わるいおまわりさん
作:西田三郎

 

「第3話」

■あたしだけの問題じゃない

 「……ここにはあなたみたいな目に遭った女性が、毎日のように訪れるのよ」その女の人は自分を警部補だと名乗った。「……辛いでしょうけど……わたしの質問には全て正直に答えてくれる?……これは、あなただけの問題じゃないの

 テレビなんかで見る女刑事さんとはまったく違っていた……いや、あたしが普段見ている刑事ドラマにもよるんだろうけど……その人はとっても美人だった。年齢は40前くらいだろうか?鼻筋の通った、背の高い、どちらかと言えば日本人離れした印象のあるモデル系の中年女性だった。服装は婦警さん(って言葉も女性差別にあたるんだろうか?)のあの青い制服で、髪型にもお化粧にもあまり気を遣ってない様子だったけど……休みの日なんかはこの人はとっても綺麗なんだろうな、とあたしは思った。

 通された部屋も刑事ドラマとは全く違っていた。あたしとしては取調室のような、あの防音壁で囲まれてスチール机と椅子がひとつ……ドアの横には書記用の机と椅子がワンセット……机の上には灰皿とランプがあって、お昼ご飯はカツ丼、というのを想像していたんだけれど……その部屋は普通の応接室のような、小奇麗な部屋だった。

 警部補さんの頭の後ろには、なんだか印象画のような女性の絵が一点。
  あたしは正直言って驚いていた……世の中にはまだまだ知らないことがたくさんある。
  「…………」

 あたしが何も答えなかったのは、その警部補さんに似合いそうな服を頭の中であれこれ考えていたからだ。青い空の下で、警部補さんが薄い緑のブラウスとぴったりしたブーツカットのジーンズで芝生に寝転がっているところを想像した。

 「……聞いてる?」警部補さんが不意に声を掛けたので、あたしは我に返った。
 
  なんとなく、先生みたいな口調だった。
 
  「……うん、しょうがないよね。辛い目にあったところだったんだから……まあ、ゆっくり聞いてくから……無理に答えないでもいいからね、ゆっくり、ゆっくり話していきましょう」やや穏やかな口調に戻って、警部補さんが笑う「……お母さんは、一緒に居らしたほうがいい?」

 警部補さんが左手でお母さんを指す。薬指には、リングが嵌っていた。
  あたしの想像の中でくつろぐ私服の警部補さんの横に、男の人が一人追加される。顔ははっきりしないが……その男の人は何故か、お巡りさんの制服を着ていた。思わず緩みそうになる頬を、あたしは必死で抑えた。

 「……ちゃんと……ちゃんと喋れる?」お母さんがあたしの斜め後ろから声を掛ける。「一人で大丈夫?」
  「……うーん……」あたしは困った。正直言って……どっちでも良かったのだが。
  「じゃあ……すみませんがお母さん、少し外していただけますか……何かありましたら、お呼びしますから……」警部補さんが母に笑顔を見せてから、あたしを少し真剣な目で言見つめる「……大丈夫よね?
  「……あ、はい……」あたしが言ったのは、ほんのそれだけだった。

 お母さんが何か後ろ髪を引かれているかのような表情で、あたしの方を名残り惜しそうにちらちら見ながら退室した。あたしは親に心配をかける娘だ……とりあえずこんなところに一緒に来ている時点でもうアウトなのだが、それでもそれを改めて認識せざるを得ない。

 「……さあ……これで安心して話せるわね?」警部補さんが言う。さっきより少し、厳しさが増したような気がする……気のせいだろうか?
  「……はあ」
  「話しにくいのは……わたしも充分わかってます。辛いことがあって……あなたはすごく混乱してるでしょうね。それは仕方のないことだから気にしないでいいから。……でも、最初にも言ったけども……こういう問題は、あなただけの問題ではないの
  「……あたしだけの問題じゃない?」さっき警部補さんはそんな話をしたっけ?……まあ、覚えてないので聞くことにした「……それ、どういう意味ですか?」
  「……いや、辛い目に遭ったのはあなた。これは動かしようのない事実だし、それはあなたが一番良くわかってるでしょう?……わたしが言わなくても。あなたは胸のつぶれるような思いで……お母さんと一緒にここまで来て、わたしとこうして話している。それだけでも、すごい勇気だと思うわ……本気よ。でもね、あなたの戦いは、これからなの。これからわたしは、あなたの心の傷がまだ少しも乾いていないような状態のところに……塩を塗りこむようなことをしなくちゃいけない。……つまり、あなたの辛い体験に関して……いろいろと細かい質問をして、あなたの最悪の記憶を……できるだけ鮮明に呼び起こして……調書を作らなきゃいけない。わかる?
  「はあ……」

 実際、あたしは何もわかっていなかった
  まず、この問題があたしだけの問題ではないということ。
  これからしてよくわからない。……まあ、それに関してはこれから説明があるんだろうな。……それにしても……胸がつぶれるような思い?……勇気……?……いやあ、そんな。あたしは泣き狂うお母さんに連れられてここまで来ただけだ。それに……戦い?……何との戦いだろう?……それと、心の傷最悪の記憶……うーん……なんだかわけのわからないうちにとんでもない事になってきたぞ。

 「……わたしがあなたにいろいろな事を……特に、あなたにとっては辛いことばかり聞くのは……それは、別にあなたをいじめようとか、非難しようとか、単にわたしが興味があるとか……そういう事じゃないの。それだけは、お願いだから覚えておいてね。わたしは、あなたの頭の中に残っているその最悪の記憶が……まだ鮮明なうちに、できるだけありのままに、できるだけ正確に引き出さなくちゃならない。わたしだって、あなたに辛いことを思い出させたりしたくない……そのことで、あなたが改めて傷つくことだって、充分理解しているつもり。……でも、これは必要なことなの。何故だかわかる?
  「……うーん」あたしは必死に考えたが……なかなかイイ答が出てこない。警部補さんは辛抱強く待ってくれた……多分、あたしがそのまま明日まで悩み続けていても、彼女は待ってくれただろう。でも結局、答は出ないのだ。「……すみません、わかりません
 
  「……いいのよ、気にしないで」警部補さんが少し笑う。「……それはね、あなたのような気の毒な犠牲者を、これ以上出さないためなの。あなたが辛い思いを押して、出来るだけその記憶をありのままにわたしに語ってくれば……わたしたちはそれを元に調書を作る……それによって、あなたに酷いことをした男を逮捕し、法の元に裁きに掛ける……裁きの場……つまり、裁判のことね……そこでも、あなたが出来るだけ詳しく、正確にわたしに話を聞かせてくれれば……それだけその男に重い罪を課すことができる……逆に、あなたがわたしに、詳しく話してくれなかったり……話さなきゃならないことをわざと隠したりしたら……どうなると思う?
 
  「………わかりません」今度はあまり悩まずに答えた。
 
  「あなたに酷いことをした男は、法で裁かれることはない。つまり、何のお咎めもなし、という事になっちゃう………そうなると、どうなると思う?」
  「……すいません」あたしは素直に謝った。「……やっぱり、わかりません」
  「……いいのよ、気にしないで。……あくまで……これはわたしの持論だけど……人間というものはね、ちゃんとした罰を与えられないと、自分のしたことがどんなに悪いことなのかわからないの。特に……こういう……性にまつわる罪に関しては。……それに、特に男性はね。これは差別でもなんでもないからね……男性は……性に関して、女性よりも何というか……自惚れが強いの。だから、あなたに酷いことをした男も……このままわたしたち警察がやって来なかったら……自分は誰も傷つけていなくて、自分は完全に許された、とさえ考えるの。そのまま放っておくと……男の頭の中では様々な都合のいい言い訳が雪だるま式に固まって……完全に変化してしまう。そのときには……男はむしろ、あなたにいいことをした、とさえ考えるの。……そんなのって許せる?
  「……うーん……あ、はい……い、いいえ」あたしは何だかよくわからない返事をした。
  「……すると、男は……また他の誰かに同じことを繰り返す。ほんとよ。あなたの次に犠牲になる誰かが、あなたみたいにこうして警察に届けを出さないと……また他の誰かが犠牲になる……その他の誰かが届け出なければ……永遠にこの繰り返し。それってひどいと思わない?
  「は、はあ」そう答える以外、なんと答えればよかったのだろう?
  「だから、こんな目に遭うのは、あなたで終わりにしましょう。長い説明になったけど……つまり、そういうことなの。あなたは辛い思いをした。……でも、こうしてわたしに会いに着た以上、これはあなただけの問題じゃないの…………さあ、他に辛い思いをする女の子を作らないためにも……わたしに正直に話してくれるよね?

 そういう事か……なるほど。
  わたしは警部補さんに聞かれるままに、全てを話した。
 
  どうやらわたしだけの問題ではないらしいので。


 

<つづく>

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