無き世界に In a World Without Love
〜中国自動車道中1少女手錠放置死事件〜

第三章「ロスト・ハイウェイ」

妄想:西田三郎

■2005/02/15 (火) 愛無き世界に(第三章) 〜ロスト・ハイウェイ〜 20

「How do you live on such a field?」

 子どもは何のために生まれてくるのか?
 
 いろいろ理由はあると思いますが、一番の理由はこの人類という種を絶やさないようにするためです。人間の生態はかなりの部分で蟻や蜂に似ており、その至上命令は少しでも沢山ファックしてたくさん子どもを作ること。まあ、誰がなんといおうとこれは事実であり、その証拠にほとんどの人間はファックが好きなように作られており、四六時中ファックのことを考えています。ファックがやりたいときに円満に、平和的に実現可能な交尾の相手が身近におれば、何も言うことはないのですが、事実そういうわけにもいかない。文明社会というものは巧妙に、ファックによる繁殖を至上命令としたこの人間という生き物が、自らが動物的本能に基づいて人生を送っていることを自覚することなく、円満に過ごすことができるよう、そこで暮らす我々へ平等にファックの機会が与えているのですが…(まーその、伴侶や恋人やらのない人向きにはフーゾクとかもあるわけで)、やはり自分がファックに枯渇した状況にあることを知ったその時、人ははじめて自分がファックのためだけに生きている寂しいケダモノの一匹であることに気づくのです。
 
 人間とケダモノを隔てているものはなにか?
 
 これは大変微妙な問題です。確かに我々人類は地球最高の英知を手にしました。宇宙には行くわ、ありとあらゆる疫病を克服するは、家庭用ロボットも実用化間近だわというわけでやっぱり文明というものは素晴らしい。いや、文鮮明が素晴らしいと言ってるのではなく、文明が素晴らしいと言っているのです。
 
 しかし…この地球上には依然、人喰い人種が居る。

 それは、あなたの近所に住んでいます。

 彼らは何も、腰ミノをつけて石斧を手にあなたに襲いかかってくるわけではないので、彼らが人喰い人種であることは、見た目からはわかりません。
 しかし、真夜中に…それもとても静かな真夜中に…一度、耳を澄ませてみてください。
 かすかに、それは聞こえてくるはずです。
 
自らの親に食い物にされるために生まれてきた、不幸な子どもたちの悲鳴と泣き声が。

<つづく>


■2005/02/16 (水) 愛無き世界に(第三章) 〜ロスト・ハイウェイ〜 21

「暗黒大陸日本」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。9割8分くらいまでが妄想です。

 と、今朝の朝刊(S経新聞)に目を通しておりますと、77歳のお爺さんからのこんな投書が掲載されていました。
 
 お爺さん曰く、昨今の幼児虐待事件の増加は、戦後日本の教育体制に問題がある、と。
 加害者である親は、「カッとなったから」とか「イライラしていたから」という、到底大人によるものとは言えない理由で子どもを虐待し、最悪の場合は殺害してしまう。これらも全て、「忍耐」という思想の美徳を放棄した日本の戦後教育思想に問題がある、と。人々は「堪え忍ぶ」中で事態の解決と最適の展望を持つ能力を失ってしまった、と。
 
 まーこのお爺さんと同じくシロートであるわたくしがこの説にマジレスするのは如何なものかと思いますが、とにかくこのお爺さんはその原因を求めるものこと違えど、わたくしと同じ問題意識を持たれていると思います。
 
 ただ、お爺さんが見過ごして居られるのは、児童虐待の案件は即ち増加しているのではなく、近年、ようやくこの土人レベルの先進国も幼児虐待問題を真剣に考えるようになったのであり、それが事件として立件されることが増えてきているだけだということなのですね。それ以前も児童虐待は存在したのですが、それは“しつけ”や“家庭事情”の後ろに隠れて事件になり得なかっただけなのです。

 また、被害者である子どもたちが親の理不尽ないじめに「耐えて」いることこそが、児童虐待が痛ましい結果に終わることの最大の理由だからです。「自分さえ我慢していればいいんだ」「これはイジメではなくて僕に対する躾なんだ」…虐待される子供たちの多くは、幼さ故に世間一般の常識を持ち得ず、自らが被る理不尽を理不尽として受け入れる感性を持ち得ません

 またもうひとつの問題は、幼児虐待に対する世間の問題意識の希薄さです。
 それは実際に立件された幼児虐待事件に対する日本司法システムの問題意識の希薄さにも表れています。子どもを熱湯につけて苛め殺したような親が10年以下の懲役で済んじゃってるこの現状もまた、虐待ダイスキなクソ親たちの罪悪感を曖昧にしているのです。
 
<つづく>


■2005/02/17 (木) 愛無き世界に(第三章) 〜ロスト・ハイウェイ〜 22

「全国のルカ達」


※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。9割8分くらいまでが妄想です。


『もし真夜中にあなたが何かを聞いたって
何かのトラブルや喧嘩の音みたいだったとしても
「あれは何だったの」ってわたしに聞かないでね』
〜スザンヌ・ベガ 「ルカ」


 ハヌマン・ラングールというサルは、オスザルが別の群のボスザルを追い出して群を乗っ取った際、それまでその群のメスが産んできた小ザルを皆殺しにします。で、テメエは悠々と群のメスザルとファックしまくり、我の遺伝子を後世に残すのです。まあ、ケダモノのやることですので何とも残忍といいますかエゲツない話ですが、ある意味ハヌマン・ラングールの子殺し行動は、自らの遺伝子を後の世に残したいという生物的な本能に裏付けられたものであり、それに道徳を求めるのが筋違いというもの。
 
 しかしサルよりは少しはマシな高等な知性を持ち、まやかしだろうとなんだろうと社会道徳というものに縛られた生活を送ることを余儀なくされている我々人類までもが、我が子を理由もなく苛めて果ては殺してしまうのは何故か。
 
 厚生労働省調査によりますと平成12年(古いよ)度に全国児童相談所で受け付けた児童虐待の相談件数は18,804件。これが7年前の平成5年(この年から調査がはじまりました)では1.611件。なんと10倍にも増えています。

ただ、前章の教師のセクハラ問題でも述べましたとおり、これはあくまで然るべき機関に届けが出され、何らかの処置が行われた件数と見るべきですので、単純に児童虐待が増加していると見ることはできません。

しかし、逆に考えれば7年前にも表層化した1.611件の裏には、届けに出されることの無かった数多の虐待案件が存在した訳であり、その状況は未だに変わりません
(ここんとこしばらく気の滅入る話が続きます)
 
<つづく>



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