セルジュの舌

作:西田三郎


■6■赤く光る窓

「ち、ちょっと待てよ……なあ、待てってば和男……」

 和博が横坐りになっていた恵介の膝に這い上がってくる。ぞっとするほど、その身体は熱かった。

「セルジュの家を見たことあるか? ……みんな“幽霊屋敷”とか“お化け屋敷”とかいろいろ勝手なこと言ってるけどよ……そんなもんじゃないぜ……もっとゾッとする代物だぜ……ボロボロ の二階建ての家だ……一階にテラスがあって、おっ勃ったチンポみたいな六角形の塔が屋根から突き出してる……あの塔から、奴はこの町のことをずっと見張ってる んだ……庭は広くて、門はない。ボロボロの古い外車が一台止めてあって、使い古したタイヤやら、段ボールやら、どこから盗んできたんだかわかんねー自転車 だとかが家の前に散乱してるんだ……それに、奴は犬を飼ってる」
「い、犬?」

 恵介はどんどん部屋の隅に追い詰められていた。いつの間にか、背中に壁がついている。
 和夫が恵介の頭を挟むようにして、ドン、と壁に手をつく。
 悪夢のような『壁ドン』だ。相手は男で、しかも親友なのだ。

「ああ、犬だよ。でかい、黒い犬だ……最初おれは、そいつを見たとき、そいつが犬だとは気づかなかった……というか、そいつが犬であるかどうかすらわから なかった……そいつはあまりにもデカすぎて、太りすぎていて、しかも飼われてこの方、一度も洗われたことがないようすで、脂と毛についたゴミで2倍はデカ く見えた……おれはビビったよ……思わず、地面にあったコンクリートブロックを拾い上げた……」
 恵介の頭の中でその情景が再生される。
 まるでホラー映画に出てきそうな、不気味な一軒家。惨劇の匂いのする混沌とした庭。
 そこに、まるで怪物のような異形の大きな犬がいる。和男がその時に感じた恐怖が、ダイレクトに伝わっくてくる。

 これまでセルジュの家に関して、さまざまな噂を聞いてきた。
 子供を捕まえてきては家畜のように飼っている……だの、家を研究所にして生物化学兵器を製造している……だの、日本中から変態が集まってきては夜な夜な(“華麗 なるギャッツビー”のタチの悪いパロディのような)淫蕩と破戒に溢れた乱痴気パーティーを繰り広げている……だの……しかし実のところ、セルジュの家を実際 に目にした者は少なかった。
 ごく一部の小学生男子が、怖いもの見たさで近づいたことはあるかもしれないが……その中の一人が、セルジュにつかまり、3日3 晩わいせつな拷問を受けた、という噂もあった……でも、そんなことは有り得ない。そんなことがあったなら、セルジュはとっくに警察に捕まっているはず だ……ようするに、誰もセルジュ自身について何も知らないように、セルジュの家についてはみんなが噂でしか知らないのだ。
 
 和男がほとんど唇が触れ合いそうな距離まで顔を近づけて、言葉を続ける。

「そいつが、唸りながら近づいてきた……おれは、ブロックを持ってそいつを牽制した……その犬の目、おまえ想像できるか?」
 恵介は首を横に振った。今や親友である和男に、怯えていた。そんな自分が信じられなかった。
「目が、赤いんだよ……赤く光ってやがるんだ……まるで、ターミネーターみたいに。信じられなかったよ……毛の塊みたいな犬が、舌をだらりと垂らして、 真っ赤に光る目でおれに寄ってくるんだ……おれはコンクリートブロックを振り上げた。自分を守りたかったんだ……おまえだってそうするだろ? ……ああ、 ビビってたんだ、正直に言うよ……おれはビビってたんだ! でも、ふと気付いた……犬の目が赤く光ってる理由を」
「な、なんだったんだよ?」すでに、声が掠れていた。
「犬の野郎は、俺を見てるんじゃなくて、主人のいる家の中を覗いてたんだ……振り返ると、あいつの家の一階の窓から、赤い光が漏れてた……毒々しい、真っ 赤な光だ! 一体なんで、部屋を真っ赤に照らす必要なんかあるってんだ? ……おれは目の前で唸ってやがる犬のことなんか、ソッコーで忘れちまったよ…… その赤い光の中に……赤く光る窓の中に……」
「何か……見たんだよな?」
「ああ、真っ赤な光の中で、女の上半身のシルエットが、くねくねと踊ってたよ……とても、人間の動きとは思えねえ、人間の身体が、あんなふうにワカメみた いに揺れるなんて、とても信じられなかった……はっきり、それはが女の上半身だとわかった。おっぱいも、その先のとんがった乳首も、しっかりシルエットで見えてたんだもんな! ……その女が、長い髪を振り乱して、上半身をくねらせてるんだ。自分の両手で髪をかきあげ て、のけぞって、またくにゃりと折れて……シルエットだけだけど、女が自分で胸を揉みしだいてるのもわかった……シルエットだけなのに、なんであんなにエ ロく見えるんだ? ……それから、声が聞こえてきた……」

 睫毛が触れそうな距離で恵介の顔を睨みつけている和博が、口をつぐんだ。
 唇が震えている。怒り出しそうなのか、泣き出しそうなのかわからなかった。
 沈黙で、恵介が言葉を継いでくれることを求めているようにも見える。

「セルジュと……」和男の目をしっかり見ながら、唾を飲み込み……声を絞り出す「裕子の声?」

「“いいっ! すごいっ! 奥までっ! 奥まで届いてるっ! すごいよっ! すごいよセルジュっ!”」
 
 和男が女の声色で喘ぐ。
 
 恵介の顔の前からぐん、と下がったと思うと、さっき和男が言っていたところによると“まるでワカメのように”、座ったまま身体をくねらせ始めた。
 まるで頭がおかしくなってしまったかのように。
 和男は女の声色を真似ながら、くねり、頭を振り、Tシャツをめくりあげて自分の素肌を両手で撫で回した。
 へそが見えている。両方のピンクの乳首も。
 体育の時間の着替えなどで、恵介は何度も和男の裸の上半身を目にしている。
 一度、二人でスーパー銭湯に行ったこともある。そのときは、彼の全裸も見た。
 そのときは……もちろんだが、今のような奇妙な感情にとらわれたことはなかった。
 しかし今は……ほとんど白痴のようになり、艶かしく半身をくねらせ、女の声色で喘ぐその姿を目にしていると……不安の暗雲に似た何かが、自分の胸の中にどんどん広がっていくのを感じずにおれなかった。

 少しあばらの浮いた胸に、和男の指が這い回る。
「“セルジュっ! やばいっ! そこっ! そこもっとおっ! もうっ! もうっイっちゃうよおっ!!”」
 その声は甲高く、もはやほんものの女の声に聞こえた。
 和男はうっとりと薄目を開け、唇をだらしなく開き、舌を出し、少し涎を垂らしていた。

 普段は凛々しく、丹精な顔をしたクールな少年だ……しかし恵介は親友のその嬌態に、明らかに女性的なものを見た。
 実際に性体験を持たない恵介には、本来 “女性的”なものがどういうものなのかはわからない。
 せいぜい、ネットで見るエロ動画の中で悶えている女たちの演技を通してしか、それに触れたことがな い。
 しかし、今、気がふれたように身体をくねらせ、自らの身体を撫で回している和男の姿は、妙に生々しく……とても恐ろしいことだが、艶かしくも感じた。
 そして和男から立ち込めている異臭は、今やむせ返るようだった。
 まるでコンビニの店内に漂っていた、セルジュの体臭のように。

 呆然と和男の姿を眺めていたら、いきなり和男の動きが変わった。いきなり仰向けに寝転がる。
「セルジュの声も聞こえてきたよ……バッチリな! こんなふうにな!
 “エエか このメス子豚 このドすけべの牝ネコ……どヤ、どナイや、そんなにエエんか こコか? ココやな? ココがエエんヤな? たまランやロ"”? タマラんのトちゃウンか? ホレ ほレ エエのんか?”」

 そう言いながら和男は、ピョンピョンと腰だけを飛び上がらせた。
 あまりにその跳躍が激しいので、床がミシミシと音を立てる。
 そして和夫は、“たまらんやロ"”の部分で、あの痰を吐くようなセルジュの発音を完全にコピーしていた。

「……か、和男……ちょっと……し、しっかり」
 恵介の声など、和男の耳にはまったく入っていいない様子だ。
 いきなり、腹筋を使って上半身を持ち上げ、また恵介にぐっ、と顔を近づけてくる。
「あ いつの姿は見えなかったけど、あいつがベッドか何かに仰向けになって、女を突き上げてんのはわかった……それに、あのくねくね悶え狂ってるシルエット は…………ぜったいに裕子だ! おれは……そのままブロックを頭の高さに持ち上げて、赤い窓のほうに近づいていった……」
「それで……おまえは、ブロックを窓に向かって投げ込んだんだ……んだな?」
「そうだよ……それだけじゃない……そのまま、割れた窓に飛び込んでいった」
「ま、マジかよ?」

 B級ホラー映画の世界から、B級アクション映画の世界に……でもこれは、親友の和男が語る実際の体験なのだ。

「飛び込んだ先は、ベッドの上だった。でも意外だったよ……ベッドに仰向けになっていたのは、確かにセルジュだった……おれは、ベッドの上に落ちたと思っ ていたけど、実はあいつの腹の上に落ちてたんだ……で、同じようにセルジュの腹の上に乗っ勝てた女と、モロで真正面、顔を合わせた……それが……」
「裕子じゃなく、友里江だった……ってわけか?」

 ニタ−ーーーーリ……と、ゆっくり時間をかけて不気味な笑顔をつくる和男。

「……そうだ。よく知ってるなあ……そこまでは、友里江に聞いたんだな? そこから先は聞いたか?」
「い、いや……それは……」
「その部屋には、裕子もいたんだ」
「えっ……そ、それって……まさか」
「後ろを振り向くと、裕子が素っ裸でベッドの脇に立っていたんだ! で、いきなり笑い出したんだよ!」

 いきなり、和男に足首を掴まれる。

「えっ! ちょ、ちょっと何すんだよ和男!」
 いきなり和夫が、恵介の足を信じられない力で引きずり出した。
 不意をつかれた恵介は、床に仰向けに倒れてしまった。
 和男がヒステリックな声で叫ぶ。
「そっから先は……とても口じゃ言えねえんだよ! お前も俺の気持ちをわかってくれよ!」
「や、やめっ……やめろ、イカれちまったのか?」

 和男が恵介のズボンのベルトを緩め始める。
 何だ? 一体なにが起こってるんだ?
 和男が叫んだ。

「わけてやるよ! 分かち合ってくれよ! ……恵介、俺たち友達だろ?」
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