手篭め侍



■第23話 ■ 春日紫乃の殺人

 取調室の机に、その少女……春日紫乃と若くて大柄な婦人警官が向かい合って座っている。
 天井の蛍光灯はどうも接触が悪いらしく、定期的にパチパチと点滅した。

 婦人警官は目の前の少女の顔を見た……どこにでもいるような、いや、どこにいても異性の目を惹くような、美しく、整った顔の少女。
 今は長い髪をポニーテイルにしている。
 疲れた様子も、怯えた様子も、悪びれた様子もない。
 太い眉は彼女の強い意志を表していて、その眼差しは澄んでいた。
 きっ、と両端に結んだ唇が、凛々しくも見え、痛々しくも感じられた。

「つまり……被害者……蜂屋百十郎さんとは、それまで面識がなかったのね?」
 若い婦人警官は、できるだけ声に険が入らないよう、柔らかい口調で語りかけた。
「面識ですか……向こうはなかったでしょうね。わたしは、彼が東京に移って来てから二年間、ずっと彼を見張ってたけれど」

 ちらり、と婦人警官は手元の資料を見る。
 確かに被害者……蜂屋百十郎が東京の足立区に転居してきたのは二年前、となっている。
 その男は四三歳、妻とは二年前に別居。その妻はひとり息子とともに京都の実家に身を寄せていた。

「ホテルの中で、何か……無理やり、いやなことをされそうになった?」
「いえ、別にそんなことはありません。そういうのでは、ないんです」
 きっぱりと明瞭に、少女は答える。
「あの折りたたみナイフは……蜂屋さんのものよね?」
「はい」
「あなたは、前日にもあのホテルを訪れてる。そのとき一緒に入った別の男性からも話を聞いているけど……あなたは剣道の竹刀袋を持ってホテルに入った…… フロントの防犯カメラで、それを確認しました。でも出てきたときは、それを持っていなかった……つまり、前日にホテルのあの部屋に……凶器を隠しておい た……それでいい?」
「はい、ベッドの下に……あの部屋は評判が悪い部屋なんで、満室になるような日でも、あの部屋だけがいつも空いてる、ってことも知ってました」
「評判が悪い? ……どんな?」
「ネットでも評判の部屋だから……あの部屋で八年前、何があったか、警察の方だったらご存知でしょう?」

 また婦人警官は手元の資料を見た……が、そのことに関する事実は資料には載っていない。

「何があったの? あの部屋には幽霊でも出るの?」
「八年前、デリヘルの女性が頭のおかしい客に撲殺されて、風呂場でバラバラに切り刻まれたんです。“幽霊ラブホ”って有名なんですよ、あのホテル。特にあの部屋……310号室は、そのイワクツキの部屋です」
「……それは単なる噂でしょう? 実際にそんな事件は聞いたことないわ。あの辺一帯のホテル街で似たような事件がいくつも起きてるから、それを繋ぎ合わせて出来た、怪談みたいなものよ」

 婦人警官が嘆息混じりに言った。
 しかし、少女……紫乃は、その薄い唇を少し歪めて、笑みを見せる。
 婦人警官は、首筋に冷たい刃物を当てられたような寒気を感じずにおれなかった。


  *           *                 


 その少女……春日紫乃と婦人警官が対面している様子を、マジックミラーの向こうで警部と警部補が眺めていた。
 警部は痩せた小男で、パイプ椅子に腰掛け、悲しそうな目で鏡の向こうの少女を見ている。
 その傍らに、背の高い40代の警部補が、婦人警官が机に置いている資料と同じものを小脇に抱えて立っていた。

「……“誰でもいいから人を殺してみたかった”って感じじゃなさそうですね」警部が言った。「あの子は、被害者を、ほんとうにつけ狙ってたみたいです。二年前……十五歳のときから。聞き込みによりますと、被害者の近所で制服を来た女子学生が被害者のことを聞きまわっていた話が出ています」

 ちらり、と初老の警部が警部補の顔を見上げる。

「凶器は? ……あれは真剣だよな。恐ろしく年季が入ったものみたいだったけど……」
「ええ、専門の鑑定家によると、300年ほど前に作られたものです……実際、刀剣愛好家の中でもああいうコレクションの“八割は偽物”という暗黙の了解があるそうですけれど、あれは本物です」
「八割が偽物? そうなのか? ……嫁の兄貴が日本刀をコレクションしてるけど、今度そう教えてやるよ」
 警部は笑みもこぼさずに疲れた声で言った。
「凶器に使われた刀は……とくに『名だたる銘刀』というわけでもないようですが、300年前間、欠かさず手入れされ、何度も修理されてきたようです」
「300年前?……三百年前って言うと……何時代だ?」

 警部補が目を丸くした。この無表情な男が、そんな顔を見せることは珍しい。

「江戸時代中期……六代将軍、家宣の時期にあたるそうです。その時分は随分、ハデな飾りや凝った造りのものが流行ったらしいですけど、押収した刀はベーシックな黒鞘ですね。あの子の言う、自分の前世だか何だかに、少なくとも一致しています……確か、剣豪だった武家の娘の生まれ変わりだとか?」そういうと警部補は、皮肉な笑みを浮かべた。「何なんでしょうねえ……“歴女”とかそういうのですかねえ」

 しかし、警部は笑わなかった。

「いや、生まれ変わりだとは言ってない。自分はその血を継ぐ子孫だと言ってるんだ……で、被害者は、その敵(かたき)の子孫だと」

 まさか、という顔で警部補は警部の横顔を見た。
 しかし警部は、相変わらず悲しそうな、疲れた顔で鏡の向こうの少女を見ている。

「精神鑑定コースですかね? いくら凶器の辻褄が合ってるとはいえ……完全な妄想ですよ」と警部補。「なんであの子が被害者に執着したのかはわかりませんが、まあ所謂、ストーカー殺人ですよ」
「ストーカー殺人か……そう言われるとそんな気もするんだけど、どうもあの子、頭がおかしいようには見えないんだよなあ」警部補が顎に手を当てて言う。「そういう類の奴は何人も見てきたけど、どうも違う。供述も一貫してるし……言い訳めいたことも全く口にしない」

 と、突然ドアが開く。
 部屋に、まだ二〇代の女性巡査部長が飛び込んできた。

「失礼します!」と言ったと同時に、彼女の背後でドアが閉まった。

 ノックも忘れるくらいの興奮っぷりだ……ジャケットの下のブラウスが汗に濡れ、頬が朱く上気している。

「どうした? ……なんか出てきたか?」と警部補。「走ってきたのか? 息が上がってるぞ」
「し、失礼しました……被疑者少女の供述で、幼い頃に、祖父を被害者に殺された、というくだりがありましたよね? 確かに二〇年前、あの子の祖父は当時の住まいだった栃木の自宅で刺殺されています……当時の調書によると、“非常に剛性のある、鋭く長い刃物”で心臓を刺されたことが死因です」
「……つまり、日本刀のようなもの、ということか?」

 警部補の眉が釣り上がる。
 警部は椅子ごと、女性巡査部長のほうに振り返った。

「で、被疑者は?」警部が乾いた声で言った。「ホシは挙がったのか?」
「いえ、未解決のままですが……その際に、参考人として今回の被害者……蜂屋百十郎が、県警所轄警察から任意の事情聴取を受けています。当時、今回の被疑者少女の祖父が経営していた金属部品工場のすぐ近くの旋盤工場に勤務していたのが、蜂屋百十郎でした……容疑が掛けられたのは、偽名を使っていたからで……」
「偽名? ……ちょっと待てよ……」

 警部補が捜査資料を手繰る。
 それより先に、警部が女性本部長に言った。

八代……下の名前はわからんが、八代なんたら、だろ?」
「そうです……『八代次郎』を名乗っていました。本人は都内で借金を作ったので栃木まで逃げてきて潜伏中だったから、と事情を述べたそうですが……でも、それだけじゃないんです」
「まだあるのか?」

 警部補はうんざりした様子で言ったが、警部は興味深そうに身を乗り出した。

「当時の八代次郎……いや、今回の被害者の蜂屋百十郎は、今から二十一年前、十二歳のときに……都内の自宅で両親を惨殺されています。こちらも事件は未解決です……でも、凶器は同じような……」
「“非常に剛性のある、鋭く長い刃物”」警部が後を継いだ。
「そうです!」そう言って若い女性巡査部長は笑顔を作ったが、はっとした様子で真顔に戻った。「その当時、同じ町内のアパートに住んでいたことと、密告電話で不審者として取り調べを受けたのが……」

 警部はマジックミラーを振り返って、取調室のテーブルで女性警官と話し込んでいる少女を見た。

「あの子の……父親?」
「そうです……それからさらに、彼女の父親もまた少年時代に……」

 そこで、警部は女性警官の言葉を制した。

「わかった……もういい。後で詳しく聞こう」警部補の顔を見上げる警部。「そうか……なあ、おい。どう思う?」
「……そんな、馬鹿な……こんな話、これまでに聞いたことありますか?」
三代前まで遡る事件なら、聞いた事ある」警部はそこで、首を回した。ぐきり、と音がする。「でも……それどころじゃなさそうだな。今回は」


  *           *                 


 マジックミラーの向こうの取調室。
 すべてを語り終えた春日紫乃と、大柄な女性警察官が向かい合っている。
 チカチカと接触の悪い蛍光灯が、少女の美しい顔を造作を断続的に照らし、消え、照らし、消える。
 女性警官は、乾いた声で紫乃に言った。

「わからないわ……」女性警官は、自分の声が震えていることに気付いた。「あなたの話が。その話がほんとうなら……それはいつ終わるの?」

 紫乃は、薄く笑みを作った。

「わたしが少年院に行くのか、病院に入れられるのかはわかりません。でも、外に出てきたら、できるだけ早くいい男性と出会って……子供をつくるつもりです。できたら、男の子と女の子を人ずつ……いや、もっとたくさんでもいい……いけませんか?」
「……なんのために?」
 ますます、女性警官の声は震えていた。
「わたしが討たれたら、誰がわたしの仇(かたき)を討つんです?」


  *           *                 


 殺害された蜂屋百十郎の妻、一重の実家は、京都の岡崎にあった。

 古い木造建築で、辺りは静かだ。
 時刻は深夜0時を回ったところ……一恵の両親は、もう二階で眠りについている。
 
 一階の仏間で、一恵は七歳になる息子の十一郎と向かい合って座っていた。
 お互い、背筋をぴんと伸ばしている。美しい正座姿だった。

 一恵は今年で三十五歳になるが、見ようによっては二十代後半、もしくは前半にも見える、美しい女性だ。

 少年のようなベリーショートで、息子の十一郎とほぼ同じ髪型にしている。
 十一郎は一恵に似て……百十郎にはまったく似ておらず……女の子にも見えるような可憐な顔立ち。
 頭の形が母と同じように、とても美しかった。
 一恵は長い睫毛を伏せて、二階で寝ている両親を起こさぬよう、鈴の鳴るような小さな声で言った。

「パパとママは、もう他人です。十一郎、あなたはパパが死んで……悲しい?」
 十一郎は無言で首を横に振った。
「ママも悲しくありません……パパを殺した女の子のことも、憎くはありません……でも十一郎、わたしたちは生きなければいけません。たぶん、あの子は十年も待たずに、外に出てくるでしょう……そうすると、あの女の子は、わたしたちにとって危険です」
「きけん?」

 七歳の十一郎が首を傾げる。

「たぶんあの女の子は、わたしたちを殺しに来るはずです。ママは十一郎を守ります……でも、その頃には十一郎も十五歳か、十六歳か、十七歳……自分で自分を、そしてママをも守れる年頃です……その頃には、もう一人前の男になってないといけません」
「いちにんまえ?」

 また十一郎が首を傾げた。

 と、一恵が自分の傍らに置いていた、一本の刀を取り上げる。
 異常に柄の部分が長く、鍔(つば)の細工も凝っている……奇妙な刀だ。直線的で、撓(しな)りがない。
 柄の端、頭に当たる部分に、星型の飾りがある。
 すらり、と一恵は鞘から刃を抜き出す。
 闇の中でも、その刀身はどこからか光を集めてきて、きらり、と輝いた。

「かっこいい……」
 十一郎は、目の前に翳されたその諸刃の刃に見とれるように言った。

 と、一恵が突然、正座のままくるりと40度ほど向きを変え、その奇妙な刀の鋒を、床の間に置かれていた熊の木彫り像に向ける。
 パチーン、とバネが弾ける音に、幼い十一郎はびっくりして思わず目を閉じた。

 ……恐る恐る目を開ける……

 一恵が手にしていた刀から、刃が無くなっており、代わりに長いバネが飛び出していた。
 飛び出したバネの先に十一郎が目をやる……
 木彫りの熊が飛び出した刃に差し貫かれて串刺しなり、床の間の奥の壁に磔(はりつけ)になっている。

「いずれ、これ使い方を教えます」一恵は言った。「いいですか、あの女の子……春日紫乃がまた外に出てきたら、わたしたちが殺される前に……ママと十一郎は、あの女の子を殺しに行きます」
「なんで?」

 十一郎は、まだ殺すも殺されるも……命がどういうものかも、理解していない。

「春日か、蜂屋か、どちらかが途絶えるまで……これは続くのです」
「……ずっと、続いてるの?」

 首を傾げる十一郎に、一恵は顔を向け、やさしく笑ってから、言った。

「終わらせましょう……今度こそ


【了】 2015.06.13。


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