無き世界に In a World Without Love
〜中国自動車道中1少女手錠放置死事件〜

第二章「手
の男」

妄想:西田三郎

■2004/12/14 (火) 第二章〜手錠の男〜 23 

「1998年 一度目の休職」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。8割8分くらいまでが妄想です。

 身から出た錆とはいえ、ククケンを襲った「現実」の余波は、あまりにも厳しいものでありました。ククケンは仕事を無断欠勤するようになり、徐々に、生徒に完全にバカにされているだけではなく、同僚の教師たちからも非難を受けているのではないか(事実、受けていたでしょうが)、との不安を抱えきれなくなり、心療内科の診察室を訪れます。
 
 さて皆さん、「精神科」とか「神経科」とか「心療内科」って聞いて、どのようなところを想像なさいますか?

 さすがに最近はポピュラーになってまいりましたので、「心療内科」というのは普通の内科の診察室と変わらず、お医者様も、名実ともにふつうの内科と変わらぬ先生である、ということはご存じの通り。しかし「精神科」や「神経科」といいますと、未だに長椅子があって本が室内にぎっしり並んでいて、白髪でウールのジャケットを着たお医者様が、「では目を閉じてください。これからわたしがいくつか質問をしますので、それから連想することを言ってみてください」などと言うようなウディ・アレン的な情景を想起なさる方や、薄暗い廊下に鉄格子が並び、棟内の通路を歩くときは必ず廊下の右側を歩かねばならない、そんな景色を思い浮かべる貴兄も少なくないのでは。
 
 まあ人によりけりですが、「精神科」も「神経科」も「心療内科」の診察とは、患者が具合を医者に伝えて医者はそれを聞いて処方箋を書く、というアッサリしたものです。とりあえず本人が主観的にしんどいと感じ、いずれかの科のドアを叩けば、自動的に病名を与えて貰えますし、抗不安剤や抗欝剤のたぐいを処方されます。
 
 鶴見済氏の「人格改造マニュアル」によりますと、病気のフリをして抗欝剤の類をゲットするのが大変、みたいな戯言が書いてありますが、あれは全部ウソ
 
 とりあえずその際にククケンが押し頂いた病名は、「心因反応」というもの。

 しかしその診断のもと、ククケンは1998年10月20日より休職生活に入ります。
 
<つづく>


■2004/12/15 (水) 第二章 〜手錠の男〜 24 

「休職教師」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。8割6分くらいまでが妄想です。

 ここらで、学校の先生の休職状況に関して少し触れたいと思います。
  
 文部省調査によりますと、2003年度、諸処の事情で休職状態にある公立小・中・高等学校教師は6017人
 うち鬱病、神経症などで休職中の教師は3194人となっておりますので、休職している教師の半分強が何らかの精神疾患を患っていることになります。因みにククケンが逮捕された年である2001年には5200人の教師が休職しており、その中で精神疾患を理由とするものは2503人です。その中にククケンは含まれていたわけですね。
  
 80年代前半の校内暴力フィーバーから始まる教育環境の乱れは凄絶なものがあり、若い教員はその職場でやる気と自信を失ってしまうこともしばしば。生徒は言うこと聞かないは、手を挙げれば父兄が怒鳴り込んでくるは、女生徒に注意すれば“なんか目がいやらしいんですけどー”とか言われるはでもう散々です。ククケンのように授業をボイコットされるような“学級崩壊”の有様は全国の学校ではもはや珍しい風景ではない。

 また、教員の仕事全体のうちで、“教室での授業”という我々が知りうるお仕事の占める割合は、ほぼ4 割、或いはそれ以下とも言われています。それ以外にも授業の準備や、職員会議、テスト問題の作成→採点、各種学校行事の準備、クラブの顧問活動と、まさに多忙の極み。ほとんどの先生がお仕事を家に持ち帰り、月2回ある土曜日の休日も有名無実化しています。

 加えて近年、精神・神経科、及び心療内科などの敷居が低くなった昨今、学校外の社会と同じく、行き場のない悩める先生方がそうした診療科のドアを叩くケースは増加の一方

 なんとまあ鬱病や神経症によって休職する先生の数は、2003年までに10年連続で増えているというじゃーあーりませんか。先生もたいへんなのです。

 因みに公立小・中・高等学校教師の休職年限は最長で3年。はじめの2年は通常給与の8割が支払われ、3年目は給与はなし。全国の休職先生の平均休職期間は12.3 カ月、とのことです。

<つづく>


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