終電ガール
作:西田三郎

■ニセ女子高生ができるまで

 20分後、二人は深夜営業のファミリーレストランのボックス席にいた。
 女の名前は桐東といった。女がそう名乗ったのだから、別に疑う必要もないだろう。
 それにしても満は驚いていた。さっきまで女子高生にしか見えなかったその桐東さんは、今ではすこし疲れた感じの20代後半の女性にしか見えない。あの後、女はセーラー服のままトイレに入り、今の出で立ちでトイレから出てきた。
 白いピッタリしたブラウスに黒いストレッチパンツ。長い黒髪はひっつめにして、あの赤いセルロイドの眼鏡を掛けている。
 そんな格好の女と、学生服姿の満がレストランのボックス席に座っている。
 「……ふうん、ホントに女子高生に見えたんだ……なんか自信ついちゃった」桐東はそう言ってタバコ入れからラッキーストライクの両切りを出すと、一本銜えて火を点けた。「吸う?…あ、マズイか。その格好だもんね」
 「……」
 「アンタはほんとに中学生?あたしみたいになんちゃってじゃなくて?」
 「………はい」満はずっと俯いていた。
 「あたしを電車の中で見て、どうだった?」桐東さんがテーブルに載りだして満に顔を近づける。「ねえ……亢奮した?勃った?
 「…そんな…」
 満は思わず顔を背けた。桐東さんは知って知らずか、その大きさを強調するようなブラウスの胸を、テーブルの上に載せている。ブラウスの胸元から胸に続く丘陵の裾野が見えた。出来るだけ見ないように心がけたが、やはりそれは圧倒的な存在感を誇示して、心に飛び込んでくる。
 「勃ったんでしょ。別に、隠さなくていいよ。それでフツーだもの」
 「………」
 「そんなふうに、痴漢で勃つ男が世の中にはたっくさん居るの。それでね、それじゃないと勃たない男もたっくさん居るの。…そういうのは、人それぞれだからね。だからあたしは、この歳になっても、引っ張り出してきた母校の制服着て、電車の中でお小遣いが稼げるってわけ。判った?」
 「……はあ」中途半端な返事だったが、その代わりに何を言えばいいのだろう?
 「……あ、言っとくけど、これはあくまでお小遣い稼ぎだからね。昼間はちゃんと会社でOLやってんの。足りない分は、これで稼いでるだけ」
 「……はあ……でも…」満はこの会話を発展させるべきかどうか迷った。
 「でも……何よ?」桐東さんはさらに身を乗り出す。テーブルの上の乳房が、さらに迫ってくる
 「……なんでわざわざ……」と、そこまで言いかかって言葉が切れた。
 「……ああ、ナルホドね」桐東さんは乗り出していた上半身を敏捷に引いて、座席の背もたれに身を投げ出した。タバコを口に銜えたまま。「ほかにも、稼ぎかたはいろいろあるのにって、そう思ってる?なんでフツーに買春とか、そういう……」
 「シッ…!」満は慌てて言った。ウエイターが注文を取りに来たからだ。
 「ご注文の方お伺いしてもよろしいですか?」生気のない声で、その若いウェイターが事務的に問いかける。
 「…あたし、ドリンクバー。あんた、何か食べる?」
 「…いえ、あの…ボクもドリンクバーで」
 「ご注文繰り返します。ドリンクバー2つでよろしいですか?」
 「…はい…」桐東さんがタバコを吸って答えるつもりがなさそうなので、満が返事をした。
 「かしこまりました。しばらくお待ちください」
 あまり油を指していないロボットのようなその店員は、二人の前から姿を消した。
 「……で、何だっけ…あ、そうそう」桐東さんはまた身をさらに乗り出すとわざと小さな声で囁いた。口からあふれ出した煙が、満の鼻孔を突く。「えっと、そういう、フツーの買春とか、そういうことをしないかって?……」
 「……いえ、あの、別に……」
 「今やってることは、あたしが好きなことなの。買春する子は、買春好きでやってるんだろうけど、あたしは知らない人と最後までするのは好きじゃないの。この制服着て、触らせるのが好きなの。電車の中で」
 「……でも、さっき……それでお小遣いを稼げるからって…」
 「はぁ…ぜんぜんわかってないなあ……しょうがないか。まだ子供だもんね…」
 しばらく桐東さんは満にそっぽを向いて、タバコを吹かした。その間、満は拷問のような沈黙を課せられた。多分、自分はなにかマヌケなことを言ったに違いない。世間一般の常識からすれば、まっとうな問いだったのかも知れないが、目の前の桐東さんと自分が座るこのボックス席では、それはマヌケな問いなのだ。
 この空間では、桐東さんの考え方が全てで、法則だった。
 「…あのね、あたしがコレを好きなことと、コレがたまたま一部のオッサン相手の商売になることはね、あたしにしてみるととてもラッキーな偶然の一致なの。誰でも自分の好きなことやって、それでお小遣いが稼げたら言うことないでしょ。お金をもらえるに越したことはないけど、あたしは別にお金をもらえなくても、コレがしたいの。あたしは昼間の仕事で、生きる分のお金を稼いでるけど、それはわたしがやりたいことではなくて、しなくちゃならないことなの。こっちでは本当に自分の好きなことして、さらにお金までもらえるの。判る?」
 「…判らない」満は正直に答えた。
 「……だろうね。まだ子供だから」そのまま桐東さんはタバコを消すと、2本目に火を点けた。
 また沈黙の拷問がはじまる。満は桐東さんの言うことが完全に理解できない自分は、ほんとうに頭が悪いのではないかと疑いはじめていた。桐東さんはその間、満に目をやりもしない。気まずい沈黙に音を上げて、口を開いたのは満のほうだった。
 「……あの……つまり、桐東さんはその……」そこから先は、口に出る前にゴニョゴニョとしたつぶやきに変わった。
 「何?」桐東さんがまた口の端を上げて、顔を寄せてくる。するとまた乳房が…もういい。
 「……あの……セーラー服着て痴漢されるのが、好きってことですか?
 「そうよ、言ったでしょ」
 「なんで?なんでですか?……なぜ、そんな……」
 「……はぁ…」桐東さんは口ではため息を吐いたが、満をからかうことに心底悦びを感じているようだった。「……あんた、好きな食べ物ある?」
 「え?」
 「……大好物の食べ物ってある?って聞いてんの」
 「…はあ…」
 「……何?」
 「…ばら肉の味噌いため………ですけど……」
 「……あはは!」
 その答えに、桐東さんは吹き出し、しばし一人で笑った。ウケたのはなによりだ。だが満は、また何か場違いマヌケな答え方したのであろう自分を恥じ、赤くなって肩をすくめていた。ひととおり笑い終えると、桐東さんは言った。
 「……そのさ、何だっけ…ばら肉の味噌炒め?…を、好きなことに理由なんかある?
 「…え?」
 桐東さんが笑みを浮かべた。はじめての優しい笑みだった。
 「……同じでしょ。好きなものを好きなのに、理由なんてないよ。判る?」その一瞬、満には桐東さんがほんものの十代の少女のように見えた。「判んないよね、子供だもの

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