  「誰に……こんなことをされたんだ?」わたしはみどりに声をかけた。
  「……うっ………あっ……」みどりはまたくたりと首をうな垂れて、のけぞった。わたしの声は届いていない。「……んっ………ふうっ………」
  「あいつか?」わたしはみどりの前にかがんで言った「あのハゲか?あのハゲが、こんなことをしたのか?」

 言いながら、わたしは怒っていたと思うだろうか。男のみどりに対する仕打ちに、まともに怒りを感じていたと思うだろうか。もちろん、違う。わたしはひどく興奮していた。下半身が、ずきずきと反応しはじめていた。
  嫉妬はあった。健全な嫉妬ではない。どす黒い、下水道を流れる腐った水のような嫉妬だった。
  重油のような嫉妬だった。

 「ふん……ふっ……うん………」

 みどりは聞いていない。鼻から漏れる吐息が、わたしをあざ笑ってるようだった。
  わたしは手を伸ばして、みどりの股間にバイブレーターを押し込んでいる「×」形のテープを剥がしてやろうとテープにつま先をかけた。

  「やめてっっ!!!!」はじめて、みどりが言葉を発した。「……取らないでよ………
  「みどり……」名前を呼んだが、まだ現実感はない。
  「んんんっ………い、いいとこなんだから………あっあっあ、あ、あ、………んんんっ!!!
   がくん、とみどりの頭がのけぞって、またうな垂れる。

  「……あいが……」わたしはまたみどりに声をかけた。「あいつが……君にこんなひどいことを?」
  「……んんっ……ひ、ひ……どい……こと?」みどりは顔を上げずに答える「……これ、ひどいこと??
  「………かわいそうに……辛かっただろう………」わたしの声は台詞でも読んでいるようだった。「………なんてことを……あいつが……君にこんな……」
  「……あいつ?」と、みどりが前髪の奥からわたしを覗いた。落ち窪んだ目で、刺すような凄みのある視線だった。「……あ……あ……あいつって……だれ?」
  「あいつなんだろ?」わたしは湿ったみどりの両頬をつかんで言った。「君にこんなことをしたのは?」
 
  みどりが笑った。あの薄い唇を、ぞっとするくらい邪に歪ませて。
  「……違うのか?……じゃあ……」わたしの声は枯れていた「誰が………こんなことを……」

  「……あんたじゃん」みどりが答えた。

 

 

 

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