終電ガール インテグラル
作:西田三郎
■第一章 『千春』第三話「終電の前に」
14時間後……千春は輝の唇から自分の唇を離すと、今度は彼の耳たぶにキスをして、小さな声で囁いた。
「……今朝、痴漢にあっちゃった」
「え?……また?」輝が、上ずった声で言う。
学習塾の最寄り駅近くの、ずっと改装工事をほったらかされたまま廃屋となっているそのビルの裏に、2人の場所があった。別に、2人のための場所というわけではない。2人ともまだ中学生なので、いちゃつくには場所を選ぶ必要があった……その場所は、誰にも知られておらず、忍び込みやすく、あらゆるところから死角となっているので、制服姿のままの14歳の2人には、好都合な場所だった。
「……うん、今日も……すっごいことされちゃた……」
今のところの千春にできる限りの、熱のこもった声を作って……一言一言を、輝の耳の奥底にしっかりと響くように囁く。
輝は千春の身体を、ぎゅっ、と痛いほど抱きしめてきた。そして、上半身よりもむしろ下半身のほうを千春の下腹部へ押し付けてくる。
「……あっ……ちょっと……なんか……」からかうように、輝の顔を見上げる。「……またすごくなってる……もう、すけべなんだから」
「……どんなこと………されたの?」輝とはこの学習塾で知り合った。千春とは別の、公立中学に通っている。
同じ14歳という年齢を、余り感じさせない少年だった。
とはいえ、その他の同年代の男子が、千春にとって自分の年齢に相応しい対象に思えるかといえば、そんなことは全くない。……何といっても14歳の男子だ。
基本的に、男子というものの精神年齢は、11歳くらいで停滞して、一生そのままだ。
とくに10代の前半にあっては……同年代の少女からその有様はとても幼稚で、幼く映るものだ。「……ねえねえ……今日は、どんなことされちゃったの?」
はじめ、千春が輝に魅力を感じたのは……少なくとも他の同年代の男子と比較して、特異性を感じたのは……輝自身が同年代男子の持つありがちな粗野さやアホらしさと、無縁な雰囲気を漂わせていたからだ。
背は千春より少し高いが、体重は千春を下回っているかもしれない。
華奢で、物腰は控えめで柔らかく、なんとなく女性的な雰囲気のする少年だった。聞けば輝は母子家庭の家で……2人の姉と一緒に育ったという。
そういう家庭環境にある少年は、普通の14歳男子とは多少なりとも違う印象を身につけてるものだ。「……どんなことされちゃったか……聞きたい?」
わざといたずらっぽい、意地悪そうな笑みを作って、ほんの少し高い輝の顔を見上げる。
輝はそれなりに、というか過分に、亢奮させられているようだった。
「……また……なんか……ひどいことされちゃったの?」上ずった声で輝が聞く。
「……うーん……ひどいこと、っていうか……それなりにオドロキの体験だったよ」
「……オドロキって……なんなの?……相手はどんな奴だったの?」輝のことは好きだったけど……この千春の痴漢体験に対する異常な関心は、いまひとつ理解しにくい部分だった。……とはいえ千春はこれまでの経験で輝が、痴漢体験を聞かされることで……妙な亢奮を煽られる性質を持っていることを、よく理解していた。
そうした体験をできるだけ入り細に、かつ輝が喜びそうな多少の誇張を加えて語って聞かせると……普段はそんなことにはまったく関心がない、という雰囲気を醸し出している、女性的でノーブルな輝が、一種、野蛮とも狡猾ともいえる欲情をむき出しにするのだ。
その理性を超えた情欲に任せて、輝がむしゃぶりついてくる度に……千春自身も溢れて流れ出すような亢奮を感じることができた。
しかし、今日は少し勝手が違っていた。「あんっ……ま、待ってよ……待ってったら……」首筋に、輝のまるで吸血鬼のような乱暴なキスが張り付いて、吸い上げてくる。「……跡が残っちゃうよ……」
「……で、相手はどんな奴だったの?」
「うっ……んっ………」
今度は貪るように唇を吸われた。
「……教えてよ……」また耳だった。わざと低い声で、輝が千春の鼓膜を震わせる「……ねえ、どんな奴だったの……?……どんなことされちゃったの?」
「……んんっ……ちょっと……それ、だめ……」
少しだけ、尋問されているような気分になった。
でもわざと輝への返答を焦らすことで、もう少し輝自身の剥き身の情欲に触れていたい、というへんな気分もあった。
「……こんなこと、されちゃったの……?」
「やっ………」スカートの中に、輝の冷たい手が入ってきた。
今朝のあの少女……スカートの中にとんでもない秘密を隠し持った少女の手に似て……細くて繊細な手だった。
それが躊躇無く……前から千春の太腿の間に忍び込む。
「ん………」しっかり目を閉じて、与えられる感覚に集中する「……ふう」
輝の指が、下着の上でゆっくりと動き始めた。
これまでにも何度か、というか数え切れないほど、輝からこんなふうに下着の上から刺激されたことはある。
しかし、今のところふたりの真密度は、そのあたりで停滞していた。
輝はいつも、千春の下着の端から……指を滑り込ませてこようとする。
今日もまた、遠慮がちに……指先が侵入しようとしていた。
「……だめだよ……」千春は制する「だめだって」
「……なんで……?」少し、低い声で輝が言う。「ひょっとして今朝……痴漢に、もっとすごいことされちゃったとか?」
ふと、亢奮に頬を赤らめている輝のノーブルな顔立ちが、今朝の「少女」(カッコつきだ)の印象と重なった。
どきん、と胸が……わけもなく一回、高く鳴る。「……どうしたの?」
「……ねえねえ……輝くんって、なんでそんなに痴漢の話に興味あるの?」
「え……なんでって……」一瞬、輝の顔が素に戻ったことを千春は見逃さなかった「……君がいつも、話して聞かせてくれるからじゃん」
「……え、あたしのせいなんだ?」ぽかん、と口を開ける「それ、意外」
「……えっと……なんか……怒らせちゃった?」
「ううん」千春は輝の細い首にあらためて両腕を回した「……ぜんぜん。……やっぱ聞かされると……亢奮する?」
「……うん……ごめんね」素直に輝は、しゅんと視線を落とした。何故か輝のことが、妙に愛おしくなり……今度は千春が輝の下半身に、自分の腰を押し付ける。
いつもと同じ、しっかりと硬くなった肉の感触が、妙な温かさをもって感じられた。『……今日の痴漢はね……すっごく変な痴漢だったんだ……』
聞かせてあげるべきだろうか?
終電まで、まだもう少し時間があるだろうか?
千春は輝に、今朝の出来事を話し始し始めようとしたが……それよりもっと輝とじゃれあっていたかったので、再び彼の唇に噛み付くようにキスをした。
今日、あの少年のことを話して聞かせるのはやめにした。
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