無き世界に In a World Without Love
〜中国自動車道中1少女手錠放置死事件〜

第二章「手
の男」

妄想:西田三郎

警告:このページに含まれるリンクの一部は、18禁です。いいか、言ったからな!!

■2004/12/21 (火) 第二章 〜手錠の男〜 28 

「女子校生と女子高生」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。8割6分くらいまでが妄想です。

 はてさてククケンのテレクラ通い以外の趣味は、エロビの鑑賞でありました。
 それも前述したように、女子校生に扮した女優さんが手錠などの各種器具により身体を拘束された状態で、強制的にわいせつな事をされたり、わいせつなことを強制されたりする内容のもの。
 早い話が「女子高生レイプ物」が好きだった訳です。
 
 あ、ちなみに賢明な読者の皆さんには釈迦に説法かと思われますが、エロビをはじめとするポルノコンテンツにおきましては「女子生」という表記はアウトです。基本的に高校生女子との性交は法律により禁止されている違反事項であります。ですのでそれがたとえフィクションの中であろうと、高校生の女子とされた登場人物が性交を初めとする各種性行動を取ることを呼び物とすることは言語道断なのであります。よってポルノ・コンテンツにおいて学校制服を着てやらしいことをされたりしたりしているのは、女子生ではなく「女子生」なのであって、決して高校生の女子ではないのですね。

 ククケンが娯楽としえてのエロビ鑑賞、わけても女子校生レイプ物を嗜好していたからとて、何ら問題はありません。

 わたしだって好きです。だいたいからしてエロビで描かれるのは成人した女性が演じるところの女子校生というフィクションの存在であり、それがあんなことをしようとこんなことをされようと、我々が日常的に目にします女子高生とは何ら関係はないのです。あれは違う惑星の出来事も同じなのです。「天空の城・ラピュタ」なみに、「ハウルの動く城」なみに、我々の生活には何の関係もない物語なのであります。
 
 しかし、その後にククケンが現実の世界で犯した犯行から省みますと、このエロビ嗜好もまた、ククケンの行動原理に全く影響していないかというとそんなことは無いのでありますね。
 
<つづく>


■2004/12/22 (水) 第二章 〜手錠の男〜 29 

「M」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。8割6分くらいまでが妄想です。

 判決文には、

 “(ククケン被告は)1993年4月頃からは、アダルトビデオを頻繁に見始め、特に、高校生風の女性や手錠を掛けられた女性が強姦されるなどの内容のものに大きな性的興奮を覚え、実際にアダルトビデオと同様に女性を強姦したいとの欲望を抱くようになって…”
 
などと実に極私的な部分にまで踏み込んだ記述があります。

 それに加えてククケンの行きつけだったレンタルビデオ店は異常にマスコミに協力的でしたので、ククケンのビデオ・ライフはマスコミを通じて全国のお茶の間にディスクロージャーされたのです。
 
 ククケンの自宅から1.5キロのところにあるそのレンタルビデオ店の女性店員さん曰く、
 
 「エロビはフツーうちら女性店員がおらへん夜に借りに来るお客さんが多いんやけど、ククケンは堂々と昼間に来て借りてたね。(笑)」
 
 ククケンは同じジャンルのビデオを借りまくっていました。例えば「絶叫レイプゾーン」「女子校生強制わいせつ」「ナンパして廃墟でレイプ」等々。
 
 ククケンはさらに、ノノ子たんを殺すこととなった2001年7月24日の4日前には「女子校生野外レイプ」、そしてなんと事件後の8月9日には「逆恨みの代償 姦魔輪姦」をレンタルし、まあよっぽどの事がない限り確かなことでしょうが、それらでぶっこ抜いたことと思われます。
 
 しっかし恐ろしいですね。話題になった性犯罪の容疑者には(その時点ではまだ容疑者である)人権などありません。かようにビデオのフェイバリットを晒されたり、何月何日に何を借りたかまで公開され、情容赦なくマスコミと大衆に断罪されても文句は言えないのですから。私ならそこまで面白おかしく己の趣味を世間に喧伝されたとあっては、懲役を終えても顔を整形し、名前を変えて余生を過ごしますね。
 
 皆さん、性犯罪だけはいけませんよ。リスクが大きすぎます
 
<つづく>




■2004/12/24 (金) 第二章 〜手錠の男〜 30 

「欲望を飼い慣らして <上>」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。8割7分くらいまでが妄想です。

 しかし、判決文にありましたとおり、ククケンはそういった女子校生レイプ系ビデオを見ることによって、果ては暴力犯罪によってそれを消化せねばならないほど、欲望を加速させていったのでしょうか?この辺りはたいへん微妙です。
 エロビの内容に影響されて、善良な市民が極悪レイパーに変身するか?

 イエスでもあり、ノーでもありましょう
 例えばククケンはエロビを見始めた1993年から2001年の間、後述します二つの性的暴力犯罪を犯す寸前まで、暴力的犯罪に手を染めてはいませんでした。エロビ鑑賞とテレクラ通いは平行させていたククケンですが、テレクラで16歳のマジ女子高生とファックを果たしたのは事件のあった2001年4月。そしてこのあたりは本人の供述に基づいた判決文から知るよりほかはないのですが、知り合った女子高生に手錠を掛けるなどして拘束し、強制的かつ暴力的に女性と性行為を行いはじめたのは同年の6月以来、となっています。

 まあ同意のもととは言え、テレクラで知り合った女性に金品などを贈与し、それが結果的に性行為の報酬となった場合、その行為は買春であり違法です。相手が女子高生とあっては児童売春、児童ポルノ禁止法に抵触しますし、法的にはさらに悪質であるといえましょう。

 しかし少なくとも2001年6月の段階まで、ククケンはエロビデオから得た己のセックスへの欲望を、暴力的行動にはよらず、平和的な範疇(違法ではあるけれども)に収まる実世界での性交を以て解消していました。

 つまり、8年間の間、ククケンは己の性衝動を飼い慣らすことが出来ていたわけです。

 前述したように、ククケンのレイプビデオ三昧は彼が本格的に教師として働きはじめた1993年あたりから始まり、その頃の彼はまだ己の仕事に熱意を持つ、ある意味ちゃんとした教師であり、善良な市民でした。
 そういうキャラクターと、レイプビデオ好きを両立することは可能です。

 そしてそれは、わたしを含む世の中の男性ほとんどがしていることであります。

<つづく>


■2004/12/27 (月) 第二章 〜手錠の男〜 31 

「欲望を飼い慣らして <下>」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。8割7分くらいまでが妄想です。

 つまり我々は、己の欲望を飼い慣らす努力のもと生活しています。

 「人間には生来的道徳観がある」という物言いは、今や「牛のゲップがオゾン層破壊の原因である」とか「ナチス・ドイツのホロコーストはデッチ挙げであり、『アンネの日記』は捏造されたものだ」といった類のものと同等の妄言です。しかし「人間の本性、即ち悪なり」というのもまた、ニヒリズムに寄りすぎた極端な意見です。

 だいたい、物事を“善”か“悪”かで分けるという判断は、どうしてもそれを判断するものの独善に依りがちです。

 しかしまあ、せめてひとつ定義づけるのであれば、

 「人間とは蟻や蜂と同じような社会的動物であり、協調を至上としてその社会に貢献する性質がある」

 という見方をすることもできます。
 当然、社会とひとくちにいいましてもいろいろな思想的・宗教的イデオロギの元に構成されているものがありますので、この定義も政治的観点からは大変危険をはらんでいます

 しかし、自らの属する社会に適応できなかったり、或いはその社会において“反社会的”な行動をとったりする者たちは、それぞれの社会が持つ“常識”の観点から非難され、さらには身柄を拘束した上で再教育されたり、最悪の場合、排除されたりするのです。
 
 つまるところ我々は、一定年齢に達したら、無条件にエロビをはじめとする多種多様なポルノコンテンツに触れることの出来る自由な素晴らしい社会に生活していますので、ポルノコンテンツを愛好する者はその与えられた権利に相応しい、自覚と自治の精神も要求されてきます。

 それはつまり、「ワギナはいいがアヌスはダメ」とか「描写の鬼畜度によって規制を設ける」とか、そういうことではなく、放任されている自らの性衝動の解放に、自覚的・自治的であれ、ということです。
 
 己の性衝動が他者を巻き込み、迷惑や被害を与えたり、その社会基準から逸脱しそうになった場合は、各自がそれなりの処置を執る(しばらくポルノコンテンツから離れる、とか医者に行く、とか)べきです。

 ちなみに、これは自己責任論というやつで、日本人が最も苦手とするものですね。

<つづく>






■2004/12/28 (火) 第二章〜手錠の男〜 32 

「娯楽としての強姦、の問題性」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。9割2分くらいまでが妄想です。

 しかし、その反面、暴力的・反社会的ポルノコンテンツは、それを愛好する者の性に対する認識を醸成する課程においては、危険な側面を持っています。と、いいますのも、今、子どもたちが性に対して興味を持った場合(ってか、持たない奴など居ないのですが)、取り敢えず手にするのはポルノ・コンテンツでしょう。パソコンに向かって誰でもアクセス可能なヤフーグーグルなどのサイトに行って、「顔 射」と打てば153,000 、「眼鏡っ娘」と打てば44,100 件ものコンテンツにヒットするのです。(2005年12月6日現在)
 
 根本的に性衝動そのものを悪者視し制限しようとするのは愚かな考えですが、同時に、暴力・反社会的行為によってしか満たされない悪しき性衝動をも肯定するような完全放任するのは、同じくらい愚かなことです。

 かといって、それを完全排除し、フィクションであるがゆえの娯楽であるとして受容できる成人さえもそれを鑑賞できないようにすることは、人間の自由意志と自治意識への侮辱です。
 
 だからこそ、ポルノ鑑賞には名目上年齢制限が求められ、このわたくしめのHPのトップにもそのようなことを書いているのではあります。

 しかし…個人的にはポルノを鑑賞しても大丈夫なくらいの精神の熟成を、単純に年齢という生物学的な物差しで測っていいものか、という葛藤はあります

 
つまり精神の成熟さえしていれば10歳でも鑑賞オッケーであって、逆にその成熟がない人には40歳でも読まないほうがいいでしょう。しかし今のところその年限は18歳とされているので、しぶしぶ社会の慣例に従っているわけです。
 
 この社会感覚がポルノを制限する対象年齢を、
18歳より引き上げる事態だけは何としても避けたいものです。
 
 <つづく>


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