女が女の部屋にノコノコやってきて
タダで帰れると思ってやがったのかよ
作:西田三郎
■1■ みじめなあたし。
それにしてもひどい男だった。
と、紗英は自室のヤニで汚れた天井を見上げて思う。
いや、目を覚ますたびに思わずにはおられない。というか、天井を見上げるたびに、それを実感せずにおれない。
この部屋の天井が黄色く染まっているのは、あの男のせいだ。
この半年間、つきあっていたあの男のせい。
そして、その男の影響で、タバコを吸い始めた自分のせい。
それまは家で(親に隠れて)家でしか吸わなかったタバコだったが、あの男との関係の雲行きが怪しくなりはじめて、紗英は学校でも(みんなに隠れて)タバ コを吸うようになった。
そして、腰のあたりがうずきはじめる。
あけすけに言うと、もよおしはじめる。
尿意でも便意でもない何かが。
「ちっきしょう……」紗英は独り言を言う。学校に行かなくなってから、独り言が増えた。「……まじかよ……ってかもう、タバコの習慣だけじゃなくて、アレ かよ……あいつはあたしのカラダにツメアトを残していった、みたいな感じかよ……」
ふん、と鼻で笑ってみたが、それでも腰の奥のほむらは去ってくれない。
「やだなあ……」
部屋にこもるようになってから、ほとんど下半身はショーツ一丁だった。
先週までは暑かったので、上はTシャツ一枚だったが、今週からは冷えはじめたので、それを洗濯かごに放り込んで、長袖のTシャツを着ている。
着たまま、3日だ。
いちおう、一日に一回はシャワーを浴びているが、シャツを取り替かえる気にもなれない。
ショーツはユニクロで買ってきた、二枚ひと組990円の激安品。
いちおう毎日は替えているが、もうそろそろ、履き替えの在庫が少なくなっている。
今日、履いているのは、ヤケクソのように派手な赤に小さな星がいっぱい入っているものだ。
部屋に引きこもるようになってから、最初は優しかった母親も、2週間前くらいから『食事の用意と洗濯くらい自分でしなさい!』と紗英に宣言した。
それ以降は甘い顔を見せず、まったく放っておかれるようになった。
「ってーかさあ……」また紗英は独り言を口にする。「パンツ履き替えないで済む、ベ ンリなカラダになりたいよ、マジで」
しわくちゃのシーツの上で、両脚をそろえてまっすぐに伸ばし、足の裏を天井に向けてみる。
「キレーな脚じゃんかよお……何が気に食わねえってんだよ……」自分のかたちのいい脚を見ながら言う。「……この脚がお気に入りだったんじゃねーのか よ……そうだろーが、テメーはよお……」
紗英は脚に自信があった。長くて、細くて、それなりに美しい起伏もあり、膝小僧も小さい。
足の指一本一本も、芸術品のように美しいと思う。
「なあ、この脚、好きだったろ?」紗英は自分のつま先を見て言った。「付き合い出す前から、この脚をチラ見しまくってたじゃねーかよ……ジロジロジロジロ 見やがって……カネ払え、っての。でも、結局は……」
アイツは、この脚が好きだったんだろうなあ……”と紗英は心の中で言ったが、口にはしなかった。
見ればみるほど、キレイな脚だと自分でも思う。
なんとまあ、ステキな脚してるのかしらあたし。自分で自分を褒めた。
というか、今の紗英には自分の脚くらいしか自分で褒めるところがない。
髪はボサボサ、夜ふかししてネットに耽溺しているせいと、母親が食事を作ってくれないので、深夜にこっそりコンビニで買ってくるスナックやインスタント ラーメンしか食べていないせいで、肌荒れもひどい。この前、歯を磨くときに鏡で自分の顔を見ると、目の下にクマができていた。
「ちっきしょう……」また独り言。最近は“ちきしょう”が口癖になっ ている。
目の下にクマができているのは、一日に何回も何回もオナニーしているからに違いない。
しかし、やめられない。
しばらくは足の裏を天井に向けて伸ばした、自分の脚を見ていた。
ほとんど寝そべっているか、腹ばいになってノートパソコンをいじっている毎日なので、紗英は運動不足だった。だから、せめてお腹が出ないように腹筋くら いは保っておこう、という殊勝な思いもあった。
しかし、これに飽きるとまたオナニーにふけることになるのだろう。
しかしまあ、ネット内のいやらしい動画や、自分と同類の孤独な人間が書いたのであろう、妄想に基づくエッチな告白なんかにも、かなり飽きてしまった。
しかしとにかく、あの男のこと、つきあっている最中にあの男にされたこと、それに自分が、どんなにアエギマクッテしまったか、ということ、このことを頭 から追い出そうとするために、紗英はオナニーにふけり続けた。まったくの逆効果だったが。
「へっへっへ……オジョーちゃん……キレイな脚してるじゃんかよ お……」
紗英は自分で低い声色を作り、両手で自分の脚を撫で回しはじめた。
「い、いやっ……何するんですかっ……や、やめてくださいっ……」 “かわいい声”を作って、自分で脚をもじもじとすり合わせる。「や、やめてっ……ひ、ヒトを……人を呼びますよっ……」
「呼んでみろよお……なにかい?……他人を呼んで、そいつに見物させようってのかい?」自分で内ももをさすりながら言う。「とんでもねえ助平女だな あ……」
「ち、違いまっすっ……やっ……やめてっ……そ、そんなとこ……いやっ……」
紗英は左手で自分の内ももをさすり、右手を安物ショーツのクロッチ部分に添えていた。
「……へっへっへ……なんだあ?……もうここが、こんなに熱くなってるじゃ ねーかよお……」
「ち、違いますっ……や、やめてっ……い、いやっ……」
と言って、紗英は自分の指を下着の中に滑り込ませた。指が、熱いぬめりに触れた。
「おいおい……この助平お嬢ちゃんよお……イヤ、とか、ヤメテ、とか言って、もうビッッ ショビショになってるじゃねえかあ……ああん?……ほんとうは、こうされたかったんだろお……?」
「ち、違いますっ……」天井に足の裏を向けたまま、紗英はぎゅっと太腿を締める。「いやっ……」
「そうは言っても……カラダは正直だよなあ……ほら、ほら、どうだ?ここか?こ こだろ?」
と言って、ぬかるみの中の突起を指で転がす。
「あっ!……いやっ!……い、いやあっ!……やめっ……やめっ……てっ……」
「そう言いながら、ますます濡れてきてるじゃねーかよお……このままじゃ、パンツがビショ濡れになっちまうぜえ……パンツ、脱いじまうかあ?」
「い、いやっ……いやですっ!」と言いながら紗英は激安の星柄ショーツに手をかけた。「そ、それだけはっ……」
「ほれ、脱がしやすいように四つん這いになんなよ……ほうら」
「だめっ……いやっ!」そして、自分でベッドの上で反転し、四つん這いに なり、枕に顔をうずめた状態でショーツを下ろしはじめた。「やっ……やめてくださいっ……こ、こんな……こんなはずかしいかっこうで……やだっ……」
「ほーら……もうすぐ恥ずかしいところが丸見えだぜえ……」
「いやあっ……いやっ……誰か……誰かっ……誰か助けてっ………」
「助けよーか?……サーエちゃん」
と、声がした。全身が凍りつく。
恐る恐る枕から顔を上げる。
部屋のドアの前に、ショートカットの小柄な少女……亜矢が立っていた。
紺のセーターにプリーツスカート、黒いソックスという、学校帰りの制服姿で。
紗英は、まるで『学校』そのものが、家まで押しかけてきたような気がした。
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