セルジュの舌
作:西田三郎
■5■ 栗の花の部屋
カーテンを締め切った自室で、和男は毛布にくるまっていた。
まるで凍えているかのように頭からすっぽり毛布を被り、顔を出さない。
部屋には生臭い異臭が立ちこめている。部屋は静まり返っていて……和男がカチカチと神経質そうに噛み合わせる音だけが聞こえる。
和男はベッドから降りようともしない。
恵介はコンビニから失敬してきたプリンをカバンに忍ばせていたが、とてもそれを取り出すどころではなかった。
「何だよ? 一体なにがあったんだよ? ……友里江に聞いたんだけど……」
いきなり、毛布から和男の顔が鳩時計のように飛び出した。
「友里江? おまえ、友里江と話したのか? あいつ、何かおまえに言ったのか?」
「か、和男……お、お前……」
恵介が言葉を失ったのも当然だ。毛布から出てきた顔は、4日前の昼休みに見た和男の顔とはまるで違っていた。
頬はこけ、健康的だった肌の色も彼らの学校の山ア教頭のように土気色だ。
おち窪んだ目。その下にはくっきりと隈が浮いている。
3日間一睡もしていないのかも知れない……もしくはこの3日間、この部屋で絶え間なくオナニーを続けていたらこうなるのだろうか……そういえば……この部屋にたちこめてるこの異臭は……。
「何て言ってたんだよ? おれのこと、あの女、なんて言ってたんだよ?」
見開いた目は真っ赤に充血している。
「お、落ち着けよ……どうしたんだよ急に?」
「どこまで話したんだよ? あの女、お前にどこまで話したんだ?」
毛布をマントのように羽織ったまま、和男はベッドから這い降りてくる。
まるで、ホラー映画に出てくる幽霊のように。恵介は思わず尻で床を後ずさった。
しかし、和男はずんずんと迫ってくる。あっという間に恵介は部屋の壁まで追い詰められた。
「な、なんも聞いてねえよ。よくわかんねえから、おまえんとこに来たんだよ……おまえ、セルジュの家にコンクリートブロック投げ込んだんだって? ……い、一体なんでそんなこと?」
「それ以外は? それ以外のこと、友里江はなんか言ってたか?」
和男の両手が恵介のシャツの襟を掴む。ものすごい力だった。そして……ものすごい異臭。
恵介にとっても馴染み深い、あの異臭だ。
「落ち着け! 落ち着けって……それ以外のことは何も聞いてねえよ! おれはお前がなんでそんなことをしたのか聞きにきたんだよ! ……一体、何があったんだよ!」
「裕子だよ!」
ほとんど金切り声に近い声で、和男が叫んだ。
「裕子? ……裕子がどうしたってんだ?」
「おれは見たんだ!」窪んだ目が、潤みをおびていた。「見たんだよ! あの日の夜!」
「だから何を? 何を見たんだよ?」
「裕子と、セルジュが公園でカラんでるところを見たんだ!」
「ええっ?」
公園とは……二人が通う学校にほど近いところにある小さな児童公園だ。
ジャングルジムとブランコ、コンクリートで作った小さな丘のような滑り台が一台。3段階に高さが違う鉄棒に、砂場。ベンチがいくつか。
全国のどの町にもある、とりたてて特徴のない子供の遊び場だ。
「……あの滑り台の裏で、セルジュが、セルジュの野郎が……裕子を壁に押し付けてたんだ……いや、押し付けてた、っていうか……壁にもたれた裕子の足元に、セルジュの野郎のあのでかい図体がうずくまってて……あの野郎、裕子のスカートの中に頭を入れて……」
「…………」
恵介の脳裏に、その状況が異様に鮮明な画像となって浮かぶ。
思い浮かべてはいけない気がしたが、そう思えば思うほど、頭の中の画像は鮮明になる。
あの裕子が……いつも儚げな印象をたたえて、学校のどんな喧騒の中にあっても、周囲に壁をつくり、その中で瞑想を続けているようなあのクールな美少女が、コンクリートの壁を背にして立っている。
その足元には、あの薄汚いグレーのコートを着た異形の巨漢がうずくまっている。
裕子の制服スカートの中に、顔をうずめて。
もぞもぞとセルジュが動く音、そしてあの淫猥な水音……さっきあのコンビニエンスストアで、セルジュとあのバイト店員が交わしていたキスの音がサンプリングされて再生される。
チュバッ……ヌチュッ……ジュルッ……ヌチュ……
裕子のクールな顔が歪む。まるで悪い夢にでもうなされているかのように。
見るからにやわらかそうなあの唇が息継ぎをするように開き、熱い吐息を吐き、セルジュの体臭を含んだ冷たい空気を吸い込む。
裕子があの艶やかな髪を振り乱し……あ……と息をつくたびに、セルジュはさらに勢いづき……。
「恵介、お前、ソーゾーしてるだろ」
「えっ」
「セルジュが裕子にしてたこと、裕子がセルジュにしてたこと想像しただろ。おれが実際にこの目で見たことを想像してただろ?」
「……そ……想像してねえよ」
「おれはこの目でちゃんと見たんだ……裕子がセルジュにねぶり回されて、ひいひいヨガってるところをな! 植え込みの中に隠れて、ずっと見てたんだ! あ あ見たよ! お前、マジでちゃんとソーゾーできるか? ……あの裕子が、あの学校じゃツンとすました顔して、男どものことなんか完全にムシしてる裕子が、あんな薄汚ねえガイ ジンに、スカートに顔突っ込まれて、舌でねぶり回されて、アヘアヘ言ってやがったんだよ! AV女優みたいに、喘いでやがったんだよ! アンアン声出し て、自分で腰振ってやがったんだよ! それも想像できるか? おれがこの目で見た以上に、想像できるか?」
襟元を掴んだ和男にガクガクと揺さぶられる。和夫の目は、もはや飛び出しているように見えた。
「できない、できねーよ! できねーってば! だ、だから落ち着けって! マジでちょっと離せ!」
「おれの目の前で、裕子がイったんだよ! セルジュに舐められて! 俺の目の前で4回もイったんだよ!」
「イった? ……よ、4回も?」
4回? ……イったってつまり、オルガスムス……か、オルガズム、かなにか……に達したということだろうか。
屋外で? 児童公園で? 本来なら昼間、子供たちが集うあの場所で? しかもあの裕子が?
頭の中が納得のいく答えを求めて混乱する。しかし答は見つからない。
裕子に対して積極的な興味を抱いていない恵介でさえ、こんなにも混乱しているのだ。
もともと裕子に強く惹かれていた和男が感じた混乱は、どれほどだっただろう?
「おれは見たんだよ! あいつが、スカートから顔を出して、裕子の太腿を、ベロベロと舐めまわすのを……」
和男はもはや笑っていた。完全にまともではない。
「もうやめろよ……頼むから落ち着けよ」
「あいつは人間じゃない!」
「え?」
「あれは人間の舌じゃないんだ!」
「ど、どういう意味だよ……」
和男の頭の中で、今日の昼休みに学校一のヤリマン……友里江が口にした言葉が再生される。
“……だって、セルジュの舌を知っちゃったんだから”
「あいつは、4回もイかされてその場にヘタりこんじまった裕子を、肩に担ぎ上げた……まるで猫でも担ぎ上げるように、軽々と」和男が、小鼓を叩くジェスチャーでそれを表現する。「……それから、公園を出て行った」
「それでお前は……後を尾けたってことか?」
「ああ、あいつの後をつけてった……町のはずれの、あのお化け屋敷まで」
ますます和男が顔を近づけてくる。あまりに顔が近いので、恵介は思わずのけぞり、後ろに倒れそうになって尻の後ろに手をついた。
和男が恵介の下半身に体重を預けてきた。
「セルジュの家まで……尾けてったのか?」
「ああ、しっかりな……見失うわけねーだろ? 190センチ越える汚ったねえガイジンが、死体みたいにぐったりした女子中学生を肩に乗せて歩いてんだぜ? なあ? ……あいつは、そのまま延々と歩き続けて、テメエの家に入っていきやがった……裕子を肩に担いだまま、あの“化物屋敷”に」
和男の鼻息が、恵介の前髪を舞い上がらせた。
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