無き世界に In a World Without Love
〜中国自動車道中1少女手錠放置死事件〜

第二章「手
の男」

妄想:西田三郎

■2004/11/27 (土) 第二章 〜手錠の男〜 10 

「1993年 高校教師(前編)」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。9割9分くらいまでが妄想です。

 かくして1989年、ククケンはニシノミヤ市の中学で、社会科の臨時講師となりました。そこでおのれの理想に基づいて真面目に精進し、1993年、正式に教師として採用。カズミ第二中学の社会科教師として着任しています。
 
 事実、ククケンは理想に燃える教師でした。職員会議などでは積極的に自らの教育観を発言し、生徒を過剰に抑圧するような公立中学の基本体質には実に批判的でした。同僚の教師達は「非常に熱心でまじめ」と当時のククケンのことを振り返りつつも「やや近視眼的に自分の主義に固執するところもあった」と、彼の側面も騙っています。

 ククケンは、休日を返上してまで顧問の女子バレー部を指導。休日に生徒に部活をさせることは、彼の勤める中学校では違反行為でしたが、それを咎める同僚の先輩教師に対して、「わたしにはわたしのやり方があるんですわ。」と言い返すなど、その熱血ぶりは、少々ウザいくらいであったといいます。
 
 しかし、ククケンは生徒たち…特に、女子バレー部の生徒たちからは信頼と尊敬を得ていました。

 「責任感が強くて、普通の先生よりも熱心やった。あんなことして逮捕されたなんて信じられへんし、多分あの当時先生に指導をうけてた生徒の中では、それを信じられる子は少ないと思う」
 と、ある卒業生は事件後に発言しています。
 
 ところでククケンが本格的に教師人生に突入した1993年は、真田広之主演のテレビドラマ「高校教師」が開始した年でもあります。
 
 このドラマはまるっきりそれまでの教師ドラマとは趣を異にしていました。主人公のサナダ先生からして、止む得ない事情でイヤイヤ女子校の教師をやってる、という剥き出しのリアリティに基づいたキャラクターです。そしてこのドラマが話題を呼んだ最も大きな理由は、それまでタブーとされてきた、教師と女生徒の性愛をドラマチックに描いたという下世話なストーリーテリングにあります。
 
<つづく>


■2004/11/28 (日) 第二章 〜手錠の男〜 11

「1993年 高校教師(後編)」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。9割9分くらいまでが妄想です。

 またこのドラマは、訳ありの教え子と性を含んだ関係を持つにいたるサナダ先生を主人公としながら、同時に暴力をもって女生徒を強姦し、さらにその様子をヴィデオカメラに収め、そのレイープ映像を脅迫のネタにして、女生徒からの性的搾取を続けるという、京本正樹演じるところのどうしようもない鬼畜教師の物語も平行して語ります。
 
 物語の主眼はサナダ先生を中心としつつも、キョウモト先生はサナダ先生のネガとして現れます。
 ここの二人の関係は映画「バットマン」におけるバットマンとジョーカー、そして映画「プラトーン」('86・米)におけるエリアス軍曹とバーンズ軍曹の関係にも似たものです。

 一方は善人でありながら、女生徒との肉体接触を求めそれに苦悩する教師であり、もう一方は女生徒に対する性的欲求を自らコントロールしようとさえしないケダモノのような教師です。ちなみに、それまでの教師ドラマでは必ず主人公になり得たはずの、まったくの善人で正義感が強く、大人として、そして教師としての自覚に基づいて職務をまっとうする赤井英和先生は、このドラマでは脇役に追いやられています。
 
 サナダ先生もキョウモト先生も、その欲望の表し方には雲泥の差があるとはいえ、女生徒に恋愛感情や性的欲望を抱くという点において、同類なのです。しかし、そんな二人がドラマの主人公となり、視聴者に受け入れられたのは、日本国民が「金八先生」や「びんびん」に見ていた教育に対する理想を、もはや物語の世界においても求めなくなったことの証しであるといえます。

 さて…そんな状況下で教師としての人生をスタートさせたククケンは、次第に己の職業に対する志と情熱を失っていきます。
 
 しかしまさか当のククケンもその時点では…後に自分がキョウモト先生を凌ぐケダモノに変身してしまうとは夢にも思っていなかったでしょう。
 破滅はじわじわとその人間の人生に染み込んでいくのです。

<つづく>



 
■2004/11/29 (月) 第二章 〜手錠の男〜 12

「1996年 ぼくたちの失敗」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。9割9分くらいまでが妄想です。

 1996年、29歳になったククケンは、カズミ第二中学に在学中の教え子である15歳の女子生徒と、交際をしていました。この際にククケンが手錠を使用したかどうかはよく解りませんが、微かなウワサをもとに想像しますところ、この交際は暴力もしくは教師の権威を強制力として為されたものではない。そりゃ、同意のもとで手錠を使用してたかどうかまでは知りませんが…まあ、ただひとつの問題点を覗けば、同意に基づいた男女の関係に手錠が用いられようと、ピンクロータが用いられようと浣腸器が用いられようと、それは第三者の関与することではありません。
 
 ただひとつの問題点というのは、ククケンの交際相手が自らの教え子であったということ。
 これはその女子生徒がわずか15歳であった、ということよりもずっと重要です。
 
 これは明らかに、ククケンが教師としての職業意識を喪失しつつあったことの現れであります。ヤクの売人が自らもヤクに手を出した結果、悲惨な顛末を辿る情景を、我々は「スカーフェイス」や「グッドフェローズ」や「レクイエム・フォー・ドリーム」もしくは「シャブ極道」などでいやというほど見て参りました。ドラマ「高校教師」で女生徒をレイープしていたキョウモト先生は、熱血漢のアカイ先生の現役時代を彷彿とさせるパンチをいやというほど喰らいました。サナダ先生にしてみても、女生徒モチダさんとの禁断の恋を、心中という破滅的な形で幕引きしています。
 
 自らの職業を愛することと、自らの職業の対象自体を愛することはまったく違います。職業の対象となるものと欲望を以てしか対せなくなったとき、人はその職業に対する誠実さと情熱を失います。
 ククケンとこの15歳の生徒との恋が肉体的接触を伴わないプラトニックなものであったとしても、いや、そうであったならなおさら、ククケンは教師という立場上、踏み越えてはいけない一線を越えてしまったことになります。

<つづく>



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