セルジュの舌

作:西田三郎


■2■セルジュに関する噂

「お兄ちゃん、今日さ、あたし、セルジュにイヤラしい目で見られたよ」
 夕食の席で、妹の千帆が言った。
 昼間、和男とセルジュと裕子のことを話題にしていただけに、思わず恵介はむせてしまった。
「セルジュ? ……あのフランス人?」
 むせながらも、なんとか千穂を見上げる。
 千穂のしかめっ面が目に入った。眉間に皺を寄せ、不快感をアピールしている。
「うん、あたしのこと、イヤラしい目でじろじろ見てた。学校の近くの橋の下から」
 千帆はまだ小学校5年生だが、最近、妙にませてきた。男性からそういう目線で見られる、ということを自覚しはじめた頃合なのだろう。
「フランス人だからなあ……フランス人の男は女には見境いがないんだよ」
 缶ビール片手にテレビの野球中継を見ながら、父がそう言って笑う。
「でも、キモいよ。ほんと、いやらしい目でじろじろあたしの脚を見てたんだから」
「え、ほんと? ……わたしもあいつに見られたわ。この前、スーパーの駐車所で」

 母が箸を挙げて頷く。
 今年で40歳になる恵介の母は、若々しく、女らしい魅力を失っていなかった。
 まだ11歳の千帆のことを“いやらしい目”でセルジュが見ていた、というのはどうも信用ならないが、母なら十分……セルジュの外見から想像する実年齢から言っても……奴の“対象内”に入っていてもおかしくない。

「見境いなしだなあ。あのフランス野郎」
 父親がそう言って爆笑する。親父はわかっていない……と恵介は思った。
 心配じゃないんだろうか。あんな変人に自分の娘や妻がいやらしい目で見られた、と言っているのに。
「ほんと? ママも?」
「そうよ。駐車場で車に荷物を詰め込んでたら、5mくらい後ろから……なんか視線を感じたの。そしたら、セルジュが駐車場の隅っこにつっ立ってて、わたしのお 尻をじろじろ見てるの。ビクッとなって振り返ったら、今度はおっぱいを遠慮なしにジロジロ見てくるの……なんか、すっごくねちっこい目線で」
 そういって身震いしてみせる母。しかし、口で言うほど不快ではなかった様子だ。
 相手があんな異形の変人であったとしても、女として性的な目で見られることはまんざらでもないことなのだろうか……それとも、セルジュが(実際ははっきりとしないが)“フランス人”だからか?
「お前ら、母娘そろって自意識過剰なんじゃねーか? いくら相手がフランス人だからって……奴だって誰でもいいってわけじゃないだろうに」

 父はやはり呑気に、さっきとはまるで逆のことを言った。
 恵介はますますセルジュのことが気味悪くなってきた。

 40代の母にセルジュが色目を使うのはわかる。しかし11歳の千帆にまで……?
 いや、あくまで噂だが、セルジュは自分と1歳しか歳の違わない15歳の友里江と、“ヤリまくって”いるらしい。
 やはり父親の言うとおり“フランス人は女なら見境いがない”のだろうか。
 そんな奴が自分と同じ町内に暮らしている? ……みんななんで、自分ほどゾッとしないのだろう?

「ほんと、あたしの脚、ジロジロジロジロ見て、ニタニタ笑って……なんか、フランス語で言ってた」
 思わず恵介は千帆の脚を見た。ショートパンツから棒切れのような細い脚がむき出しになっている。
「わたしのときもそうだったわ。わたしのおっぱいを見て、なんか、ボソボソって言ってた」
 佳祐は、ちらりと母の胸にも目をやった……ぴったりとしたセーターを着ているせいで、乳房の豊かさが強調されている。

「“トレビアン”とか? “メルシィブク”とか?」
 そう言って父親はまたひとりで笑った。どこまでも呑気な父に恵介は少しイラつく。
「でね、セルジュ、お兄ちゃんの学校の女の子といたよ」
「え?」
 思わず恵介は箸を止めた。
「あら、そういえば、わたしのときもそうだったわ」母が口を挟む。「確かに、あんたの学校の制服着てる女の子が一緒だったわ……なんかわたしのこと見て、セルジュに耳打ちして、クスクス笑ってて……イヤな感じ」
「それって……どんな感じの女の子だった?」
   突然、恵介が話題にはいってきたので、母と妹はすこし驚いたようだ。
   千帆は顔の筋肉を総動員してクシャクシャのしかめっ面を作り、嫌悪感を表明する。
「メチャクチャ、エロくてケバい女。いまどき、信じらんないくらいスカート短くして、くそビッチって感じ」
  間違いない。友里江だ。噂はやはり、本当だったらしい。
「ちーほ、お口がすぎるわよ。いちおう、一家団らんの時間なんだから」
   母が釘をさすが、父は野球中継から注意をそらして、いきなり千帆の話に食いついてきた。
「なにっ!  恵介、お前の学校に、そんなエロい娘がいるのか?」
  恵介は答える気にもならなかった。母親がため息をつく。
「あなた、それじゃセルジュのことどうこう言えないじゃない……エロい、って言ってもまだ中学生でしょ?  ……でも、へんねえ……わたしがスーパーの前で会ったときに一緒にいた子は、そんな感じじゃなかったんだけど……」
「えっ」恵介の背中に、冷たいものが走る。「どんな……感じの子だったの?」
「けっこうきれいで、痩せてて、なんか儚げで……そうねえ、芸能人で言ったら、ホリキタマキちゃんみたいな感じ?」

    裕子だ。間違いない。

「なにっ! 恵介、おまえの学校には、そんなエロい子やホリキタちゃんがいるのか? ほんと、うらやましいよなあ……おまえ、学校生活が楽しくて楽しくて仕方ないだろ?」
「パパ、キモッ
 千帆がまた顔をクシャクシャにして不快感を示す。
    母もまた、父の食いつきぶりに呆れてるようだ。
「ほんっとに、セルジュといい、うちのパパといい……おじざん、って世界共通なのねえ……ところで恵介、その子のこと知ってるの?  わたしが見た子と、千帆が見たそのビッ……じゃなくて、エッチなかんじの女の子」
「い、いや、し、知らないよ……全生徒の顔、知ってるわけじゃないし……」
   恵介は嘘をついた。セルジュも、友里江も、裕子のことも自分には関係ない……和男は親友だったが、それは和男自身の関心ごとであって……セルジュとそれにまつわる噂に関しては、自分は距離を置いておきたかった。
「恵介、おまえ……彼女とかいないの?   そんなにエロい娘やホリキタちゃんが学校にいるんだろ?  そーいうことにそろそろ、積極的になってしかるべき年頃なんじゃないの?」
 父が的外れな横槍を入れてくる。
「まだ無理だよ、お兄ちゃんには」
   恵介が答える前に、千帆がきっぱりと断言した。
「あら、なんで?  けっこううちのお兄ちゃん、ハンサムだと思うけど?」
   恵介が千帆に言い返す前に、すかさず母が恵介をフォローした。
「男の子はね、ハンサムなだけじゃもてないんだよ」千帆が得意そうに言う。「お兄ちゃん、なんか前向きじゃないもの……ハキがない、ってゆーか」
「恵介は草食系だもんなあ……もっと食らいついていけよ、食らいついて」
  父が微妙な死語を口にしたので、また千帆が顔をしかめた。
「そうよ、恵介」今回、母は恵介のほうに味方してはくれなかった。「なーんかあんたは、いつも心ここにあらず、って感じだものねえ……問題を起こさない真面目な子のはいいけど、青春まっさかりなんだから……もっと主体性を持たなきゃ」
「……」

    なにも母が味方をしてくれなかったから反省したわけではないが、確かに自分にはそういうところがある、と恵介は自己評価せざるを得なかった。
   もっと何かに対して、積極的に興味を持ち、主体的に行動すべきなのだろうか……?
   今回のことは、いいきっかけかも知れない。無意味ではないのかもしれない。
   たとえば……和男を通して裕子や友里江や……セルジュに対して関わることで、自分がふつうの、年齢相応の少年になれるのならば。

 思えばそんな余計なことを考えたのがすべての間違いだった。
 そんなことを考えさえしなければ、恵介の家族はその夜のようにずっと団欒を楽しめたはずなのに。
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