終電ガール インテグラル
作:西田三郎
■第三章 『終電ガール』第四話「みんなが見ているよ。」
車内はそれなりに混んでいたが、朝のラッシュほどではない。
終電ガールとテシガワラの身体の間には、それなりの間隔があった。二人は向かい合って立ってはいたが、不自然ではないくらいに、距離を保っていた。
終電ガールはずっと下を向いたまま、顔を上げることができなかった。
ホームから車内という密閉した空間に閉じ込められると、ホームにいたとき以上に、自分たち二人が周りからどのような関係として見られているのかが、気になって仕方が無かった。
ホームにいたときと同じく、誰も気にしないだろうとは思えなかった。しかし……なぜかしら全身に視線を感じるのだ。
テシガワラからはもちろん、周囲からも。
なんとなく、温くて粘り気のある液体の中にでも漬かっている気分だった。
自意識過剰だ……自意識過剰にすぎないんだ……と何度も自分に言い聞かせた。
それでも自分の周りの空気が、奇妙な粘性おおびていることを肌で感じる。
それはセーラー服の裾から、袖口から、胸元から、そしてもちろんスカートの下から……ありとあらゆるところから服の中にまで侵入し、身体全体を撫で回してくる。恐る恐る、視線を上げて、テシガワラの顔を見上げた。
「ひっ……」思わず、声を上げてしまった。
テシガワラの、目付きが変わっていた。
さっきまでぼんやりと遠くを見るようだった、捉えどころのない眼差しはどこかに行ってしまい、代わりに飛び出さんばかりに見開かれ、充血し、ぎらぎらと光る二つの目があった。その目は……これがまた不気味なことに……左右それぞれ別々に動いていた。例えば左目がまっすぐ終電ガールの顔を見ているときは、右目は下の方に動いて胸元を見ている。右目が終電ガールの左耳をとらえれば、左目は二の腕から太腿に移動する。
まるで、カメレオンだ。
テシガワラがまともな人間ではないことはわかっていたが、まず、ここで終電ガールは彼の性質のひとつを知ることになる。……つまり、テシガワラは電車に乗ってはじめて、そのアイデンティティを発揮しはじめるのだ。
テシガワラは、電車の部品のひとつだと言ってもいい。
テシガワラがは無言だった。
しかし、カメレオンのように左右ばらばらに動く目線が、終電ガールの全身をスキャンしていく。
つまりこの時点で、終電ガールは、視線によって愛撫されていたのである。「……かわいいよ………」さっきとは違って、金属的な囁き声だった。「……なんて………なんてかわいいんだ」
「…………」こんな状況にあっても、少し照れくさくなった。
「……なんで……なんできみは……男の子に生まれてきたんだろうね……?」
「あっ……」テシガワラの指が、不意にしたから伸びてきて、終電ガールの頬に触れた。
湿度が高く、汗ばむような車内で、その指先は氷のように冷たかった。「……きれいな顔だ……」テシガワラがうわごとのように呟く。「……誰かが、みんなを喜ばせるために……丹精こめて造り上げたみたいな顔だね。……肌も白くて……鼻も唇も、なにもかもがきれいにまとまってる……特に目がいい。その目はとっても、よくできてる」
「………あっ………えっ……」頬からこめかみに、こめかみから鼻筋に、そして最後は唇に……テシガワラの指が這っていく。
終電ガールはその異様な感覚に戦慄しながら、大いなる焦りを感じていた。……いくら無関心な週末の都会の終電車とはいえ、いくら自分が完璧なまでに少女の外見を装っているとはいえ……制服姿の少女の顔を撫で回す中年男の姿は、どう考えても人目を惹くはずだった。誰かが、この異様な状態を見咎め、注目しているに違いない……そう思うと、恐ろしくて周囲を見回す勇気が湧いてこない。「……キスしていいかい?……」
「え……ええっ?」突然、背中に回されたテシガワラの手が、ぎゅっ、と終電ガールの小さな二つの尻肉をスカートのごと鷲づかみにした。まるで握りつぶそうとでもしているかのような強い力だった。
「い、痛っ……」ぐい、とそのまま上に引っ張り上げられる。
テシガワラの力は思ったより強い。
終電ガールは背伸びするようにつま先立ちになった。
痛みで一瞬跳ね上がった顎を元の位置に戻すと……目の前に、テシガワラの乾いた唇が待ち構えていた。「……だ、だめです………だめっ………んっ……」
小さな囁きに過ぎない抗議の声は、乾ききってひび割れたテシガワラの唇によって塞がれてしまう。
唇で感じるその部分は、まるで棘の生えた昆虫の甲殻部分を思わせる……チクリ、といくつかのひび割れが自分の唇に突き刺さってくるようだった。
顔を背ける暇もなかった……いや、実を言うと、あったかも知れない。
その証拠に、相手の唇が自分の唇に触れた瞬間、終電ガールは自動的に目を閉じていた。
一体なんでだろう……?……と、終電ガールは後々になっても、この瞬間のことを思い出すことになる。
「んっ………んぐ……」ゆるく閉じていた唇の隙間を、かきわけるようにしてテシガワラの舌が侵入してくる。
太くて、熱く、活力に満ちた舌だった。逃げ場を求める終電ガールの小さな舌が口内を右往左往したが……そんな狭い空間に逃げ場などあるはずも無く、あっという間にテシガワラの舌に絡め取られてしまった。“んんっ………だ、ダメだって……い、いくら何でも……これじゃ……”
いくらなんでも、この二人の有様が……車内の周囲から注意を引かないわけがない。
込み合う電車の中で……中年男がセーラー服を着た少女を抱きしめ、キスをしているのである。しかも、いきなりこんなディープキスだ。周囲をからかうように、見せ付けるように冗談で交わす軽いキスなどではない。
これは、明らかに口から始まる前戯だった。終電ガールは一度閉じた目を、開くことができなかった。
激しく口の中を犯してくるテシガワラの顔をまともに見ることが恐ろしかったこともあるし、それ以上に恐ろしいのが周囲の目線だった。ほんのついさっきまで、ホームに立ってテシガワラを待っていたときは……自分が周囲に奇異に見られていないことに安堵するばかりか……少なくともある種の男性からは少しばかりの欲情の目を向けられることに……わずかな悦びを感じたりもしていた。しかし、今はどうだ?
今は、もしこのまま透明になって消えてしまえるなら、消えてしまいたいくらいだった。
しかし、電車はまだ走り出したばかりである。と、突然、テシガワラがまるでギターの弦でもはじくように、スカートの上から終電ガールの下腹に軽く触れた。
「あうんっ……!」
びくん、と身体が跳ねて、その勢いで二人の唇が離れた。
弾かれるくらいに、その部分はもうすっかり固くなり、スカートの布を持ち上げ……自己主張をはじめていたのだ。直視する勇気などとても湧かず、しっかり目を閉じたまま腰を引こうとする。
しかし一旦は自由になった腰も、またテシガワラの手によって引き寄せられた。「……掲示板に書いてたとおり……スカートの中、パンツ履いてないの?」テシガワラが、明らかにこれまでよりも大きな声で言った「……びんびんになってるのが、外からでもしっかりわかるよ。……かわいい顔して……いやらしい子だなああああ」
???……テシガワラの声がますます大きくなっていくように聞こえた。
というかむしろ、その声を終電ガール以外の人にも意識して聞かせようとしているかのようにさえ思える。「……し、しっ……」目を閉じたまま、唇に人差し指をつける。「……だ、だ、だめですよ……ま、周りの人………み、みんな……き、気付いちゃいますよ………」
「いいじゃん。みんな見てるよ」テシガワラの声には愉悦があった。「……たぶん、みんな……大喜びなんじゃないかな。まさかこんなにかわいい子だとは……久しぶりだよ、君みたいにかわいい子は……ほら、見てごらん……みんな大喜びだよ……」
「みっ……“みんな?”……みんなって……」慌てて周囲を見回す……そして思わず息を呑んだ。
そう、確かに……“みんな”が見ていた。
二人を取り囲む十数人ほどの顔ぜんぶが、終電ガールと、テシガワラに向けられていた。
すべてがにやけていた。そのうちのいくつかは、興奮ですでに紅潮したり、脂汗を浮かせたりしていた。
ほとんどが、男の顔だった。中高年以上の、サラリーマンか……あるいはふだん着で、テシガワラのように何者なのかよくわからない男たちの顔だった。しかし意外なことに、その中にはいくつかの女の顔もあった
……30前後、という疲れた感じのOL風の女と、分厚い眼鏡を掛けた年齢不詳の女の顔、そして学校教師ふうの中年女性、駅の売店にいても不思議ではないおばさんの顔……それらも、ほかの男たちとともに、熱心に終電ガールとテシガワラの挙動を見守っている。そこで終電ガールは、気がついた……この連中はあのホームで整列しながら……終電を待っていた一団である。何気なくテシガワラに即されてその列の後ろに加わり……一団とともにこの終電車の車両に乗り込んだのである。
「……そ、そ、そんな…………これって……」思わず、声が震えた。
「……だから、皆んな……誰も気にしてなんかいないよ。……むしろ……もっともっとみんな、君のことが見たいんだ……期待に応えないとね………」
「あっ………やっ!………」突然、テシガワラが終電ガールのスカートのホックを探り始めた。
そ、そんな。この下、マジでノーパンなのに。
スカートが落ちると、下半身が丸出しになってしまう。慌ててその手を制しようと抵抗を試みた。しかし、その右手首を、背後から伸びてきた別の手が掴んだ。
「!?」
一瞬、テシガワラに3本目の手が生えたのかと思った。
そうではなかった……さっきまでは大人しい『観客』だった周りの十数人から、にょきにょきと手が生えてきて……終電ガールの左手首を、肩を、腰を、太腿を捉え……その位置に磔にした。「い、い、いや………んぐっっ……」
叫ぼうとしたら、さらに別の手が口を塞いだ。
そして……成すすべもなく大きく目を開く終電ガールの狼狽を目で楽しみながら……テシガワラが悠々と、スカートの脇ジッパーを降ろしていった。
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