確かにシークァーサーの味がした
作:西田三郎
「第4話」■海水浴。全裸。岩陰。
「つーか、ちゃんと見張ってる?」みりが岩陰から聞く。
「まあ平日の昼間だからなあ」おれはただただ砂浜と水平線に見とれていた。
「あーもう、どーなってんの。コレ」すこし首を曲げれば……肩甲骨の浮き出たりみの背中と、背骨が浮き出た腰と、あばら骨が浮き出たわき腹と、固そうな尻が見えた。 青白い太股の裏も、膝の裏も、ふくらはぎも。
りみは砂がかからないように用心しながら……海水で濡れた躰をごしごしとバスタオルで拭いている。近くの岩には、先ほどりみが脱いだばかりのグレーのブラジャーとゴムの伸びたパンツがぺったりと貼り付けられている。そしてそれとは並行に彼女が着ていた靴下とジーンズと、薄手の黒いセーターが。コートは空港のロッカーに預けてきたので、ここには今ない。「あのさあ」おれは言った「……なんで水着くらい持ってこなかったんだよ。泳ぐつもりだったんだろうが」
「つーか、何見てんだよ」りみが肩越しに冷たい目線をくれる。
「……あんた、人として恥ずかしくないわけ?ってか羞恥心あんの?」
「そのために見張っててって言ってんじゃん……つーか、見るんだったら見物料ちょうだいよ」
りみはほんの数分間だけ……履いていた下着のまま海水浴を楽しんだ。
おれはこの人気のない砂浜に腰掛けて、黙ってそれを見ていた。
透明な海の水面を、りみは何度も浮き上がったり沈んだりした。泳いだ、という感じではない。ただ単にそれを繰り返しただけだった。多分、彼女はちゃんと泳げないんんだろうな、とおれは思った。
あっという間に彼女のブラジャーは水に透け固くなった乳首が浮き上がった。
水は温かなんだろうが、その躰は冷やされてますます青白くなった。自ら浮き上がった瞬間、束ねていた髪から飛沫が舞った。でも相変わらず顔は仏頂面のままだった。どう考えても泳ぎを楽しんでいるようには見えない。何らかの宗教儀式を義務的にこなしでもしているかのようだった。
「ねえ、ホリエさん」水面から顔を上げてりみが言った「あんた、泳がなくていいの?」
「水着持ってないって言ったろ」おれは砂浜から答えた。
「あたしも持ってきてないじゃん」
「だったらふつう泳がないだろ」
「沖縄に来てんだから、泳ぐでしょ。フツウ」
「いや、別にいいよ。おれは」タバコに火をつける……あと4本。どこかで買い足さねば。「……泳ぎに来たんじゃないから」
「じゃあ、何しに来たの?」りみが聞くなり、そのまま潜ってしまう。
答えを聞く気なんてはなからないのだろう。
「……死にに」おれはりみが潜っている間に言った。さっきは砂浜に身体を埋めて、泡盛で酔っ払って満ち潮を待つ……なんていう結構ロマンチックな案を考えたもんだが……どう考えてもあまりにも現実感に乏しいアイデアだったな。おれのような人間の最後を飾るには……少しそうしたセンチメンタルな方法はあまり相応しくない。どうせ死ぬなら凄絶な方法で死んでしまいたいものだ。
おれはりみの浮かび上がってこない海面を見ながら考えた。
そうだ……沖の方へ……かなり沖の方へ泳いでいく。腰にはよく切れるナイフかなにかを忍ばせて。ひたすら沖のほうへ泳ぐ。陸が見えなくなるくらいまで。そこまで泳ぐには多分、浮き袋が必要だろう。よく切れる刃物と浮き袋。その二つが必要だ。いまはないが……とにかく、陸が見えなくなるまで泳いだら、そこで手首を切る。そしてそのまま水面に水をつける。これでどうだ。かなり確実に死ねそうじゃないか?片方の手首だけじゃ心配だから、もう片方の手首も切る。念のため、余力があれば頚動脈も切る。
そうすれば、確実に死ねる。おまけに死体も発見されない。
さらに上手くいけば……海中に流れ出した血の匂いを嗅ぎつけて……鮫がおれの死体を片付けてくれるかもしれない。完璧だ。そうすりゃ、誰もおれの死体を発見できない。その鮫がいずれ漁師に捕らえられて、カマボコかなんかになって……あの食道楽の社長がどこかでそのカマボコに舌鼓を打つかも知れない。それはそれで愉快だ。ただ……問題は、海面で手首を切ったり、頚動脈を切ったり……そんなことが上手くやってのけられるかどうか、ということだ。しくじって……中途半端に出血した状態で、海面をどんぶらこ……なんてことになったらどうする?
で、血の匂いを嗅ぎつけた鮫がやってきて……おれを生きたむさぼり食うのだ。
確かに凄絶な死に方を望んではいたが……ちょっと凄絶過ぎやしないか?
鮫がやってきたときにまだ手元にナイフが残っていたら……おれは思わず襲ってきた鮫と戦うかも知れない。そして鮫を刺し殺して、無事陸に生還する。そして、新聞にこんな風に報道されるわけだ。“沖縄で男性、サメに襲われるも包丁で反撃!無事生還”
いかんいかん。それでは何の意味もない。
「ひょっとして……あれ?……自殺しに来たんだったりして」
気がつくと海から上がったりみが雫をしたたらせながら目の前に立っていた。
「…………」
「……よく居るらしいのよねー。なんだか、沖縄に行ったら死ねるんじゃないか、って思って沖縄来るヒト。そーよねー……あたしも死ぬんだったら富士の樹海じゃなくて沖縄かなあ……シンケ臭いじゃん。なんか樹海って。」
「……沖縄のヒトにしてみれば迷惑な話だけどなあ」
答えながら……りみの濡れた肢体をゆっくりと見上げていた。
小さく丸まった足の指先。細い脛には打ち身の後ひとつない。色のついていない膝小僧に、引き締まった……というと少し褒めすぎかな……固そうな長い太股。
当然のことだが、グレーの下着はぐっしょりと濡れていて、そこには陰毛が透けていた。透けているだけではなく……ゴムの弛んだ下着は腰骨の引っかかるべきところからかなりずり落ち、そのゴムの上端からは陰毛の上部が覗いている。そこからも雫が落ちていた……まったく、どうなってんだ最近の女は。けしからん。
臍は……縦型でのっぺりと平坦な腹の上で申し訳なさそうに窄まっていた。
「……てか、何見てんだよ。どすけべ」そう言ってりみが手で股間を隠す。
「……じゃあ隠せよ」おれは言った。
透けたブラジャーからはしっかり乳首が浮き立っているのに、そっちのほうはノーガードだった。あえて目は逸らさなかった……別に悪かないだろう。これからおれ、死ぬんだし。
「身体拭くからさ、ちょっと見張っててよ」
そう言ってりみは岩陰に引きこもった……そんな訳でおれはやる気のない見張りを続けているというわけだ。
「……で、水着もなしに……君はなにしに沖縄に来たわけ?」おれは岩陰で髪を拭いているりみに聞いた。「あれ?傷心旅行かなんか?」
「空港で、聞いてたんじゃねーの?……なにカマかけてんの?」とりみ。
「……死ぬとかなんとか言ってたけど……」
「やっぱ聞いてんじゃん」
「カマかけるなよ」
「お互い様でしょ」
「………で、死ぬ気なわけ?」おれは岩陰の方に足を進めた。りみはまだ全裸で……尻をこっちに向けて髪を拭いている。
「……何?」とりみが振り返る。その目は相変わらず冷たい。
「……死ぬ気、あるわけ?」おれはりみの尻を見ながら言った。「おれは、あるけどね」
「つまんないことで威張んなよ」りみはまたガシガシと髪を拭き始める。「……で……何?死ぬ前になんかあたしとやーらしい事でもしようってわけ?」
「いや、その……別にそんな」図星だった。
「……あたしはいいけど?」りみが……タオルを首にかけたまま振り向いた。「どうせあとは死ぬだけだし」
<つづく>
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