セルジュの舌
作:西田三郎
■16■多様性についての実験
なぜこの車の後部座席に乗り込んでいるのかわからない。
隣りにはシュワルツェネッガーのようなターミネーター野郎。運転しているのはハリガネ男で、助手席にハゲ頭が座っていた。
車は田舎の一本道を流していた。とくに目的地があるようにも思えない。
左にジャガイモ畑、右に大根畑。車が走り出して10分ほど、車内は沈黙に包まれていた。
しびれを切らしたのは、恵介だった。
「どこに行くんだよ……説明って、何だよ?」
「すばらしい町じゃないか。君はこの町で育ったのかね?」
急にハゲ頭が声を出す。前を見たまま、恵介に顔を向けずに。
恵介はこくりと頷いた。ハゲ頭はバックミラーでその仕草を確認したのか、恵介の意志を理解したようだ。
「セルジュがこの町にやってきて、ちょうど8年になる。知っていたかね?」
首を横に振る恵介。その意思もハゲ頭はバックミラーから汲み取ったようだ。
「私も30歳を越すまで、自分が生まれた町で育った……君ぐらいの歳には、町の隅々まで知り尽くしてるつもりだったが、実はそうではなかった。それから何十年も経った今、わたしが子供の頃に町について知っていたのは、ごく一部であったことに気づく……わかるかね?」
どう答えていいのかわからない。いや、正直言って、さっぱりわけがわからない。
恵介は沈黙したまま、ちらりと横のシュワルツェネッガーを見た。
その逞しい太腿が自分の太腿の脇に触れている。まる鋼鉄で出来ているように、硬くて冷たい。
「君は今年で14歳になる……そうだな?」
ハゲ頭が少しだけ恵介の方に鼻先を向けて言った。
「えっ……ああ、うん。まあ……」
「男が、子ども時代から、少年時代に移行する次期だ。ものの見え方も随分変わってくる。身体が成長すれば、精神も成長する……そうすると、今まで見 えていなかったものが、見えるようになってくることがある。知らなかった、わからなかったことが、理解できるようになってくることがある。わかるね?」
諭すような口調に、恵介は反感を感じた。
「それとセルジュと、どんな関係があるんだよ? あいつのせいで、和男は死んだんだ……」
「彼に対しては、我々も深く同情している。われわれは、君には彼のようになってほしくない。だからこうして君に会いに来た……和男くんにも接触したかったんだが、間に合わなかった。実に不幸な、悲しい結果になってしまった。それはわれわれの落ち度でもある」
「どういう意味だよ? ……あんたら、セルジュとどういう関係なんだよ?」
「まず断っておくが、われわれはセルジュを監視してはいるが、管理することはできない」
ハゲ頭がまた前方を見ながら言う。
「監視? 管理? ……どういう意味? あんたら、一体何なんだ?」
「これは10年間のプロジェクトだ。あと2年で終わる。8年前、あの屋敷を買い取り、セルジュをこの町に置いたのは……われわれだ。以来、われわれはセルジュ の生活を経済的、法的に支援している。セルジュは金銭に対してまるで欲がないので、経済的なコストの面では助かっているが……なにぶんあの性格なのでね。 彼がちょっとしたトラブルを起こすたび、われわれが処理している。結構な苦労だよ」
「……な、なんのために、そんなことを?」
当然、して然るべき質問だ。聞けば聞くほど、頭の中に“?”のサインが点いては消える。
「まあまあ、先を急がないでほしい……まずわれわれが、この町を選んだ理由を話そう。この町の地理的条件と、行政サービスのあり方、人口、住民の年齢分 布、所得分布などが、われわれの試みにとって最適だったからだ。とくに所得分布が素晴らしかった……この町の人々は、多少の差額はあれど、ほとんど同じ所 得圏内にある。全員がいわゆる中流より少し下か……もしくは少し上。ここまで見事に“中流”の人間だけで構成された自治体は珍しい。そんな意味で、われわ れはこの町を選んだ。セルジュを置くのに、最適だからだ」
「だから……何のため?」
「まあもう少し待って欲しい。一億総中流時代といわれた1970〜80年代、バブルが崩壊した1990年代、その後の不景気、リーマン・ショック、アベノ ミクス……日本経済は時代ごとに景気の波に乗って変動し、揺らいできた。その中で日本国民の意識も、同じように揺らいでいる。しかしこの町の安定性には目 を見張った。この町は、ずっと変わらないんだ。都市部とのアクセスは少々困難だが、平穏な暮らし……あくまで、精神的な意味で、だよ……を過ごすには、こ れほど理想的な町はない。今後、大きく開発されて人口増加が望めるような見込みもなければ、大きな企業が誘致されるような可能性もない。極端な金持ちもいなけれ ば、極端な貧乏人もいない。人々の生活は、とても安定している……だから、この町が選ばれた」
隣りのシュワルツェネッガーの存在を忘れるほど、恵介のなかでは恐怖心より焦燥感のほうが大きくなっていた。
いったいこのハゲは、何を言おうとしてるんだ?
「だから、セルジュって何者なんだ? あんたらと、どんな関係なんだよ? だいたいあんたら、何なんだ? ……さっきから一体、なんの話してんだよ?」
ハゲ頭がふっと笑ったような気がした。まるで機械のようなその男が。
「ようやく説明できるな……君の質問に答えよう。セルジュは、“刺激”だ。最近世間を騒がせていたSTAP細胞について、小保方晴子氏が唱えていた説を覚えているかね? ……細胞にある種の酸を加えると、どんな細胞にも変化させることができる。確か、そんな内容だったと思うが……」
「あれは、ウソだったんじゃ?」
恵介もはっきりと覚えてないし、そもそも理解すらできない。
「生命が辿ってきた進化について、『突然変異説』があるのを聞いたことあるかね? 生物は自然淘汰によってゆっくりと現在の生態系を築いてきたのではなく、ある日、 突然、爆発的に新しい種が生まれた、というんだ。いわゆる、ミュータントと言われる生き物が、少数派ではなく、ある日突然、多数派に成り代わる。それがい つ起こるか、どういう要因で起こるか、それは誰にもわからない」
「セルジュは……」恵介は目眩を覚えながら言った。とても言葉が頭の中に収まりきらない。「セルジュは、ミュータント? ……あんたらは……政府の秘密組織か何かで……セルジュを作り出して……」
「違う。そういうB級ホラー映画みたいな話じゃない。小保方晴子氏の説にたとえて言うならば、この町は無垢な“細胞”で、セルジュはそれに“刺激”を与えるため の“酸”だ。セルジュは、この町に刺激を与える。8年前にセルジュをこの町に置いてからずっと、彼はこの町に刺激を与え続けてきた……君は気づかなかった だろう。なにせ、子どもだったから。少年時代に入って、ようやくセルジュの存在感に気付いた……君もこの町という細胞を構成する分子のひとつだ。そのこと によって、君の生活や考えは変化した。君の親友には気の毒なことをしたが……ああいう悲しい例もある。変化のためには」
「言ってることがさっぱりわかんねーよ! いいかげんにしろ!」
恵介は身を乗り出して、ハゲ頭に迫った。隣りのシュワルツェネッガーは、まったく気にしていない様子で、微動だにしない。
多分、ハゲ頭がリモコンを操作するまで、息もしないのだろう。
ハゲ頭は答えない。ハンドルを握るハリガネ男の頭が、気味悪くゆらゆらと揺れている。
しばらく車内は静まりかえり、古い車の騒がしいエンジン音だけが響いている。
あれ、ちょっと待て……恵介は思った……車は西へ向かっているのでは? ……つまりセルジュの家のほうへ。
「降ろせ」恵介は言った。「……もういいから、降ろしてくれ」
「……今はすべてを理解できなくてもいい。これは多様性の発現を実証するための実験なんだ。われわれはセルジュを監視しているが、管理はしない。あれの好きなよう にやらせる。君の担任の先生にも気の毒なことをしたが、われわれが接触して、説明を行った……彼女も納得してたよ。たぶん彼女は、週明けには学校に復帰するだろう。そして、先生たちはもちろ ん、君のクラスメイトたちも、大きな噂を立てることはないだろう」
「そんなバカなことあるか!」恵介はわめいていた。「降ろせ! 車を停めろ!」
「わかってほしい。セルジュは管理できないんだ……あの個体はとくに。あれには、何もかも好きなようにやらせるしかない。君らには、何もできない。あの個 体を縛るものは何もない。何かあれば、われわれが処理する。警察に捕まっても、起訴されることもなければ、裁判を受けることも、ましてや刑務所に入れられることもない。マスコミが、彼のこと を報じることもない……われわれはセルジュを管理できないが、そういうことは管理できる」
恵介はハゲ頭の後頭部を睨みながら、声を絞り出した。
「……このことを、ネットに公開したら? さすがにネットまでは、あんたらにも管理できないだろ?」
ハゲ頭がクスリ、と笑い……やがて肩を震わせて大笑いを始めた。ガハ、ガハハ、ワハハハハ!
ヒッヒッヒッヒ! ヒャッヒャッヒャッヒャ! イーヒヒヒヒヒッ!……ハリガネ男も運転しながら笑う。
隣りのターミネーターも、アハッ! ヒハッ! ブワハハハハッ!とバイクのエンジン音のように笑い出した。
車内が爆笑の渦に包まれた……笑っていないのは、恵介だけだ。
やがて落ち着いたハゲ頭が、肩ごしに恵介を振り返って言った。
「いや、すまない。君の言うことがとても面白かったのでね……いや、確かに。ネットを通せば世界につながることは可能だ。でも、君は本気で……ネットを通 してこの何の変哲もない町と、世界がつながるとでも思うのかい? ……プッ、グハッ! ガハッ! ガハハハ、ワハハハハ!……すまない、いやほんと、すま ない……あ、そうそう。君は降ろしてくれ、と言っていたな。一刻も早く降りたいか? 家の前まで送っていこうか?」
「ここで、降ろしてくれ……今すぐ!」
車が停車する。
恵介は慌てて後部座席のハンドルを握るとドアを開け、車外に飛び出す。
車は、一度クラクションを鳴らすと、Uターンして恵介の脇を通り抜けていった。
中で3人の黒い服の男たちが、また大爆笑しているのが見えた。
ふと見上げると、六角塔と、風見鶏、避雷針が真っ青な青空を突き立てている。
セルジュの家の前だった。
グルルル……獣が唸る声がする。
和男が言っていた、セルジュの異形の犬だ。
真っ黒で、醜悪に太り、汚れた毛はレゲエミュージシャンの髪のように縺れ、垂れ下がっている。
その犬が、セルジュの家の敷地の外に出て、恵介を睨みつけていた。
恵介は、後ずさりはじめた。犬に背を向けてはいけない。
そのまま、じりじり、じりじりと……角を曲がるまで、延々と後ずさりを続けた。
ずいぶんと離れ、その姿が米粒くらいの大きさになっても、犬が恵介を睨んでいることがわかった。
TOP