愛無き世界に In a World Without Love
〜中国自動車道中1少女手錠放置死事件〜
第三章「ロスト・ハイウェイ」
妄想:西田三郎■2005/01/21 (金) 愛無き世界に(第三章) 〜ロスト・ハイウェイ〜 7
「セックス&ヴァイオレンス」
※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。8割7分くらいまでが妄想です。
「しっかり舐める!」「裏側も!!」「もっと脚開きなさい!若いくせに体カタいな自分!!」
…等々、さるさるさんの日記で表記できるのは以上くらいがギリギリでしょうが、当然ここには書けないような破廉恥な要求をナナ子さんに強いながら、ククケンは無上の悦びの中に居ました。肉体的にはワリキューレ、精神的には第九が鳴り響いているような……そんな感じです。自分の意のままに辱められている少女の狼狽、苦痛、屈辱感を味わいながら、ククケンはひとときの万能感を味わっていました。
ククケンは、平和的交渉に基づき、ちょっと縛るとかちょっと目隠しするとかちょっと玩具使うとか、そういう普通の行為をするのでは、もはや萌えることができなくなっていたのです。
相手が泣き叫べば泣き叫ぶほど、拒絶の意志を表せば表すほど、ククケンのリビドーは天井知らずに昇っていくばかりでした。そこには相手への思いやりやセックスの悦びを相手とともに模索していこう、という前向きなセクシャルに基づく衝動はひとかけらもありません。
だいたい、お金で女性を買うような男にそのようなものを求めるのが間違っているのです。
ククケンは自らが愛して止まない“女子校生拘束レイプ物AV”のありとあらゆるシーンを頭の中で再現しながら、ナナ子さんを手荒く扱いました。実にハッピーです。岩崎恭子さんふうに言うと“これまで生まれてきた中でもいちばん幸せです”という感じでした。その行為の全ては、持参したビデオカメラに収められていました。後に自分で鑑賞して愉しむためと…自分が教師になりたての頃によく観ていたテレビドラマ「高校教師」のキョウモト先生のように、そのビデオを口封じに用いるためでした。
<つづく>
■2005/01/24 (月) 愛無き世界に(第三章) 〜ロスト・ハイウェイ〜 8
「ミザルー」
※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。8割7分くらいまでが妄想です。
はてさて次々にククケンから出される破廉恥な要求に対して、恐怖心から拒絶できない状態にあったナナ子さんにとって、それはまさに地獄の時間でありました。強姦という犯罪が極めて悪質なものであり、被害者の心に消せない傷跡を残すのには、その暴力被害がふつうの暴行傷害のように一方的なものではないこと…つまり、それがたとえ暴力的強迫によって強制されたものであったとしても、性交渉というふつうでは相互努力により成就させる行為を、憎むべき加害者とともに成立させたという記憶を彼女(彼)らに刻めつけざるを得ない点にあります。
『はっはっはっ、何を言うか。このナナ子という女子は既に金銭交渉に基づく性交に同意しているではないか。確かに目にスプレーをかけられたり手錠を掛けられたりして気の毒ではあるが、金銭の対価としての性交をかのククケンに受容している時点で、この女子の悲劇生は一気に損なわれてしまうのではないのかね』
とおっしゃる訳知り顔のハナタレ小僧、否、賢明の徒もいらっしゃることかと思いますし、そうした感想は一般的常識を持つ男性からしてみればそれほど奇異に映らないものかも知れません。しかしそのように考えるのは根本的に間違っていますし、フェミニスト論客の弁を借りずとも、そうした我々男性(および一部の女性)の一般的理解こそが性犯罪の悪質性を曖昧にしているのです。
ナナ子さんは確かに金銭の対価としての性交を受容しましたが、暴力や強制的な肉体拘束、強迫による各種行為の強制といったことまで予想していた訳ではありませんし、本人の同意に基づかない行為を相手を怯えさせることによって強制させることは完全な暴力犯罪であります。
かように金銭の対価として男性との性交をしている女性の多くは、このような暴力被害に遭うやもしれないリスクを負って商売しております。その危険を回避するためにプロのおねいさんたちには怖いヒモがついているのですが、アマチュア売春にはそのような安全弁は望むべくはありませんので、このような事態が起こりやすいのでありますね。
<つづく>
■2005/01/25 (火) 愛無き世界に(第三章) 〜ロスト・ハイウェイ〜 9
「Do you know ? Where are you going to.」
※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。8割7分くらいまでが妄想です。
『しかしそれでも、ナナ子くんは売春行為に応じるという形で、反社会的行動に自ら身を投じている。そのうえでこのような被害に遭ったのだから、やはり厳しいようだが自業自得・身から出た錆と言わざるを得ない』
…そうですね。それを言われちゃいますとナナ子さんを弁護することは途端に難しくなってしまいます。確かに、ナナ子さんが援交なんていう便利な呼び方のある売春行為を続けていた限り、ククケンのような暴力的レイパーに出逢い、その強迫を受ける確率は女性一般よりも格段に高かったと言わざるを得ない。
その意味で自業自得論・身から出た錆論を持ち出すことは容易です。
しかしまあ、皆さん、ナナ子さんに対して軽蔑を隠せない方も多いでしょうが、ほんの少しだけ、彼女の悲惨と苦痛に感情移入してみて下さい。ここは福知山のひなびたラブホの一室。こんなところまで繰り出したことはありませんし、場所もはっきりわかりません。そんな部屋の中で、自分は今この凶暴で横暴な変質者とふたりきり。その事を知る者は自分とこの男以外、誰も居ないのです。
男は言うとおりにしないと、もう一度あのスプレーを自分にかけると言っています。いくら泣いても、許してといっても、男は絶対、自分が満足するまで許してくれることはないでしょう。さて、ではどこまですると男は満足するのでしょうか?
ふつうに性的な行為をしたり、奉仕させてたりすることだけで、満足してくれるのでしょうか。
ともすれば男は女を殴ったり蹴ったりして痛めつけることによって亢奮を得る、サディストかも知れません。いや、催涙スプレーと手錠を用意していたのです。その可能性は大いにあるでしょう。しかし、この男はぶっちゃけ、どこまで異常なのか…?ともすれば男は、自分を殺すかも知れない。殺した女の腹を切り裂いて、臓物のモミモミすることによってしか亢奮を得られない、血に飢えた大変態シリアル・キラーかもしれないのです。
<つづく>
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