セルジュの舌

作:西田三郎


■15■黒い服の男たち


「まて、待ってくれ千帆!」

 恵介は友里江の顔を引き離す……友里江の唇と恵介のペニスの先端との間で、名残惜しそうに粘液が糸を引いた。
 だが、佳祐は友里江を突き飛ばす。
 ごろり、と友里江の身体が地面に転がり、短いスカートがめくれ上がる。
 薄い紫のショーツが目に飛び込んできたが、恵介にそれをじっくり鑑賞している余裕はなかった。
 ズボンをあげて、なんとかベルトを絞めながら千帆の後を追って会館の裏から飛び出す。
 千帆は会館の門をくぐって、外の道に走り抜けていくところだった。
「ど、どうしたんだ恵介? な、なにがあった?」
 会館の前に立っていた父が驚いて声をあげる。
「なに? どうしたの……その格好……一体どうしたの?」
 隣りに立っていた母も目を丸くしている。
 言われて恵介は自分の下半身を見下ろした。
 ワイシャツの半分がズボンからだらしなくはみ出し、もう半分は全開になったズボンのジッパーからこれみよがしに飛び出している。

 しかし、そんなことに構っている余裕はなかった。
 恵介は会館の中に飛び込むと、クラスメイトや教師たちの参列客をかき分けて、和男の遺影が飾られている祭壇の前まで走った。
 そして、相変わらず涙を拭っている和男の母と、死にぞこなったゾンビのように萎れている和男の父を指差して、これまでの人生で初めて出すような大きな声を上げた。

「知ってるんだろ? なんで和男が死んだのかを? ……誰のせいで和男が死んだのかを?」
 和男の母が、泣き濡れた目をゆっくりとあげる。
 ゾンビの父のほうは、うつろに前を向いたままだ。
 住職は読経をやめ、肩ごしに恵介を見て戸惑っている。
「あんたら知ってるんだろ? 和男が誰に殺されたのかを? ……殺したのは、セルジュだ!
 後ろから父が恵介の両肩を掴む。
「やめろ、恵介! ……どうしたんだ? 何があったんだ?」
「恵介、やめなさい! いったいどうしちゃったの?」
 母も後ろで慌てている様子だったが、気にしなかった。
「ここに集まってるどいつもこいつも、実はみんな知ってるんだろ? 和男がセルジュに殺された、ってことを? そうだろ? みんなで秘密にしてるんだろ? ……なあ、和男のお母さん! あんた!」
「やめろって言ってるだろ恵介!」
 もはや父は恵介を羽交い絞めにしようとしていた。
 しかし恵介は和男の母に指を突き出し、声を荒げ続けた。
「あんたよく知ってるよな? なんで和男が追い詰められたのかを? おれは聞いたぜ! あんたが自分ん家でセルジュとセックスしまくってるのを!」
「なに言ってんだ和男! 黙れ、黙るんだ!」
 父はほとんど半狂乱になっている和男の口を塞ごうとした。
 和男は父の手を振り払い、さらに声を上げた。
「それにそこにゾンビみたいに座ってるお父さんよお! あんたはそれを、黙って見過ごしてたんだ! 自分の奥さんがセルジュにヤりたおされて、息子がオナ ニーのやりすぎで死んでいくのを、黙って見てたんだ! ……ここにいる連中、みんなはどうなんだ? みんな、似たりよったりなんだろ? 何でだよ? なん でおまえらはセルジュにヤられてばっかなんだよ? ええ? ……ほんとうのことを言えよ!」
「いい加減にしろ!」

 父親は恵介をくるりと後ろに振り向かせると、その左頬を拳で力任せに殴りつけた。
 地面に倒れる恵介。しかしあまりの怒りと感情の昂ぶりのせいで、ほとんど痛みを感じなかった。

「おまえら全員、偽善者だ! セルジュと一緒に地獄に落ちちまえ!」
 恵介は埃だらけになってよろよろと立ち上がると、千帆が駆け出していったように全速力で公民館から飛び出した。
 そして、千帆の後を追いかけようとする……しかしもう千帆の姿はどこにも見当たらなかった。
 家に帰る気もない。どこにも行くところがない。
 佳祐は、左はネギ畑、右は白菜畑の一本道を、走りに走りに、走りに走った。
 どこまで走っても息が切れなかった。
 そして、自らのペニスに巻きついてきた友里江の熱い舌の感覚も消えない。
 それを振り払おうと、走り、走り、走る。
 もう千帆を追いかけることなど、どうでもよくなっていた。

 と、そのとき、背後で車のクラクションが鳴る。

 恵介はその場に足を止めた。
 数メートル後ろに、黒塗りの車が停まっている。
 恐ろしいくらいに磨き上げられたその車体は、まるで巨大な甲虫のようだ。
 その車の車種に、恵介は見覚えがあった。
 ……セルジュの家の前に停められていた車……
 担任の江藤とあのいまわしい家に訪れたとき、彼女が興味を惹かれていた『65年式のシトロエンDS19パラス』。
 錆色をしていたセルジュのものとは違い、それはまるで新車同然のように見えた。
 江藤の言葉によれば、60年以上も前の車であるはずなのに……。
 車のドアが空き、3人の人間が降りてくる。
 全員が真っ黒なスーツに身を固めていた……しかし和男の葬式に訪れた弔問客ではなさそうだ。
 一人は中肉中背のはげ頭。
 一人はまるでシュワルツェネッガーのような筋骨隆々とした体格。
 もう一人は……針金細工で作った人形のように痩せこけている。
 全員が黒いサングラスをかけていた。

「……お葬式の席では、とんだ無作法だったね」
 はげ頭が言った。抑揚のない、台詞を読んでいるような声だ。
 シュワルツェネッガーは、まさに「ターミネーター」よろしく、固定されたようにぴくりとも動かない。
 いちばん奇妙だったのはハリガネ男だ……まっすぐ立っていられないのか、頭をふらふらさせ、まるで風にそよぐように全身をくねくねと揺らしている。

(ブラックメン……MIBだ……)
 恵介は呼吸を整えて、3人を見据えた。
 黒いスーツにサングラスの3人組の男が、古い車の前に立っている。
 自分はおかしくなってしまったのだろうか? ……いや、これはまぎれもない現実だ。

 もともとわずかしか持ち合わせていない勇気を総動員して、恵介はハゲ頭に言った。
「お前らか? ……セルジュを警察から釈放させたのは?」
 語尾のほうはほとんど聞き取れないくらい声が小さく、言葉がもつれた。
 しかしハゲ頭に言葉は通じたようだ。
「そのとおりだ……君は不審に思っているだろうな。町の人々と同じように……」
不審だよ!」恵介は声を荒げた。もうヤケクソだった。「セルジュに、それにお前ら……不審そのものじゃねーか!」
「君は誤解しているようだ。君に誤解されたままでいるのは、我々の本意ではない」
 ハゲ頭の言葉には抑揚がない……ほとんどロボットのような口調だ。
 そして手をまっすぐ突き出し、ブルース・リーの仕草で恵介を手招きする。
「乗りたまえ……少し君に説明しておきたいことがある」


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