無き世界に In a World Without Love
〜中国自動車道中1少女手錠放置死事件〜

第二章「手
の男」

妄想:西田三郎

■2004/11/24 (水) 第二章 〜手錠の男〜 7 

「3つのテレビドラマ」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。8割8分くらいまでが妄想です。

 はてさて話が大きく迂回してしまいました。
 ここで教育界全体の批判を行っても、先生方ならびに教育長の皆さんは間違ってもこんな日記は読んでいないことでしょうし、ここで教師一般の犯罪を断罪してしまうことによって、この事件の犯人であるところのククケン個人の問題性を曖昧にしてしまいかねません。
 
 とは言うものの、ククケンは確かに中学校の先生でしたが、なぜ彼がその犯罪に至ったのか、さらになぜ教師という職業を選んだのかがいまひとつ判然としません。

 彼は1989年に和歌山大学教育学部を卒業。
 そのまま兵庫県ニシノミヤの公立中学校の臨時講師として採用されて勤務を続け、1993年に晴れて正式に教職員としてカズミ第二中学校(仮名)に社会科教師として赴任しています。
 
 実に教師一直線の人生であり、事件を起こした際にはすでに12年のキャリアを持つベテランでもありました。
 しかし、教師になる前の彼に関する情報がほとんど無いのですね。
 ですのでこれがまっとうなジャーナリズムであったら、ククケンが教師を目指した理由に対しては言及しないところですが、ここではその分を想像によって補いたいと思います。
 
 その参考にしたいのが、以下の3つのテレビドラマ…

3年B組 金八先生」、「教師びんびん物語」、そして「高校教師」です。

 3本とも、教師を主人公にした有名すぎるくらいのドラマ。
「金八先生」は中学教師、「びんびん」は小学校教師、「高校教師」はタイトルどおり高校教師の物語ではありますが、それらを通して見ていくと、日本国教育界のヒストリーXが闇に浮かんでくるからあーら不思議です。
 
 え?浮かんできません?わたしだけですかね。
 
 とりあえず、この3本のドラマをそのポイントとして、ククケンが教師になった経緯を妄想していきたいと考えます。
<つづく>


■2004/11/25 (木) 第二章 〜手錠の男〜 8 

「1979年 3年B組 金八先生」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。9割8分くらいまでが妄想です。

 教師のドラマといえばこれを置いてほかにありません。このドラマの記念すべき第一シーズンがテレビ初登場したのは1979年。ちょうどククケンはその頃、小学校6年生であり、中学への入学を控えていました。奇しくも、この当時にククケンが後に彼によって殺害される土家ノノ子たんと同じ12歳だったのは余りにも出来過ぎた偶然です。
 
 「はあー…やっぱ、先生っちゅうもんはこうでないといかんなあ。よし、おれは教師になろっと」
 
 精通を迎えたばかりのククケンは、「金八先生」に夢中になりました。
 ドラマの中で武田鉄也が演じるのは、傷つきやすく人生でもっとも不安定な季節のなかで立ちつくす教え子たちの苦痛や痛みを共有しつつも、官僚主義的かつ閉鎖的な教育現場で己の信念を曲げることなく、教師としての、そして何より大人としての矜持を守り続ける、このうえなく理想的な教師の鑑。ある意味、金八先生は日本国で教職にある者が、目標としなければならない目標のひとつであり、日本の教育者の雛形=マトリックスでもあります。
 
 金八先生はどんな生徒でも、たとえそやつが腐ったみかんであろうと15歳で懐妊する杉田かおるであろうと決して見捨てることなく、生徒を導き、救い出そうと努力します。ククケンの小学校時代の担任がどんな人だったのかまでは敢えて想像しませんが、そうした現実の担任先生よりも、金八先生はククケンにとって理想的な教師として映ったことは想像に難くありません。
 
 「よっしゃ、おれも教師になろう。そして金八っつあんみたいにどこまでも生徒達と同じ目線の高さに立って、おのれの信念に基づいて導いていこう…」
 
 そんな童貞前夜の決意を、ククケンは心に頂いたことでしょう。
 
 ※因みにこの金八先生のイメージは、のちの高見広春の小説「バトルロワイヤル」において、思いっきり悪趣味にパロディ化されることになります。

<つづく>



 
■2004/11/26 (金) 愛無き世界に(第二部) 〜手錠の男〜 9

「1988年 教師びんびん物語」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。9割8分くらいまでが妄想です。

 はてさて中・高はほかの生徒たちと同じく、勉学にもスポーツにもそこそこに、そして自慰はサル並みにやりながら、ククケンは成長していきました。多分、勉強はまじめにやったので成績は良かったでしょう。

心に金八先生への純粋な憧れを抱いたまま18歳を迎えたククケンは、国立和歌山大学教育学部を受験。見事合格します。

 大学生活もまじめこの上なく送りました。恐らく大学に上がってからはじめて出来たであろう彼女ともファックを決め込み、童貞も捨てました。そして勉強ばかりではなく、コンパでのイッキ飲みウインタースポーツなどにも盛大に精を出したことでしょう。
 
 そして1988年、卒業後の進路決定をする時期がやってきます。
 大学に入れば(特に国立大学のように他府県からの優秀な学生が集まる状況下にあれば)高校時代のように、なんでもとにかく頑張ればよい時期は終わり、人ははじめて己の能力の限界と、努力しても出来ないことがあるという現実を認識させられます。進路選択の時期に来ればその認識はますます現実的なものとなって学生に襲いかかって来るのです。
 
 「でも…おれは負けへんぞ。だって、テレビを見たら田原俊彦も頑張っとるやないか」
 
 そうです「教師びんびん物語」が放送開始したのは1988年、ちょうどククケンが進路を考えはじめる頃です。

 教師の途に進むことを早くから心に決めていたククケンのことですので、それほどの葛藤を感じることはありませんでしたが、やはり大学の中では己の限界を知らしめられることもしばしば。

 しかしそれでもククケンが教師になることへの最終決断をし得たのは、トシちゃんが演じた、金八先生のように完全ではないけれども、教育という己の職業をとおして確実に自らを成長させてゆくその等身大の教師の姿に勇気づけられたから、と見るのはあまりに妄想が過ぎるでしょうか。

 そしてククケンは本当に教師になりました。

<つづく>




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