ヴァージン・ホミサイズ
作:西田三郎
「第1話」

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■それはとても晴れた日で

 たとえばあたしが50歳になったとき、こんな午後の事を懐かしく思い出したりするのだろうか。
 
 朝からいやになるくらい強い日差しが照りつけていて、西向きの校舎の窓からは容赦なく陽の光が入ってくる。なんとかカーテンを引いて光の侵入を阻もうと するけれども、きつい日差しはまるでカーテンを通して染み込んでくるみたいで、まったく手に負えなかった。いちおう教室は冷房らしきものが効いているけれ ども、この午後の日差しの前にはまったくの役立たずだ。

 あたしはブラウスのボタンを上から三つ外して、スカートをまくり上げて大股を開き、どうしようもなく退屈なこの5時間目を、なんとか乗り越えようとして いた。あたしの周りの席のクラスメイトも、大方同じような格好で随分だらけている。

 ここは女子校なので、異性の目を気にする必要はまったくない。
 
 今教壇に立っている教師は、確かに生物学的には男性ではあるけれども……もはや男性としての機能はとうの昔に失ってしまったようなお爺ちゃんだ。教師に も定年がある筈だけど……一体、なんであんなお爺ちゃんが現役で教師をしているのだろう? 
 彼はまるで時間が来たら教壇に立ち、チャイムが鳴るまで延々と喋り続け、チャイムが鳴ると同時に教室から出ていくようにセットされているロボットだっ た。
 女子校で教壇に立つことに彼ほど適した人材はなかなか居ないだろう。
 
 けだるい午後の時間の中で、あたしは眠気を払うために、ひたすらセックスについて考えていた。
 何か問題があるだろうか?
 クラスは40人ばかりの16歳か、もしくは15歳の女子で満たされていた。
 おそらくその瞬間に、セックスのことを考えていない者は誰も居なかっただろう。
 あたしたち……と勝手に言いきってしまうが、誰もが、セックスへの憧憬と渇望を抱え、それを持て余していた。男女に関わらず、その年齢の 人間でそんなふうにならない人間は頭がおかしいか、何か大事なものが欠けているかのどっちかだ。もしくは死んでいるか。
 
 多分、これが共学の学校ならば、女子は嫌がおうにも異性からの視線を意識せねばならないので、自らの内に秘めたその欲望を、極力悟られないように心を配 らねばならないところだ。
 しかし、ここは女子校なのでそのような制約はまるで無かった。誰もが……淫らなことに対する憧れと欲求を包み隠すことなく、休み時間とも なれば、積極的に下ネタで盛り上がった。
 
 醜い風景だった。
 あたしはそんな学校の雰囲気が、嫌で嫌で仕方が無かった。

 当然、あたしもセックスへの欲望の塊ではあったが、ほかのクラスメイトたちのように、それを明け透けに表に出すことだけはど うしても出来なかった。

 今から思えば、あたしと彼女らを隔てているものはなにない。
 聖書で、イエス様も言っている(うちの学校はミッション系だった)ように、欲望に基づいて行動する者も、欲望を抱いているだけの者も、同じ罪人な のだ。当時、16歳になったばかりだったあたしには、そうした“山上の垂訓”の真意がさっぱり理解できず、完全に意味を取り違えていた。つまり……姦淫を 犯す者も姦淫を求める者も同様に罰されなければならない、という禁欲の戒めにしか、それを受け止められなかったのだ。
 思えばあたしは、随分まじめな16歳だったと思う。大人になった今、ようやくその意味を理解することが出来るようになった……イエス様は、心に欲望を抱 く者も、それを実行する者も、五十歩百歩なのだから、いたずらに淫らな行いをする者を責めるべきではない、と言っているのだ。
 
 当時のあたしは自分でも嫌になるくらいの潔癖性だった。
 
 セックスの話題で盛り上がるクラスメイト達を冷ややかな気持ちで眺めては、なんて愚かで子どもっぽいのだろう、と軽蔑していた。あんな、 まるでけだもののように欲望を剥き出しで生きている連中と、自分は違うんだと思いこんでいた。わたしはクラスの中でも浮いていた。しかし、それを過度に気 にすることはなかった。
 それは何か………自分が特別な存在であることの証であるかのようにさえ思えた。
 今にして思えば、あたしはセックスに対する欲望を包み隠すことだけで、自分を特別であるように思いたかったのだろうと思う。あたしは自意識過剰だった。
 
 今思いだしても、当時の自意識はあたしを赤面させる。
 
 クラスの中のセックスの話題とは距離を置いていただけで……あたしは毎晩、サルのように自慰を繰り返していた。いや、今だからこんなふう に明け透けに話したりできるが、あたしは当時、自慰を繰り返しながら、それをとても恥ずかしいことだと考えていた。毎晩のようにベッドの中でパンツに手を 入れているあたしは、休み時間にエロ話で盛り上がっている一山ナンボのクラスメイトたちよりずっといやらしくて、変態なので はないかと真面目に悩んでいた。
 まあようするにあたしは、むっつり助平だった訳だ。
 
 そんなあたしの事を、レズビアンだと噂するクラスメイトが多いことも知っていた。
 
 まったく、馬鹿馬鹿しい。
 
 思春期にある人間の考えることに、男女の差ははっきり言ってあまりない。
 異性への性欲を明け透けにしない人間は、同性愛と決めて掛かる。
 思春期を過ぎても、そういう思いこみを捨てきれない馬鹿な人間は男女を問わず多い。
 まったく、世の中はバカばかりである。
 
 あたしはまだ16で、知らないこともたくさんあったが、もはや全てにうんざりしていた。
 
 カーテンから染み込む西日の光線の中に、教室の埃が舞っているのが見える。

 さっきから何十回も教室の壁掛け時計に目をやっているが、たったの5分が経過するまでに何度時計を見たことか。あたしは教室を見渡した。あたしと同じよ うに、肌着が見えるくらいまでブラウスのボタンを外し、スカートをまくり上げ、机に突っ伏している生気のないクラスメイトたち。中には人目もはばからず居 眠りをしている者も何人かいる。まで垂らして。みんなほんとうに無防備だった。
 
 外されたブラウスの襟元から覗く、胸の丘陵に至るまでの峰の部分や、浮き出た鎖骨。まくり上げたスカートから伸びる、芳醇に脂肪を載せた処女太りの太 股……ああ、あたしがほんとにレズビアンだったら毎日こんなふうに死ぬほど退屈することもないだろうに。
 
 レズビアン、といえば……あたしはふと、クラスの前の方に座っている宮本のことが気になった。
 
 彼女もまた……あたしと同じように、レズビアンだという噂がまことしやかに囁かれている生徒の一人だった。 あたしと同じように、宮本は 他のクラスメイトたちにセックスへの興味を露わにしようとしない。……というか、彼女は実に例外的に……そのような欲求がまったく無いのではないかとさえ 思える雰囲気を漂わせている。

 長身に腰までのまったく癖のない黒髪。端正な顔立ちをしていて、どことなくその目はうつろで、この世の中の全てを冷笑しているようにさえ見える。彼女は こんなだるい6時間の授業にあっても、ブラウスのボタンを外すこともスカートをまくり上げることもない。いつも、“正しい座り肩の姿勢”を崩すことなく、 しゃきっと背を伸ばして席に座っている。彼女はあたし以上に、クラスでは浮いた存在だった。誰も彼女をからかったりしないし、声を掛けるこ ともしない。何か、彼女には外からの干渉をまったくシャットダウンしているようなところがあった。……レズビアンだというのは、そんな訳のわからない存在 である彼女についた噂のひとつに過ぎない。ある者は彼女は仙人であると言い、またある者は小学校時代から非処女であるとい う。またある者は彼女はわけのわからない霊感の持ち主だという。性転換した男だと言う者も居る。
 つまり、誰も彼女については何も知らないということだった。
 
 そんな彼女の後ろ姿を、何となく見ていた。
 
 と、出し抜けに、彼女があたしの方を振り向いた。
 逃げる間もなく、目と目が合った。
 
 彼女はどこか遠くを見ているようだったが、その視線の途中にはあたしの視線がある。
 あたしはけだるさも吹っ飛び、一気に緊張してしまった。目を離すこともできない。
 
 彼女はあたしの目を見ていた。薄い色の目が、あたしの目からあたしの淫欲にまみれた(ってのも大袈裟か)頭の中を、読みとっているよう だった。
 
 ふいに、彼女が微笑んだ。あたしはたじろいで、微笑み返しはしなかった。

 それはとても晴れた日で、5時間目は永遠に続くようだった。

<つづく>

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