ヴァージン・ホミサイズ
作：西田三郎「第2話」 ■美しい友情のはじまりですな
「……ほんっと、バカばっかでウンザリしない？」宮本は言った。
5時間目が終わり、今やゼンマイ仕掛けのロボットに過ぎないお爺さんの日本史教師が教室を退出するなり、宮本はわたしの席まで歩いてきてそう言った。
「……え……」宮本と口を効いたのはそれがはじめてだった。
あたしは周りを見回した。
クラスメイトたちは何組かに別れてそれぞれの席に数人ずつ集まり、やはりセックスなどの話題で盛り上がっている。あたしと宮本は、その中ではまるで離れ小島だった。
「……どいつもこいつも、やりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたい……そればっか。本当にみんな気楽よね。頭悪く生まれつくと得だわ。悩まなくて済むもの」
あたしはどう答えていいか判らずに、俯いてしまった。あたしは物凄い小心者なのだ。
「……でも、今田さんは、なんとなくみんなと違うよね。ごめんね、急に話しかけて。これまでずっと話掛けたかったんだけど、なんかきっかけがみつかんなくてさ」
「……はあ」あたしは驚嘆していた。宮本がこんなに能弁だったとは。
と、クラスの隅でひときわ大きな笑い声がした。
見ると、藤田という生徒が、数人のクラスメイトに囲まれ、大袈裟に手を鳴らしながら大笑いしている。
楽しくて楽しくて仕様がない、というのを皆に主張しているかのような笑い方だった。
宮本は、渋い目で藤田を見ていた。
「……なんかさ、“楽しくて楽しくて仕様がない”ってのを皆に主張し過ぎだよね」
「……え？」あたしはどきっとした。宮本にはあたしの心が読めるのだろうか。
「……なんであんなに楽しそうなんだろ。まあ別に楽しくてもいいけどさ、何でそれをみんなに主張しなきゃいけないんだろうね……」
「……」あたしは何も言わず俯いた。
「……ムカつかない？」宮本が腰を屈めてあたしの顔を覗き込む。
「………え……」あたしははじめて宮本の顔を間近で見た。
あたし以外の者が見ると、同じように感じることはできないかも知れないが、それはとても美しい顔だった。目の色は不思議な色で、その両方にあたしの困惑した顔が映っていた。まっしろな肌はまるで幽霊だった。光り輝く左右に分けられた長い髪からは、ふしぎな柑橘系の匂いが漂ってきた。
なんてことだろう。教室の固い椅子（スカート越しでなく直接パンツをくっつけていた）の上のお尻の、その少し上あたりに、ムズムズと奇妙な変化が訪れた。学校でこんなことになったのは初めてだった。
「……ねえ、知ってる？……あの藤田ってさ、国語の伊東とデキてんの」
「……えええ？？？」あたしは思わず大きなな声を出した。
伊東というのはこの学校では新顔の若い国語教師で、さきほど歴史の授業を壊れたテープレコーダーみたいに自動的に行って去っていたお爺さん先生などとは全く違い、若く、生き生きとして、それに加えて男性としての機能は少しも衰えを見せていないことを、誇示して止まない若手教師だった。姿形は……それほど見苦しいわけではない。まあ数人の女性徒たちに、好かれているらしく、伊東自身もそれを悪く思っていないようだった。
わたしは例によって、伊東のことも大嫌いだった。
何故なら伊東は生徒達の姿をなめ回すように見る癖があるからだ。
もちろん本人は気宇付いていないだろう。しかし、伊東な何気ない素振りを見せながら、あたしたちの全身を舐めるようにチェックする。あたしも、同じように眺め回されたことがあった、
教科書片手に教室内をうろうろ歩き回りながら、ほとんど黒板を使わず授業を行うのが、伊東の授業スタイルだったが、それは全て、女生徒たちを眺め回すためにしてることであることは明らかだった。
一度、伊東はあたしの席の横に立ち止まり、あたしを頭のてっぺんからつま先まで、じっくりと舐めるように眺めた。これはあたしの自意識過剰から来る妄想ではない。
あたしはあまりの露骨さに、硬直し、恐怖で震えていた。伊東はあたしの耳や、頬をじっくり見てから、その視線を首筋に這わせ、夏服のブラウスから伸びた二の腕や、あたしとしてもそれほど気に入ってはいない、ブラウスを持ち上げる胸の膨らみの上で一瞬視線を停滞させた。実際に乳を揉みしだかれているような気分だった。伊東は乳に飽きると、あたしの下半身に目をやた。その日、あたしはスカートをまくり揚げてはいなかったが、それでも伊東の視線が膝小僧や脹ら脛を、まるで軟体動物のように這っていくのを感じた。
ほんの数十秒の出来事だったと思う。しかしあたしにとってはこのうえなくおぞましい数十秒だった。
あんなふうに、劣情を持って異性に眺められたのは、生まれてはじめてのことだった。
あたしはその授業の終了ベルが鳴るまで、ずっと震えが止まらなかった。
三分の１は、恐怖で。三分の二は怒りで、そして残りの三分の一は、何か別のもので。
女に生まれついたことを、他人に認められたということは、喜ぶべきことなのだろうか？
とてもあたしにはそうは思えない。ますますあたしは、男という生き物が大嫌いになった。なんで男は、全ての女が自分と性交可能であるなんて、思い上がった考えを持てるのだろうか？
以後、伊東の授業では、眠くなくとも、ずっと机に突っ伏していることにしている。
あの好色で脂ぎった、生命力に満ちた顔を、見たくはなかったからだ。
「……気持ち悪いよねえ……あいつ」宮本が顔をしかめて言う
「………」あたしはまた黙ってしまった。
「あれかな、なんか、自分が生徒に対して、男として通用するとでも思ってんのかな。……なんでやつが女子校の教師なんかやってんだろ。ま、本人にしてみたら毎日は天国みたいなんだろうけど」
「……その…」あたしはおずおずと言った「……伊東と藤田がデキてるってのは、本当？」
「……ホントだよ。あたし、見たもん」
「……見たって何を？」
「……夜、あのふたりが西校舎の屋上でヤってんの」こともなげに宮本は言う。
「……お……お……屋上で？？？」
「……うん、多分、伊東の趣味なんじゃないかな。制服着たまま、屋上でヤったりするのが」
「………」あたしはまた黙った。とても信じられなかった。
まあ女子校には、この手の噂は絶えない。
男性教師が生徒を食いまくってるとか、何々先生と何々先生はデキてるとか、××先生はホモだとか、その他いろいろ。休み時間、4〜5人のグループに分かれてギャアギャア騒いでいる大多数の生徒たちは、そんな話ばっかりしている。
しかし、これに関しては……あたしと同じく、そうしたくだらないうわさ話に積極的に加わることのない宮本が言っているのであって……あたしは意味もなく居心地の悪い不快感を感じた。
「……毎週水曜、ヤってんの。あの二人。なんで水曜なんだかは知らないけど」
「……確か……伊東って、最近結婚したとこだよね」あたしは言った。
「うん、うちの学校の卒業生とね」
「え……そうだっけ」
「……よっぽど、伊東はこの学校のことが気に入ってるんじゃない？」
「…………」はあ、なんとまあ。
世の中は穢れている。
「ねえ、今日、水曜日だよね」宮本があたしに顔を近づけて言った。
思わず、顔を引いてしまった。なんとまあ宮本は、美少女面をしていることか。
「……こっそり、覗きに行かない？」
宮本はわたしにそう提案した。
これがあたしと宮本の……後に濃密になる友情のはじまりだった。＜つづく＞
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