セルジュの舌

作:西田三郎


君にやさしくするよ、むりやりなんてしない
なにが怖いの? 怖がることなんて何もないんだよ
おねがいだから固くならないで
僕の唇によだれが出てきたら

〜『唇によだれ』より〜


■1■友里江にまつわる噂

 3年生の友里江は学校いちばんのヤリマンで、頼めば誰でもやらせてくれるという話だが、恵介にはどうしてもそれが信じられなかった。
 
 なぜなら、友里江にタダでヤラせてもらった、と喧伝しているA組の山アと大田、C組の岸田と岩崎、D組の武田といった連中はどいつもこいつも、恵介の感覚ではハッタリ野郎だからだ。
 特にD組の武田は、自分は明治天皇の遠縁にあたる血筋だ、とほざく奴なのでますます信用がおけない。
 ほかの連中が、友里江とヤったと言っているのも、それらは町に出かけたときにAKBの誰かに会っただの、見渡す限り畑とビニールハウスばかりの通学路でフライン グヒューマノイドを見ただの、そういうたぐいのハッタリだと恵介はみていた。フライングヒューマノイドとは、近年、UFO好きの間で話題になっている、ヒ トの形をした未確認飛行物体のことである。恵介は、そういうことにとても詳しかった。

 恵介は不思議と謎が大好きだが、色気に関してはそれほど積極的になれない。
 今年14歳になるが、見かけも心の中もほかの男子ほど成熟していない。しかし頭はいい。
 ド田舎の公立中学校において、恵介の頭のよさは、どこにも活かされることもなかった。
 なぜなら彼は、勉強に対しては実に不熱心だったからだ。

 しかし、直感力はすぐれていた。だから、友里江に関する噂はエセだと確信できたのだ。
  べつに、友里江に対して特別な感情があったわけではない。
 そんなしょうもない噂にばかりうつつを抜かしているクラスメイトを、密かに見下していただけだ。
  そうした同級生の中でも比較的信用のおける人物であると、恵介が認めている友人がいる。
 小学校時代からの親友である、和男だ。
 普段は、男子生徒同士にありがちな根も葉もないような噂話には乗ってこないタイプで、そういうことよりも部活の サッカーを中心とした清く正しい中学生としての生活を満喫していたい……そんな理想的健康優良児、というのが恵介が和男に持っていた印象である。

 しかし、その日の和男はどうも様子がおかしかった。
 どうしたんだ、と恵介が聞くと、和男はしばらく言いにくそうにしていたが、恵介がせっつくのでポツリ、ポツリと先週の出来事を話し始めた。

   その夜、サッカーの練習を終えて自宅に戻る途中、和男はこの田舎町のあぜ道にぽつんと建っているコンビニに立ち寄った。
 四方を山でかこまれたこの田舎町の日没は、やたらに早い。
   だからその時間、辺りはすっかり暗くなっていた。

「どうせエロ本でも立ち読みしようと思ってた感じ?」
   恵介はいつになく真剣な様子で語る和男の様子がすこし奇妙だったので、わざとからかって見せた。
   しかし和男の深刻な様子は変わらない。
「ちげーよ。ヤンマガの最新号を立ち読みしてたんだよ」
「つってもおまえ、いつもグラビアしか見ねーじゃん」
「真面目に聞けよ。こっちは真面目に話してんだから」
 
 やはり和男の様子はおかしい。

  いつもは活発でさわやかで、どこに出しても恥ずかしくない健康優良児の和男が、こんなに深刻な表情を見せるのは珍しい。
 その憂い顔には、独特の魅力さえ見られる。恵介と違って、和男は同級生にもてた。
  恵介は和男とは正反対の、少し斜に構えたところのある外れものだったので、中学2年生の同級生女子からのウケはあまり芳しくなかった。
   しかしたまに、上級生の女子からはからかわれることがある。地元の高校生の女子たちからも、たまに声をかけられた。
 恵介本人はそう悪い気はしなかったが、 実のところ、こんな田舎町でクールでニヒルな感じを装っている童貞少年が、年上の、しかも非処女の彼女たちには、かわいらしく映ったのだろう。
   そんなことにも気付けなかった当日の恵介は、心中で「この健康優良サワヤカ野郎」と見下していた和男ほどに、幼く無垢だった。

「で、どうしたんだよ。コンビニでグラビアをガチ見してるとこ、裕子にでも見られたのかよ」
   裕子とは恵介と和男のクラスメイトで、学校一番の美少女だった。
   恵介自身は裕子に対して、何の感情も抱いていなかった。
   後に、嫌が応にもその存在を意識せざるを得なくなるのだが、それはまだ先の話だ。
「裕子がコンビニにいた、ってところまでは合ってる。でも……裕子はセルジュと一緒だったんだよ」
   目を伏せて、拗ねたような表情を見せる和男。
「セ、セルジュと?」
「ああ、あのセルジュと……あいつの腕にぶら下がるみたいにして、はしゃいで笑ってたよ」
「あの裕子が?   ウソだろ?」

   セルジュが裕子と一緒にいた、ということよりむしろ、裕子が『はしゃいで笑っていた』ということのほうが、恵介には信じられなかった。
  なぜなら、裕子が笑っている姿を 恵介は見たことがない。
   おそらく和男も、そのときに初めて見たのではないか。
   いや、学校中の誰も、裕子が『笑ってはしゃいでいた』などという事実を信じられる者はいないだろう。

「間違いない。セルジュだった。てか、セルジュを誰かと見間違える、なんてことあるわけないだろ」
「ああ……まあ、そりゃそうだな」

 セルジュというのは……本名も定かではなく、一体、何をどうして生計を立てているのかわからない、この町一番の謎の男だった。
 どう見ても、日本人には見 えない。身長は190センチを悠に超え、体重は100キロ近いかもしれない。
 まるで熊のような大男で、夏でも冬でも垢じみたグレーのコートを着て、頭には ベレー帽を載せている。
 いったい、セルジュがどこからやってきたのかは、誰も知らない。

「あんなやつが町にもうひとりいたら、この町ももう終わりだよ」
 和男はそう言って、自分の言葉にうなづいた。
「いや、じゃあ……裕子を友里江と見間違えた、ってことはない……よな」
 恵介は自分の頭に浮かんだことをそのまま口にしたことを後悔した。
「そんなわけないだろ」
「そんなわけないよな」

 友里江というのは、最初に説明した彼らの学校で一番のヤリマンだと噂されている少女である。
 誰にでもヤラせるという噂が立つだけあって、中学三年生(恵 介や和男より1学年上である)という実年齢にしては、妙に色気があり、おっさん的視点から見れば『なんか男好きのする』顔立ちをしていた。
 もちろん、恵介も和男もおっさんではなくまだ14歳の少年だったので、友里江の『男好きのする』雰囲気というものをよく理解できていない。
 決して、美人 でも可愛くもない。
 ただ、体つきは全体的に抱き心地がよさそうで、胸も尻も田舎町の公立中学校の野暮ったい制服のなかに、きゅうくつそうに収まっている感 じだ。
 一重のすこし厚ぼったい瞳、いつもだらしなくすこし開いている厚めの唇、いつも何かのせいで上の空、という態度……これらが総合的に、友里江の『エロさ』を形勢していた。

 A組の山アと大田、C組の岸田と岩崎、D組の武田、そういった連中は、友里江の張り出した胸や尻、厚い唇などそれぞれのパーツを評価して、友里江をエロい、と感じる。

 恵介はまだましなほうで、友里江の『全体的なエロさ』をなんとなく理解していたが、和男のほうは他の男子らと大して変わらない認識だった。

  かといって和男は友 里江の性的魅力を評価することはなかった。
 むしろ、忌み嫌っていたとも言える。
 その代わりに学校一の美少女である裕子に熱をあげていた和男は、(中学生的のわりには)セックス アピールに溢れ、エロく、悪い噂がある友里江に情欲を抱くことを、自らストイックに制限していたようなところがある。

 まるで友里江に大して自分が欲情すれば、愛しの裕子の存在が汚れてしまう、とでも考えているかのように。
 それじは端から見れば、実に滑稽だった。しかし恵介は、友人である和男にそれを伝えることはなかった。
 そんな和男が……裕子と友里江を見間違うはずがない。
 
 ところで友里江は、この小さな町で唯一ひとりだけ……件のセルジュと交友を持っている、とされる少女だった。
  町の人々はもちろん、恵介と和男が通う中学 校において、友里江の私生活に関して詳しいことを知っているものは誰もいない。
 誰もいないからこそ、噂だけが彼女に関する情報のすべてだった。

「セルジュは友里江とヤリまくってんだろ? なんで裕子がセルジュと一緒にいるんだ?」
「そりゃあ……それがフランス人ってやつなんだろ」
 和男は大真面目だ。しかし恵介はその意見に賛同しかねる。
 フランス人全体がそういうわけでもないだろうし、だいたいセルジュがフランス人であるという確たる証拠すらないのだ。
「ヤバいんじゃないのか、裕子。あんなワケのわかんないガイジンと……」
「そうだよ。裕子は騙されてんだよ。あのフランス野郎に」
 吐き捨てるように和男が言った。
 恵介は、和男の目に、薄暗いものを見た。

 悪い予感がした……遠くで雷鳴を聞いたときみたいに。
 
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