無き世界に In a World Without Love
〜中国自動車道中1少女手錠放置死事件〜

第一章「許され
ざる者」

妄想:西田三郎

■2004/10/11 (月) 第一章〜許されざる者〜4 

「ハードラック・ガール」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。7割5分くらいまでが妄想です。

 
 はてさて救急車に乗せられたその血塗れ手錠少女は哀れにも、ここからもさらなるアンラッキーを被ることになります。
 たいへんよくあることですが、なかなか搬送先の病院が決定しない
 彼女の延命処置に取り組む救急隊員の皆さんが懸命な努力をするのも空しく、どこの病院もベッドが一杯という理由でタライ廻しになる始末。
 
 ここだけの話、病院というのは、生命を尊重し、地域社会の人々の健康維持と回復をその任とする組織なのでありますが、とかくこのような不可解な状況下…即ち歴然と犯罪のニオイのする状況下にある負傷者を、受け入れたがらない体質があります。
 
 病院とはいえ営利団体でありますので、慈愛と博愛だけでお腹がいっぱいになるはずもなく、処置を施して延命させたとて、やもすればペイを望めないこうした不可解な負傷者に対するよりも、確実にお金を取ることのできる、フツーの負傷者・急病者のほうを気分よく受け入れる体質が厳然としていたとしても、誰を責められましょうか
 
 それが自由競争を原則とする資本主義社会の常。利潤追求こそが至上命令
 共産主義社会に対して資本主義社会が抱いていた幻想、そして逆に資本主義社会が共産主義社会に抱いていた幻想はそれぞれ、十数年前にベルリンの壁とともにガラガラと崩れ去ったのです……はっ、なにを書いているのだ己は
 
 とにかく火急に病院内での処置を施さねば、かの血塗れ少女は、まっことデンジャラス状態
 ようやくスイタ市内の救急病院のベッドに空きがあるとの無線連絡を受け、彼女の儚い命を乗せた救急車はまるでラリー・コーエンの「地獄の殺人救急車/狙われた金髪の美女」のような勢いでかの病院に疾走したのです。

 その病院の経営方針と今後の発展に幸あれ
 
 到着後、彼女の手に填められていた頑丈な手錠は、自動車事故の際にぺしゃんこになった車からドライヴァーを救出する際に用いられる大型ボルトカッターで、遂に二つに切断されました。

 <つづく> 




■2004/10/12 (火) 第一章〜許されざる者〜 5

「検屍報告」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。6割3分くらいまでが妄想です。

  少女は、搬送先の救急病院に籍を置く当直担当医たちの必死のパッチの努力もむなしく、約4時間30分後の翌25日午前3時ごろ、ついに亡くなりました。
 
 少女の名は土家ノノ子たん(仮名:12歳)。

 大阪市内の東ヨド川区に居住する、中学1年の女の子でした。
 彼女の身になにがあったのかは、2001年7月24日の段階では判然としません。まだまだこれからです。
 
 どうやら高速道路上をどんぐりころころした結果らしく、全身に擦過傷があり、背中から尻にかけての皮膚は、ベローンと剥がれた状態。見るも無惨な有様でしたが、そんな傷はかすり傷と思えるほど、彼女の後頭部左脚大腿部にできた傷は目を背けたくなるシロモノでした。
 
 後頭部の頭蓋骨はパックリと口を開け、そこから血液髄液が流れ出ていました。同じく、目からも鼻からも耳からも口からも。脳味噌は脳挫傷によりパンパンに腫れ上がった状態で、医師の皆さんは脳圧を下げる処置をしましたが、その甲斐はありませんでした。
 左脚大腿部は10トントラックが挽きつぶし、引きずった所為で粉砕骨折し、もはや脚の体を成していないような状態。さらに膝の上から水着線のあたりまでがこれまたパックリと傷口を開け、筋肉までも引き裂かれ、肉が捲れ返っていました。

 このデラックスな傷口から流れ出した血液は約2リットル強。実に同年代の少女の標準的な血液量の、少なくとも3分の2が失われていました。彼女の検屍報告書には、死因の欄に「失血死」と書き付けられることになります。
 
 一体誰がこんな惨いことを?
 彼女の検屍を担当した法医学士の、ぷろへっそなりずむに統制されて常に平静を保つ心にも、そんな疑問と彼女をボロ雑巾のようにした、犯人への怒りが湧いたことは想像に難くありません。
 
 しかし…法医学士はノノ子たんの遺体より、別の事象を発見していました。
 どうやらその打撲根や擦過傷は、昨夜よりも2、3日前に…しかも恒常的に彼女に加えられた暴力によって作られたものらしいのです。
 
 <つづく>






■2004/10/13 (水) 第一章〜許されざる者〜 6

「悲しみ」


※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。9割2分くらいまでが妄想です。

 「ノノたああん…おううううう…ノノ子おおおおおおおおおおおう…
 2001年7月25日の夜明けの少し前、彼女が収容された病院の霊安室に野太い涙声が響き渡りました。
 声の主はノノ子たんのお父様、土家テル夫さん(仮名:55歳)。
 
 一体誰が己のだいじなだいじな娘を、こんな形で失うことを想像できるでしょうか?

 ノノ子たんには姉のリエたん(仮名:15歳)と妹のミキたん(仮名:10歳)、そのまた下の弟のトオルくん(仮名:6歳)と、3人の兄弟がありました。ノノ子たんを含めてこの4人を生んだお母さんのマナ子さん(仮名:36歳)と兄弟たちは、霊安室の前にしつらえられた固いソファに、皆一様にぐったりと座り込んでいました。
 マナ子さんとリエたん、ミキたんは未だノノ子たんの命が失われたことに実感を持つことが出来ず、疲れ切ったような、呆然とした表情で空を見つめています。
 トオルくんはついこのあいだ物心がついたような年齢ですので、お姉さんの死という事件の悲劇性そのものを理解する術もありません。

 霊安室からはお父さんの野獣めいた嗚咽が聞こえてきます。

 その場に居合わせた病院関係者、司法当局の捜査官の皆さんも、この遺された家族にどのような声を掛けたものか…さぞ困り果てたものでしょう。
 
 霊安室ではテル夫さんが、変わり果てた姿の中でも特に変わり果てた、娘の遺体の大腿部に触れています。
 骨を完膚無きまでに粉砕され、すっかり手応えを失ったノノ子たんの左太股…惨い、あまりにも惨すぎる。
 しかも警察が言うには発見時、ノノ子たんの両手には手錠が掛けられていたというではあーりませんか
 
 怒りも悲しみも戸惑いも心の中で限界値を超え、ひたすら無反省に溢れ出るばかり。
 テル夫さんの感情はそのまま霊安室の床を溶かし、地球の反対側のブラジルまでチャイナ・シンドロームを起こしそうな勢いでした。
 
 汲めども尽きぬ感情の濁流の中、テル夫さんはノノ子たんの哀れな全裸の亡骸を、デジタルカメラにばっちりと収めたのですね
 
<つづく>



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