終電ガール
作:西田三郎■終電ガールズ
それぞれの本来の姿に戻って…満は男物の学生服に、桐東さんはグレーのカットソーとベージュのストレッチパンツに…二人は先週と同じファミリーレストランの席に居た。
満も桐東さんも夕食がまだだったので、一緒に食事をした。桐東さんは和風ハンバーグを、満はカツカレーを注文した。食べ終えると、もう12時半を回っていた。
食後の一服を旨そうに吸いながら、満の顔をじっと覗き込む。
「…何ですか」
「ホント、あんたの顔ってキレイだよね。石川ちゃん、あんたが男だって疑いもしなかったみたい」桐東さんはいまいましそうに言った。「なんで、男に産まれてきたの?」
「…何でって…」いつも桐東さんは答えにつまるような質問ばかりする。
「最初に言っとくけどさ、こんな事、やんない方がいいよ。あたしが言うなって話だけど」
「………」満は平らげたカレー皿に視線を落とした。
「……でも、やりたいんでしょ。だから、最初に言っとく。あたしはやめとけって言ったからね。あんたが好きで始めるんだからね。変態のあんたがやりたいことをやるんだからね。自己責任で。覚えといてね」
「……はい」思わず笑みが漏れた。
「……なにうれしそうな顔してんのよ」
満はそれから20分ほど、桐東さんと話した。
満は桐東さんが文具用品を扱うメーカー(名前を聞いたが、満は知らなかった)に勤めていること、毎週水・金曜日の最終電車で痴漢ごっこをしてお小遣いを稼いでいること、現在はひとり暮らしであること、セーラー服は桐東さん自身がほんとうに十代の少女だった頃に母校で来ていたものであること、その頃の体型を維持している自分は偉いということ、スピッツのファンであることなどを知った。
返して満は桐東さんに、自分が高校受験のために塾に行っていること、小学校6年のときから密かな女装願望を持っていたこと、セーラー服は自分の姉のものであること(姉は桐東さんと学年が7つも違うので学校で顔を合わしたことすらないという)、二人の歳の離れた姉が居るということ、父は居ないということ、スピッツは好きではないということなどを語った。
そしてその日はお開きとなった。
桐東さんがファミレスの前でタクシーが流れてくるのを待つ間、満は桐東さんにこんな質問をした。
「どこに住んでるんですか?」
「何でそんなことアンタに言わなきゃなんないのよ」満の顔も見ずに桐東さんは言った。
「…すみません」
やっとタクシーがつかまる。乗り込む前に、桐東さんは満に言った。
「どこに住んでるかって?ここからタクシーで5,000円ちょっとのところ。」そして少しだけ優しい顔になった。「20,000円稼いで、5,000円掛けて帰ってんの。バカでしょ」
そのままタクシーが桐東さんを乗せ、行ってしまった。満はそのタクシーが200メートル前方の角で右折するまで、じっと見守っていた。
その日も遅くなったことをどう母親に言い訳したのかは、覚えていない。
翌朝二人の姉から、「お年頃」だの「おませさん」だの、散々からかわれた。
それから毎週金曜日、満は塾を終えてから、桐東さんと会うようになった。
満は姉のセーラー服を着て、桐東さんは自分のお古のセーラー服を着て。
待ち合わせの場所はあの駅ホームの喫煙コーナー。
二人は端から見ても友達同士のように見えた。
桐東さんは毎週違う男を引っかけて来た。あの初めて会った日の相手だった丸顔の男や、石川とは顔を合わせることもなかった。多分、桐東さんは水曜日に会っているのだろう。
それにしても…このような尋常ではないことに悦びを見いだす男がたくさん存在することに、満はショックを感じていた。そしてそれに金が支払われることに。男性の居ない家庭で育った満には、世間一般の成人男性がどんな風なのかはよくわからない。しかし桐東さんが話つけてくる男達のほとんどは、30代中半から50代くらいまでのサラリーマンである。ともすれば自分の父くらいの年齢の男性が、金を払ってニセモノ女子高生と痴漢ごっこに興じている…どうやら世の中というものは、満が想像していたのよりずっとずっとずっと広く、そして暗いのだろう。
ところで…桐東さんは男達に、満に対して手荒なことをするのを禁じていた。
行ってもせいぜい、スカートの中に手を突っ込んでパンツの上から尻に触るくらい。そのために桐東さんは自分の下着を満に貸してくれた。小さなショーツを履くと…いつもその中で肉棒がきゅうくつに腫れ上がった。
桐東さんが男達に満へのハードな悪戯を禁じていたのは、当然、満が男であることを知られないように、ということもあった。しかしそれだけではない、ということはなんとなく満にも理解できた。
特に、ハードなことは許されない満の尻に、男達の手が伸びることが多くなってからは。やがて、男たちは好きにいじくり回せる桐東さんをおざなりにいじくり回し、その後の長い時間を満の尻を撫でるのに費やすようになった。桐東さんが満を同じ客に2度会わせなかったのは、どうやらこういうことも影響しているらしい。
痴漢ごっこの後はいつもあのファミリーレストランで食事をした。桐東さんに払われる2万円と、満に払われる1万円を軍資金に。
二人のプライベートや日常生活に深入りしない限り、満は桐東さんといろいろな話をした。
主な話題は、“どのような仕草に男たちは激しく反応するか”ということ。
「男が好きなのはね、眉間のシワ」と桐東さんは言った。「あと、目をぎゅっと閉じるのと、下唇を噛むの。コレ基本ね。…あと、小さい小さい囁き声で、“やっ”とか“いっ”とか言うの。相手の耳元でね。コレ結構効くよ」
「はあ…」
「…あとね、上級テクだけどね、触ってくる男の手をね、軽くつねったり、あと引っ掻いたりするわけ。ほんの少しだけ、“話と違うじゃん”って相手に思わせんの。素の反応を装って見せるわけ。みんな亢奮するよ〜…」
「…はい」こういう時は、ハイハイと素直に返事しておくに限る。
「…いっぺんさ、あんまりハードな事してくるから、そいつの耳、噛んでやったのよね。あの時は凄かったなあ…もう亢奮するのするの。すっげー鼻息だったよ、相手の親父」
「はあ…」
満にハードなことをするのを禁じておきながら、桐東さんは得意げに語り続ける。
ある時、一度だけ、満のことを男だと知って怒りだした客が居た。
40代くらいのいかつい顔のサラリーマンだったが、そいつが亢奮のあまり、満のスカートの中の手を前に回してしまったのだ。固くなった性器をパンツの上から触り、男は周りに聞こえそうなほど大きな声で「ああっ!!」と叫んだ。男はそのまま手をスカートの中から退却させると、横に立っていた桐東さんに燃えるような怒りの目線を向けていた。桐東さんは、今にも吹き出しそうな顔をしていた。あの意地悪を言うとき独特の、口の端だけを歪ませる不快な笑い方。
電車を降りてから男はかんかんに怒って、そのままタクシーで帰ってしまった。
お金も貰えなかったのに、何故か桐東さんは勝ち誇ったように笑い続けた。
どぎまぎしっぱなしの満を後目に。
しかし…それでも桐東さんよりも満を求める男は後を絶たなかった。
そんな時、満は密かな勝利感を心の奥底で噛みしめる。その時の桐東さんの嫉妬に満ちた目線や、“痴漢ごっこ”の後のファミレスでする会話のとげとげしさに、満は悦びを見いだすようになっていた。それが表情や態度に出ていないか、余計なところに気を使うところもあったが…。
次第に桐東さんが満に対して妙なアドバイスをすることも、くだらない自慢を聞かせることも少なくなる。
痴漢ごっこの後のファミレスでの反省会はやがて、沈黙が支配するようになった。
さらに桐東さんは、あまり満に目を合わせないようになった。
満は桐東さんのそんな大人げない態度に、密かに自負心を高めていった。
もともと、お金の為に始めたことではなかった。満にとって、この痴漢ごっこはライフワークであり、唯一の趣味だった。そんな満の手元には、いつのまにかかなりの額の現金が集まっていた。
そして、満の母親や姉たちは、毎週金曜日に満の帰りがとても帰りが遅くなることを、本気で心配しはじめていた。
満が人生始まって以来の絶頂の中にいたことなど、母や姉たちは知るよしもない。
ただ、最近妙に明るく、活き活きとしてきた満を不安げに見るばかりだった。
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