終電ガール インテグラル
作:西田三郎
■第一章 『千春』第五話「女性専用車両で」
一週間は、千春にとって平和が続いた。
7時間授業を受け、学習塾に通い、そのうちの1日は終電前に……あの秘密の場所で輝とキスをした。
スカートの中に手を入れられたが、パンツの中にまで手を入れることは許さなかった。
これまでに一度も、千春は輝にそれを許したことがない。
何故なのかはわからない。それを許してしまうのが、何かとても恐ろしかったのだ。一週間目……その朝の電車も混んでいた。
千春は丸々と太ったサラリーマンのスーツの背中に頬を押し付けられる感じで、人込みに押し込まれていた。
その男の背中は強い脱臭剤の香りと、その男の体臭であるベーコンのような香りがして、息をするたびにそれらの臭いが千春の鼻腔を突いた。
おまけに……なんだかスーツからは、不快な湿り気が染み出している。『…………サーイーアークー…………まじ死にそう……』
実際に躰には触れては来ないが、痴漢なみに、いや痴漢以上に不快な乗客というのがいる。
電車が乗り換えの多いターミナル駅に到着し、乗客が電車から吐き出された。その人の流れに乗って、千春は一旦ホームへと流れ出した。この駅では多くの乗客が吐き出され、それと入れ替わりにこれまで以上の乗客が流れ込んでくる。このおっさんの背後から逃れるのには、絶好のチャンスだった。
『あ、そうだ』
千春はそのまま、人混みを掻き分けるように小走りでホームを駆け抜けると、女性専用車両がある2つほど先頭よりの車両の乗車位置まで走った。
いつもはじめからこの車両に乗り込めばいいのは、自分でもわかっているのだが……朝、ほんのわずかな時間でもベッドの中で過ごしたいという想いのほうが強く、いつもぎりぎりで家を出るので、最寄り駅の階段を駆け下りてすぐの、普通車両に乗り込んでしまう。
そうすれば、痴漢に遭うリスクは俄然高くなるのはわかっていたが……千春は、それよりも朝の眠気の中で、ベッドで一人たわむれることを選ぶタイプの人間だった。
ちなみに今朝も……少しだけ、パンツの上から股間をまさぐって目を覚ましてきた。
眠る前には眠るために、起きる前には起きるための儀式として、なんだかそのような行為を繰り返してしまう。
自分は変態なんだろか……?……千春は思った。
輝の指が直接触れることを許せないのは、そのあたりに理由があるのかも知れない。なんとか乗り込むことができた女性専用車両は、他の車両に漏れずひどい混みようだった。
走り出した電車の中で、不自然に上半身をひねる形で人混みに詰め込まれていた千春は、何とかもう少しまともな態勢に身体を立て直そうと悪戦苦闘していた。
周りは自分のような制服を着た女子中高生や、OLさんや、この沿線の女子大生たち、多少年齢がいった人も多いけど、なんといっても女性専用車両の中は、空気の香りが違った。熱気と密度はほとんど変わらないのだろうが、普通車両では地獄のように全身を責めさいなむ不快感がここにはほとんど見られない。
『やっぱり……もうちょっと早く家を出ようかな』
自分の自堕落さ……特に、オナニーに関する入れ込み様に……少し自己嫌悪を感じた。
かといって自分と同世代の14歳の女子が、自分と比較してそれほど自慰行為にのめりこんでいるものなのか、あるいはまったくそんなことはないのか……千春には見当もつかなかったが。『ん………よいしょ』
なんとか上半身をまともな態勢に落ち着け、つり革に手を伸ばした。
と、千春は奇妙な……少し熱っぽくて、甘い香りのする……気配に気付き、顔を上げた。『………えっ………ええ??』
目の前に……ちょうど正面に向かい合う形で、あの少女の姿をした少年が立っていた。
彼は1週間前と同じ、紺のカラーがついたセーラー服姿だった。今日は彼の下半身も見えた。
暗い紺のプリーツスカート。すこし短いその裾からは、青白い、たよりないほど細い太腿が一直線に伸びていた。小さな膝から下は、黒のハイソックスでぴったりと覆われ、彼の脚の細さを際だてている。「……………」
何と声をかけるべきか、それとも無視すべきなのか……千春には適切な対応が思いつかなかった。
しかし、無意識に少年のスカート前はチェックしていた……今日はまだ、それらしい隆起は確認することができない。
少年はずっと目を伏せていた。
千春のことに、気付いていないのだろうか?気付かないふりをしているだけなのだろうか?
頬はまた紅潮していて、どこかその仕草には落ち着きが無い。不意に……まったく理由などちっとも見出せないけれど……千春は、少年に何かいとおしさを感じた。
親近感……?でもない……?愛情……?でもない……母性愛……まさか!
それはまた、くしゃみの発作のように、浮かんでは破裂することなく、大人しく消えていった。ガタン。
電車が大きく揺れて、千春はバランスを崩して前につんのめった。
ふわ、という感じで千春の上半身が少年の薄っぺらい上半身……胸の柔らかさがまったく感じられない……に覆いかぶさった。つまりその結果、千春の年齢にしては少しばかり発達した胸部が、少年の胸より少し上のあたりで、ぎゅっ、と押しつぶされた。
「えっ……あっ………ご、ごめん」
言ってから千春は、てか何であたしが謝らなきゃなんないんだ、と思った。と、少年が先日のように、長い前髪の向こうから、千春の顔を見た。
切れ長の、長い睫毛に覆われた、黒目の色の薄い、美しい目だった。
いつまでも見ていたいような、そんな気がしてくる瞳だ。
……ときどき、輝もこんな目を見せることがある。ぴりぴりっ……。一瞬、何か電流のようなものが背中を駆け巡った。
少年は顔を真っ赤にして、また目を伏せた。
そして千春と躰を密着させたまま……するすると千春のスカートの中に、手を忍び込ませてきた。ドアの下から手紙でも滑り込ませるような、自然な手つきだった。
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