セルジュの舌

作:西田三郎


■8■盗まれた家

「せ、セルジュっ! そ、そんなに、そんなに、そ、そんなとこ舐めちゃだめえっ!」

 女の叫び声……恵介にも聞き覚えのある声だった。

「どナイじゃ、どナイなんや、ヨシえ。ええンか、きモちエエんや ロ"? 声がマン せんト、出しイな! ……おレ"、おレ"、ウトもモまで、たれ" と ル" やナイ か」

 実のところ、このまま友人の狂乱に任せて……身体がもとめるままに怪しい衝動に身を任せてしまおうか……その瞬間まで恵介は、その邪な欲求と抗っていた。
 ふわり、と自分の睾丸と陰茎を締め付けていた和男の指が離れた。
 恵介は床に仰向けになったまま、次の声を聞いた。

「ああっ! セルジュっ! いいわっ! ……そ、そこっ! そこよっ! すっごくいいっ!」

 恵介が上半身を起こすと、いつのまにか自分の下半身から和男の姿は消えていた。
「な、なんなんだよ……あれ、なんなんだよ?」
 いつの間にか、和男はベッドの上に戻っていた。元通り、毛布を頭からすっぽり被ってうずくまっている。
「か、帰れ……」和男が毛布の中から言った。声が震えている。「頼む……帰ってくれ」

 恵介はパンツを引き上げ、ズボンを上げながら立ち上がった。
 さっきまで目を血走らせて親友である自分に尋常ではないことをしていた友人が、亀のように自分の安全領域に閉じこもってしまった……しかし、不思議と和男に怒りは覚えなかった。
 毛布にくるまり震えている和男が感じている恐怖を、佳祐も共有していたからだ。
 階下から響いてくる低いダミ声……言うまでもなくあれはセルジュの声だ。

「ヨシえ ヨしエ、おレ" おれ" ええカ ええノンか キュウきゅウ シメつけ とルで」
「当たってるうっ! 奥に、奥に当たってるのおおっ! なかがいっぱいになってるのおおっ!」

 獣のように喘ぐ女の叫び声。
 セルジュはその女に「ヨシエ」と呼びかけている。

「ま、まさか……あれって……か、和男」
「帰れよ! ……とっとと帰れ!」
 毛布をかぶったまま和男が叫ぶ。
「ど、どうなってんだよ? 一体どうなってんだよ? 説明してくれよ! 何がどうなってんだよ!」
  ジッパーを上げ、ベルトを絞めながら和男に問いかける。
 そこで和男が毛布から頭を出して、叫んだ。
「出てけよ! 階下(した)に降りて、自分の目で確かめたらいいだろ?」
「…………」
 それ以上、恵介は和男に声を掛けるべきではないと判断した。
 そして制服のワイシャツをズボンからはみ出させたまま……ベッドの上で震えている毛布の小山を残して……部屋をあとにした。

「……ヨシえ、よしエ……そンナに しメつけタら" アカんがな……あんナ 大きながキ おル"くせニ、おんマおまえのアソコは エエ具合 に 狭いノお…… たまら"ん ノお ……」
 階下へ続く階段を一段、一段おりる度に、あのおぞましいダミ声がはっきりと耳に響いてくる。
 そして、家全体を揺るがすような、すさまじい女の喘ぎ声も。
「き、きついっ! ……きついっ……きついけどすごいのおっ! わたしのなかが、セルジュでいっぱいになってる感じがするっ! ……ああんっ! ……そう、そうよっ! もっと、もっと奥まできてえっ!」
「モウ どんヅマリ" を、 さんザン 可愛がっタってル や ないカ よシエ……おんマに おマエは、身体だけヤのうテ 心の底まデ どすけべエイやノウ ……どコまで オシがりサンなん や」

 足音を潜めて、玄関に続くリビングを進む。
 声は奥の部屋から聞こえてくる。

「ねえっ! セルジュっ! セルジュっ! あたし、イってもいい? もうイっちゃってもいいっ?」
「そなイ あセり"なや……よる"あ、まだマダ これ" かラ" やねんデ ……なんボ でモ イかしたル"さかいに……」
「でもっ! でもっ! ああっ……わたしもうだめっ! もう、もう我慢できないのおっ!」

 野良猫たちが発情期にあげる絶叫のような、狂った声で女がむせび泣いている。
 もう疑う余地もない……セルジュがこの家にいることはもちろん、奥の部屋でいったい誰とセックスしているか、ということも。

(おばさん……)

 芳恵は和男の母で、小学校時代からこの家に通っている恵介にとっては、もうひとりの母のような存在だ。
 自分の母よりは、2、3歳歳上かもしれない。それでもいつも若々しく、明るく、恵介がこの家に訪れるたびに、快くもてなしてくれた。
 いつもおしゃれで、 快活で、友達の母親ながら、素敵な女性だな、といつも思わされていた。
 友人の母を、性的な目で見たことなどない……けれども和男の母、芳恵は、スリムな体 型と整った日本美人の顔を持つ見栄えのいい女性だった。
 何度もこの家に泊めてもらったこともある。その度に芳恵は、息子の親友のために腕によりをかけたご 馳走を作ってくれた。
 特にビーフストロガノフが彼女の得意料理であり、恵介もそれが大好物だった。

 その芳恵が、この家で……恵介がまるで第二の我が家のように感じたこの家で、あの異形の外人とセックスをしている。
 二階までどころか、町内中に響き渡りそうな喘ぎ声をあげながら。

「どナイや、どヤ オレ イくんかイな、イかんのカイな、どっちなんヤ よしエ」
 今や、ギシギシと唸りを挙げるベッドの音、そのスプリングの振動までが伝わってくるようだ。
「い、いやあっ……イく、すっごく……すっごくイっちゃいそうっ……おかしくなるっ!」
「イッタら" ええヤないカ 、オレ オれ"、ガマンできえんネ やロ"  ほレ"えっ!」

 ギイイイっ! ……と音を立ててベッドのスプリングが激しくよじれた。
 沈黙。

「うっ……あ、くっ……ああ、あ、ああっ……も、もう少し、もう少しなのにっ!」
「どヤ、ダンなは いつモ、 こうヤって イかせてくレ" とっタん か ……どナいや、よしエ」
「い、いじわるっ……せ、セルジュのイジわるっ……い、イかせてっ! お願いだからあっ!」
「言うンや……ダンナの チンポと、わシ のチンポ、どっちが 好キ やネン?」
「あなたのっ! セルジュのがいいのおっ! ……あんたの舌も指も、ソレも最高よおおっ!」

 ギシギシっ、と音を立て、ベッドがまた二回軋む音がする。

  「“ソレ”って何やねん……ちゃント言わん かイな ……だんなの、ナニ より、おレ"の、ナニがええねん……おれ" おれ" ……言わんと、このママ ナマごろ”し やド」
「い、意地悪っ……せ、セルジュの意地悪うっ!!」

 恵介は、音を立てずに、後ずさりながら玄関に向かった……リビングを斜めに通り抜けながら。
 と、そこで声がした。

「ああ、恵介くん……和男の見舞いに来てくれてたのかい?」
「えっ?」
 慌てて振り返る。“誰もいないはずの風景”が恵介に声を掛けたのだ。
 目をこらすと……ソファの上に、やつれ果てた白髪の男が座っている。
 その男の肌が土気色で、パジャマもベージュ、ソファも同系色だったため、男は見事に風景の中で擬態していた。
 そうやって見かけ上の存在を消すことで、なんとか生きながらえているかのように見えた。
「……もう帰るのかい? 夜道は暗いから気をつけてね」
 まるでミイラのようなその男が笑う。真っ黄色の前歯を見せて。
 男の唇はカサカサに乾いており、虚ろな目は両目ともまるで、安物の義眼のようだった。

 飛び出しそうになった悲鳴をなんとか堪えて、恵介は玄関から外に飛び出した。
 そして暗い夜道を走り、できるだけ早く、遠く、その家から離れようとした。

 あのソファの上で非力な虫のように座っていた男……恵介はあの男のことを知っていた。
 町内でも一、二を誇る豪傑で、大学時代には学生柔道でインターハイにまで出場したことがある男。
  真っ黒な髪と逞しい身体、そして息子に似て精悍な顔立ちをして、いつもにこやかに笑っていた男。
 
 そう……あの家のソファで風景に溶け込んで存在を消していたのは、和男の父である。

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