終電ガール インテグラル
作:西田三郎
■第三章 『終電ガール』第九話「テイク・ミー・ホーム」
「……帰りたい……帰りたい……」気がつけば、冷え切った駅のベンチで、うわごとのように呟いていた。
全身がべとべとし、下半身にはもう感覚がなかった。
スカートは元通り身につけているので、誰かが履かせてくれたたのだろう。
目隠しに使われていたスカーフは、輪になったまま首に引っかかっていた。「……帰りたい?」テシガワラの声がした。
見上げると、テシガワラとあのOL……そしてあと2〜3名の人間が、ベンチの前に立っていた。
あとの連中は?……途中で降りたか、もうどこかへ逃げてしまったのだろう。OLはまだ興奮の余韻に酔っているようだった。まだ上気している頬から、湯気が立ちそうだった。テシガワラの顔は無機質なままだ。誰もが、嘲るように終電ガールを見下ろしている。
「……帰りたいって?」
「……………」テシガワラの問いに、頷くことで答えた。
「……帰っていいよ。いやあ、今日は本当にありがとう。すばらしかったよ……みんな、とても満足してたよ。なあ?」
OLを含めた数名が、クスクスと笑った。「………帰りたい………」終電ガールは自動的に、自分が同じ言葉を繰り返していることに気付いた。「………帰らせて………」
「……だから帰っていいよ。誰が帰っちゃいけないなんて言ったよ?……人聞きの悪いことを言うなよ。僕らはたしかにまともじゃないけど、人さらいじゃない。どこかに連れていかれたいのかい?……あれだけ楽しんで、まだ足りないってのかい?」
「……帰らせて………」やはり、それしか言葉が出てこない。
「……ほら」ぽん、と膝に何かが放り出された。
ゴムで留めた、数枚の一万円札だった。「ここは終着駅で、電車はもう無いからね。それだけあればタクシーで家に帰っても、かなり余ると思うよ」テシガワラが周囲を見渡す「……少なくて悪いね。皆んなで少しずつ出し合ったんだ。ほんの気持ちだから、受け取っといて」
「………帰りたい………」
「帰りなよ。帰ればいい。僕らはもう、行くよ……君も早くホームから出たほうがいい。駅員さんにどうのこうの言われると、君もマズいんじゃないか……?」
「………帰らせて………」それ以外の言葉を忘れてしまったみたいだった。
「……じゃあ、僕らはこれで失礼するよ。……あ、安心していい。これから先、僕らのほうから君に連絡することはないから。写真もいっぱい撮ったけど、それも全部、個人個人が楽しむために撮っただけで、それをどこかに流したり、その写真をネタに君をまた呼び出してどうこう、とか、そういうことは僕たちはしない。……僕らは変態だけど、悪人じゃない。確かに君みたいな可愛い子と、これから遊べなくなるのはつらいけど……イヤがってる君を無理やり呼び出して、ムリヤリどうこうしよう、ってほど悪党じゃない」
「………帰りたい………」
「だから、帰っていいんだよ」テシガワラが中腰になって終電ガールの顔を覗き込む。「……実はね、君みたいな子はめずらしくない。あの掲示板には、いつも君みたいな子が君みたいな書き込みをして、僕らか、もしくは僕らじゃないほかのグループとコンタクトしてる。電車の中や、廃ビルの裏や、公衆便所や、公園や、どこかのアパートの一室や、ホテルなんかで……そうなんだ。君みたいな子は、めずらしくない。だから、君が僕らともう会いたくないってんなら……それは仕方ない。悲しいけれども、仕方が無い」
「……帰らせて……」テシガワラが終電ガールの頬に触れようと手を伸ばした。
終電ガールは、触れさせるままにしておいた。「……でも……君が、もし……もし君のほうから……僕らとまた会いたくなったら……そのときは、僕の携帯に電話するか、またあの掲示板に書き込んでくれ。そうすれば、いつでも僕らに会える。……これは僕の単なる希望的観測かもしれないけれど…………君はまた、絶対僕らに連絡をしてくる……絶対にね。………でも、できるだけ早くしてくれよ。……君が今みたいに美しくて可愛いのは、ほんの一瞬だ。あっと言う間に、そうじゃなくなる……それも、ここ何ヶ月か、それとも数週間の間に」
「…………帰る」
「ああ、そうしなさい。僕らは、帰るよ」テシガワラが立ち上がるのと入れ替わりに、OLが終電ガールの耳元に唇を寄せてきた。
「……良かったよ」OLが言った「……ほんとに、良かった」OLが首筋に噛み付いた……と思ったが、それは乱暴なキスだった。
たぶん、跡になるだろう。「じゃ……これで」
テシガワラと、OL、あと数名の変態どもは……クスクスと笑い合いながら終電ガールの前から離れ……改札へ続く階段に消えていった。
もうホームには誰も居ない。いずれ……駅員に追い出されるだろう。
「………帰りたい………」
しかし、腰がベンチに張り付いたように動かなかった。
誰かが気を利かせたのか、電車の中でどこかに行ってしまったと思っていた自分のバッグがベンチの脇に置かれていた。中には、本来の性別に戻るためのジーンズとポロシャツが入っている。
ジッパーを開けて……携帯を取り出した。
登録してある番号に掛けた……ほとんど自動的に、そうしていた。「……んんん………あー………えーーーーっと………誰?」電話の向こうの相手は、すでに寝ていたようだ。「……もしもし?………誰?」
「………帰りたい………」
「………え?………輝くん?」少しだけ、眠気が醒めたようだ。「輝くんでしょ?……どうしたの?………えーーーっと……今何時?」
「………帰りたいんだ………」
「………帰りたいって………え、帰ればいいじゃん……今どこ?」
「………帰れないんだ………」
「どうしたの?……ヘンだよ……ってか、超ねむいんだけど」
「………帰れそうに思えないんだ……」終電ガールの、いや、輝の正直な気持ちだった。
死ぬほど心細くて、孤独だった。
汗ばむほどの熱帯夜だったのに、凍てつくように寒かった。「……来週また会えるよ……あたし、もう寝るね。おやすみ」
「……おやすみ……また……来週」電話は切れた。
ホームから追い出そうとする駅員に声を掛けられるまで、輝は静かに泣きつづけた。
駅員に男であることは、ばれなかった。
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