図書館ボーイ
作:西田三郎
■3■ 「女子高生の前でそれを読め」
“……ちょ、ちょっと見てよ……あの子……”
聞こえた。
今、確かに聞こえた。
ここはオープンの閲覧スペース。
僕はさっき『医学』のコーナーから取ってきた『カラー図解:女性器の形状』を、テーブルに広げて……本を立てて中身を隠しちゃダメ、というのが仲馬さんの命令だった……カラーグラビアに鮮明に描かれた女性器の図を、眺めていた。
いや、眺めていたんじゃない。
ほとんど、釘付けになっていた。
それは……エロチックでも興奮をそそるものでも何でもなく、剥き出しになった臓器か、もしくは趣味の悪いSF映画に出てくる奇怪な生き物のように見える。でも、それから目を離せなかった。胃がムカムカする。全身からじっとりと、いやな汗が湧き出してきた。
いくら人の命令とはいえ……こんなものに釘付けになっている自分が、とても情けなく思えた。
と、そこにさっきの声だ。
“……ちょ、ちょっと見てよ……あの子……”
女の子の声だった。ひやっ……と今度は全身の体温が3度ほど下がったような気がした。
“え、え、えー……まじ?……ちょっと、何あれ?……何見てんの?”
別の女の子の声。空耳じゃない。幻聴でもない。そして仲馬さんの声でもない。
“ヤバいよ……ちょっと必死すぎー……”
クスクス、と女の子たちが忍び笑いをするのが聞こえた。
“なんで?……なんであんなドードーと見てるわけ?”
“そりゃ、そーいう年頃っぽいし”
キャハハ、と今度は女の子たちは声を出して笑った。
ぼくはもう、その場で石像か何かに変身してしまいたかった。
とてもじゃないけど、女の子たちのほうに顔をあげる勇気はない……と思っていた。
「……注目浴びてんじゃ〜ん」と、いきなりイヤフォンから仲馬さんの声。
はっとして顔を上げる。
いきなり、二つ向こうのテーブルの前に並んで立っていた女子高生の二人組……さいわい、うちの中学の生徒じゃなかった……と目が合う。
「きゃっ」
片方が声を上げて、もう一方と顔を見合わせると、意味ありげに二人でクスクス笑い始めた。
たぶん、二人共近くの高校の生徒で、ぼくより3〜4歳は年上だろう。
二人とも美人だった……僕は仲馬さんの姿を探す、という本来の目的も忘れて、またうつむいてしまった。
“見た?見た?……うちらのこと、見たよ!”
“えー!ヤバいじゃん!変態に見られちゃった!!”
“ひー!いやー!まだこっち見てる!”
ほとんど、『ぼくに聞かせること』を意識しての、ヒソヒソ話だった。
“きゃーかわいー!……真っ赤になってる。変態のクセに”
“なんであんなにかわいいのに変態なんだろうね?”
「ほんっと」耳元のイヤフォンから仲馬さんがつぶやく。「なんでそんなにかわいいのに変態なんだろうね?きみは」
「変態って…………」思わず低い声が出た。「……あなたがムリヤリやらせてることじゃないですか……」
「……“きゃーかわいー!”だって〜……女子高生のオネーサンたちに、『かわいい』って言われてうれしい?……君って年上にウケるタイプだよね〜……」
「……どこなんですか。どこにいるんですか……ってか、いつまでこんなことしてなきゃいけないんですか?」
「……こらこら、声がちょっと大きいよ」
“やだー……あの子、なんか一人でブツブツ言ってる〜……”
“マジでやばい〜……”
恥ずかしさで気が狂いそうになった。
「……ほらほら、アブない子だと思われちゃうよ〜……」
仲馬さんがどこか、ぼくの姿が見える位置にいることは確かだった。
前か、後ろか、どっかの書架の影から、ぼくのことを見ているのだ……女子高生たちの反応も含めて。
そして、それを見て愉しんでいるのだ……あの変態女。
「……もう……もう許してください……席を立っていいですか?」
「だーめーん」仲馬さんがイヤフォンから囁く。「……あ、女の子たち、きみを写メで撮ってる」
「えっ!!」
はっと顔を上げると、ほんとうに女子高生の片方が、僕に向けてスマホを向けていた。
かしゃ。
撮られた。ぼくはがっくりとうなだれた。
“撮った!撮った!いま、顔撮った!”
“見せて見せて!わ、バッチリ撮れてる!!”
「……もう、いいでしょ……許してください……」ほとんど哀願する声で喉のマイクロフォンに向けてつぶやく。「ひどいですよ……あんまりです。それに、図書館じゃ写メ禁止でしょ……仲馬さん司書でしょ……注意してくださいよ」
「よーく言うよ……写メどころじゃないことしてたのは、きみでしょ」
また、うなだれるしかなかった。
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